2."the Sixth sense" -b2 『恐行』
-b2 『恐行』
まず原野さんが向かったのは、「スプラッシュサークル」。
円形の乗物に乗って川のような水路を進んでいくアトラクションである。
これはエントランス近くにあるラグーンに沿う形で作られているため、移動時間はほとんどかからなかった。
「スプラッシュサークルって、あんまり怖くない割には濡れるのよね。」
慣れた調子で手首につけたフリーパスを係りの人に見せながら、原野さんが解説する。
「波の感じと進行方向によってはびしょ濡れになるのよ。」
「…初めて乗ります……。」
「これは舞ランのアトラクションの中でも難易度は低い方。」
俺達が乗り込んだのを見て、係員の人が円形のボートのような乗物を水路に押し出す。
ボートは何度も水路の壁にぶつかりながら進んだ。
その間ボートはくるくると回り波を起こすため、水が何度となく内側に入ってくる。
原野さんの言ったとおりあまり怖くはなかったのだが、それでもやはり急に変わるスピードやいつ濡れるかわからないということもあって、乗っている最中、俺は絶えずビクビクしていた。
うん。
ボートが一周し、(心情的に)やっと地面に足をついて一息もつかないうちに、原野さんは、
「よし、次、行くわよ。」
と俺をせきたて進ませる。
…落ち着く暇もない。
ほとんど初めて乗った絶叫(?)マシーンの余韻に浸る暇さえなかった。
次に連れてこられたのは「ウォータースラッシュ」。
これはスプラッシュサークルから少し園内に入ったところにあるアトラクションで、いわゆる普通の“急流すべり”だった。
「じぇ……じぇっとこーすたー、ですね。」
「ジェットコースターじゃなくて急流すべりよ。」
「お、落ちる系は、俺にとっては、じぇっとこーすたーです。」
「落ちるって言っても一回だけよ?それに降下速度が遅いし。もっとスピードが出たら面白いのに。」
「けどこわ」
「これも難易度低いわよ。小学生でも普通に乗ってるもの。」
「…はい……」
問答無用である。
乗り込んでみると、木でできた乗り物は確かに俺が乗るには少し小さく、子供向けに作られてあるんだなあと改めて実感した。
少しばかり悲しくなった。
原野さんが言うとおり、大きくジェットコースターのように下降したのは最後の一回だけで、後は比較的穏やかだった。
いや、けど、その最後の一回が俺にとっては大分答えた。
あの落ちる瞬間内臓が宙に浮く感じが…あれが嫌だ…だからジェットコースター系には乗りたくないんだ…。
だが、原野さんがあまりにも平然と、むしろニコニコしながら乗っていたので、思いっきり叫ぶこともできなかった。
まあ、一瞬ヒヤっとして、後は耐えられたことを考えると確かに難易度は低かったのかもしれない。
だが、黙って恐怖に耐えた俺はもう冷汗がだらだらである。
「じゃあ、次はあれね!」
降りた瞬間走っていってしまったうちの師匠。
次のアトラクション、空中ブランコ「スカイウォーク」は急流すべりの近くにあった。
これは結構大型の空中ブランコで、鎖で吊下げられた小さな椅子に座る形式になっている。
「これもまだ絶叫系というには軽い方かな。」
「…ひたすらぐるぐる回るんですか?」
「たまに上の鎖がつながってる円盤が傾くから、波打ってるみたいに高低差がつくわよ。それが何とも言えない。」
「…原野さんが好きそうなアトラクションですね。」
「いや、私はコーヒーカップ高速回転の方が好きよ。」
…思わず黙ってしまった。
で、いざ乗ってみると、だ。
もう遠心力が半端じゃなかった。
自分の三半規管の貧弱さを思い知った。
俺が酔いのあまり鎖にしがみついてうつむいている後ろで、原野さんが「浮遊感!!!!」と叫んでいるのが聞こえた。
乗り終わって。
「…セイ、大丈夫?」
俺は、原野さんを心配させるくらい青ざめていたらしい。
視界がぐるぐる回っているせいで目が半分しか開かない。
「…あい。」
「さすがに休憩を入れないとまずいかしらね。」
原野さんが俺の荷物を持ってくれていた。
ささやかな優しさである。
「…は、はい…そろそろスピードものは…キツイ…です…。」
「んー、じゃああれで休もうか。」
原野さんが指した先には、小さなプレハブのような建物。
それは夏季限定、「ひんやりボックス」だった。
まるで冷凍庫の中に入るような冷気を楽しませてくれる施設である。
正直、ベンチでジュースを飲むとかを期待していたので、“…休めねえじゃん!!”と心の中で突っ込んでしまった。
だが師匠にはこの突っ込みは聞こえない。
