2."the Sixth sense" -a2 『条件』
-a2 『条件』
「…5組って、よほど丁寧に掃除してるのね。」
地球儀から出てきた原野さんはぼそっとこう言った。
その言い方に若干の棘が感じられる。
…俺は内心、しまったと思った。
ちょっと待たせすぎたかも知れなかった。
しかしここで言い訳をしてはいけない。
俺はこの数週間の間に様々なことを学習したのである。
「いやー…掃除自体はそこまで時間がかかってるわけではないんです…よね。」
「…じゃあどうしたっていうの。」
…棘がある。
こ…ここでめげてはいけない、頑張れ俺!
「矢吹がですね。」
「矢吹?」
「はい。矢吹が最近、放課後俺の後をつけてくるんですよ。」
「…え、どういう状況よ、それ。」
原野さんは目を見開いて眉を寄せる。
確かに、そんな反応をされてもおかしくない状況だ。
俺は当初、この事を原野さんに言うつもりはなかったのだが、現在の状況打破のために、伝えておくことにした。
「5月の終わりまで、矢吹と一緒に帰ることが多かったんですが、近頃それがなくなったんですよね…ほら、俺に用事ができたから。」
「うん。」
「この事を、矢吹に話すのはちょっと…危険かなと思ったんで言ってないんですけど。」
「…うん、正しい判断。」
「…はい。だから最近、矢吹に黙ってサッサと教室を出るようにしてたんです。見つからないように。そしたら、この前いきなり…」
「後をつけてきた…のか。」
「はい。だからまくのが大変で…今日もわざと電車に乗ったんです。」
「なるほどね…そうか、矢吹のことを忘れてた。」
原野さんはすっかり思案顔だ。
ちょっとは状況を飲み込んでもらえたようなので、俺は少し安心する。
あの後。六月の頭から早速、俺と原野さんの“ヘタレ矯正”は始まった。
基本的な活動は、放課後この神社の公園に集まって行う。
学校から多少距離はあるのだが、何より人通りが少なく誰かに見られる心配がない。
暗黙の了解ではあったが、お互いにこのことは誰にも話していなかったし、“学校の生徒にバレると何かしら厄介なことが起きる気がする”という予感もあった。
だから、学校でお互いを見つけても“知らんふり”である。
それに、ここは原野さん宅のご近所らしい。
原野さんににとって勝手がよかったことも、彼女がここを活動拠点に選んだ理由の一つにあたるだろう。
初日に、俺たちはこのある種の“契約”の内容を詰めた。
まずメインとなる内容は俺の『ヘタレ矯正』、そしてそれに伴う(と思われる)『恋愛成就』である。
この内容の達成目標は、冬。
アバウトだが、冬、ということだった。
この期限までに、原野さんはこのミッションを必ずやり遂げると宣言した。
そのために彼女が俺に出してきた条件は二つ。
・課題は必ず期限までにクリアすること。
・普段から早足をやめ、ゆっくりと歩くこと。
俺はこの意図がよく分からなかったのだが、結果的にこの条件を飲むことになった。
…いや、飲まざるを得なかったのだがまあそれはいい。
そして、この放課後の会合は一日の反省会と位置付ける。
―――以上がこの契約の全貌である。
契約が施行されて2週間と少し。
梅雨入りなども重なって、会合が流れることもあったが、俺は何とかまともに彼女と話せるまでに成長した。
まだ敬語こそ抜けていないが、これは俺にとって大きな変化である。
女性と普通に話すなんて、小学校以来といっても過言でないくらい久しぶりのことだった。
原野さんの“修業”は少しずつ効果を示しているのかもしれない。
「矢吹のことは…慎重に対応しないといけないかもね。」
思考を終えた原野さんが言う。
「悪い奴ではないんですけど…口が軽い…ですからね、アイツは。」
「これからも要注意で。」
「はい。」
原野さんはうんうんと頷くと、今度は地球儀の入り口のところに座った。
足で地面を蹴り、ゆらゆらと揺らす。
彼女はしばらくその揺れを楽しむと。
俺に悪戯っぽい微笑みを向け、言った。
「ところで…今日までの課題、ちゃんとやったの?」
…さすがにこのままはぐらかせるわけないか。
俺はどこから話そうか考えながら、頭をかいた。