俺の荷物を持ったまま「ひんやりボックス」の方へさっさと歩いて行ってしまうので、俺は千鳥足に鞭打ちながら原野さんを追いかけ、そこに入った。
まあ、一言で言うと、すっげー寒かった。
今日は晴天でなかなか高い気温ではあったが、10秒もしないうちにもう外に出たくなった。
「これさあ、昔からうちの兄と、何秒とどまれるか競ってるのよ。」
原野さんは腕組みをして、難しい顔をしている。
「けど、絶対負けるのよ。うちの兄、ここに5分も6分もとどまれるんだから、勝てるわけないのよね。」
「お…お兄さん、すげーれすね…」
寒すぎて呂律が回らない。
「あたしも頑張ってるんだけど。3分しかいられないのよね…頭痛くなって。けど今日ならなんかいける気がする。テンション的に。」
原野さんの目が決意に燃えていた…。
これはまずい。
俺の体調的にまずい。
「そ…そんなの絶対、無理、れす!!!!」
俺はもう、原野さんをその場に置いて、外に出た。
後ろから「あ!ちょっと!!」という声が聞こえたが、構っていられなかった。
自分の身の安全が最優先である。
俺が外でベンチに座って酔いを醒まし始めて2分とたたないうちに、原野さんも外に出てきた。
心なしかさっきまでのテンションが下がっているように思った。
「次からなんだけど。」
ベンチに二人で座ってしばらくボーっとした後。
原野さんはテンションが回復してきたのか、俺にこう言った。
「本格的に絶叫三昧に突入するわよ。」
「…え、なんですって」
「動揺して女言葉になってるわよ。絶叫。絶叫マシーン!乗りまくりフルコース!!」
…もうここまでのコースで俺は自分の限界を突破しまた一つナイスガイへ近づいたように感じていたというのにそれでも尚貴女は俺に絶叫系に乗せようというのですか、師匠!!!
「…そ…そんな……」
「今までのはただの慣らし!!よし、行くわよ、セイ!!!」
…ここからの俺の恐ろしき心境は、わざわざ話さなくても察してもらえるのではないかと思う。
がっくんがっくん揺れ、ぶんぶん揺さぶられ、ときにレールから放り出されるような錯覚を受け、ときに走行中レール外の木に頭がかすりそうになり、体中のあちこちをぶつけまくり、落下時の浮遊感を耐え忍び、何よりも楽しそうにきゃあきゃあ言っている原野さんの隣で100%恐怖で構成された無残な叫び声を上げ続けた俺は、もう心も身体もなけなしのプライドも、ずたずたになったのは言うまでもない。
そして、時は12時過ぎ。
「もう無理です。吐きます。充分です。ほんと、もう有難うございました。」
「なによ、“有難うございました”って。」
俺たちは園内のファーストフード店にいた。
先月原野さんともいったこのファーストフード店は園内にもばっちり進出しており、一階がカウンター、二階は屋外にテーブルを設けたバルコニーのような作りになっている。
俺たちが今いるのは二階の端っこの席。
俺は二階の端っこのテーブルに突っ伏して休んでいた。
その向かいには原野さんが座っている。
ここは園内を鳥瞰でき、同時に風通しも良かった。
「にしても、貴方ほんとに絶叫系だめなのね…今にも吐きそうな顔してるわよ。」
「…ずっと言ってたじゃないですか…」
「まあね。いや、けど、頑張ったわよ。叫び続けてはいたけど、喰らい付いてきてたもの。」
師匠からお誉めに預かってしまった。
なんと珍しい。
「…ありがとうございます…」
「仕方ない、あたしが何か買ってきてあげるわ。」
立ち上がる原野さん。
俺は顔を少し持ち上げて、「すみません」と言った。
原野さんが奥の階段に姿を消す。
俺は怒涛の午前中を思い返した。
たった2時間だったのに、ここ数年分の勇気と気力を使い果たした気がする。
てか、もう残ってない。
むしろマイナスだ。
自分が凄まじくビビりだったということを、改めて思い知らされた。
分かってはいたんだけど…再確認がここまで屈辱的だとは…。
あのメニューには、それだけの破壊力があった。
午後からは何をするのだろうか。
ゆっくりしたい…射的とか、観覧者とか乗りたいな…。
そんなことをボヤーと思ったとき。
「やぱいやばいやばいやばい!!起きて!!!!」
原野さんの声がいきなり耳元でしたかと思うと、俺の肩が激しく揺さぶられた。
「え、な?!なんですか?!」
顔をあげると眼の前に髪を振り乱した原野さん。
俺は何が何だか分からない。
「逃げるわよ!!」
「え、なにが」
「いるのよ!」
原野さんは凄く焦った顔で、俺に小声で、しかし普段の彼女らしからぬ冷静さを欠いた調子で言った。
「下に、ヤブキがいるのよ!!!」