8."Be back where 1 started" -g1 『期限』
-g1『期限』
「『舞園ランドは期間限定、アイスリンクが登場!寒い冬はスケートでエンジョイ!』ですってよ、マコト。」
一月最後の日、放課後。帰宅しようとしていた時、原野さんから呼び出された。『下足室前集合』とだけ書かれた、いつも通りのメールだった。
一体何事かと思えば…。先についていたらしい原野さんは、俺を見るなりこういったのだった。
「行くわよ。これに行かずして冬はエンジョイできないわ。」
「…寒い冬は、炬燵でぬくぬくエンジョイが王道ですよ。」
「なんてインドアなの貴方は!」
原野さんの鞄が俺の背中にヒットした。
授業が就業してから少し時間が経っていたので、人影はまばらだった。原野さんの自転車をとりに行って、駅までの道をだらだらと歩く。冬は動きが鈍くなっていけない。
「兄がね、ただ券を2枚くれたのよ。」
隣を歩く原野さんは、どことなくテンション高く話している。
「6月に行った時はマコトの絶叫系克服ツアーだったから、あまり楽しめてないのよ。矢吹騒動もあったし。今回はとことん遊ぶわよ!」
そうは言うが彼女に関しては、6月も十分に楽しんでいたと思う。まだ本気を出せるというのだろうか。
「楽しみだわ、スケートとかもう何年も行ってない。小学校以来かしら!」
俺は、生き生きと話す彼女の横顔を見ていた。寒いからか、鼻の頭が赤い。黒目がちな瞳がキラキラ光っている。寒いから潤んでいるのだろうか?
楽しそうに眼を細めて笑っている。この人は、気持ちが良く眼にでる。あんなにわかりにくいと思っていたポーカーフェイスも、今なら違い良く分かる…。
その眼が、こちらを見た。
「何よ、黙って。行くでしょ?」
正直、スケート自体にあまり興味はない。でも今は、誘われて浮足立つ気持ちが絶対的に勝っていた。
「もちろんですよ。」
即答した俺に、原野さんは満足気にうなずく。
「そう来なくちゃ!」
「もうフリーフォールは絶対に乗りませんよ…。」
「ちょっと、何言ってるのよ!舞ランといえばフリーフォールでしょう?!乗らずに帰るなんて邪道よ!」
「じゃあ俺は見てます」
「絶対乗せる!」
「原野さんが一人で乗ればいいじゃないですか!」
「誠に舞ランのなんたるかを叩きこむわ。」
「えー…」
その言葉と同時に吐いた息が、ふわっと白く濁る。
原野さんは俺の態度が気にいらないのか、視線を前に戻したあともどことなく不満そうにしている。ポジションはいつも俺の左。最近は二人で帰ることも増えた。
並んでいると肩のあたりにくる原野さんの頭が、歩くたびに揺れている。こうやってひょこひょこと歩くのだ、自転車を押すときは。いつも駅まで一緒にいって、その後電車が来るまでだらだらして、なのに最後はこちらを振り返りもせずに颯爽と自転車に乗って行ってしまうのだ。
今だけ、今だけのこの距離。
原野さんは首をくいっとこちらに傾けるようにして、怪訝そうに言う。
「なに、どうしてこっちみてるの。」
「え、いや別に」
「見られるの嫌なんだけど」
「…じゃあ何か話してください」
「はあ?」
「黙ってるから、見てるんですよ」
「黙ってるって言ったって、ちょっとの間だけじゃない、何いってるの」
「…いいから」
「……ちょっと、貴方、ほんとどうした」
その時だった。
「まことくん!!」
原野さんの言葉を遮るように、後ろから俺を呼びとめる声がした。その声に驚いた俺は、声がした方を振り返る。
俺たちの少し後ろに、谷口さんが立っていた。
「た、谷口さん…!?」
「えっ」
原野さんが小さく声を漏らして、俺から離れた。離れられて初めて、いつの間にか距離が縮まっていたことに気付いた。
谷口さんの顔がこわばっていた。いつもの柔らかい表情は影もなく、唇がきゅっとむすばって、視線は強い。その先は俺なのか、原野さんなのか、判断が付きかねるところをじっと見ていた。
「まことくんこれ、前から、約束してたお菓子!」
谷口さんが駆け寄ってきた。ついさっきの無表情から一転、いつもの笑顔だ。俺の冷たい手を、谷口さんの熱い手が包み込むようにして、包が握らされる。
「上手にできてね!前からあげるって約束してたから、すぐにあげたくて!」
「え、あ、ありがと…」
「じゃあわたし、お菓子渡そうと思っただけなんだ」
最後に一度ギュッと手を握り、谷口さんが離れる。熱いのは手だけでなく、包もだと気付く。
「まことくん、また明日、ね!」
谷口さんはまだ微笑んでいた。だがそれは柔らかいというより、どこかぎらぎらしているような、そんな感じの笑い顔。谷口さんは最後、原野さんの方にちらっと眼をやって、踵を返して去って行った。
突然の嵐のような出来事が過ぎ去っても、しばらく俺たちは無言で突っ立っていた。手に持った包が焼けるように熱く感じられた。冷や汗がでる。俺は彼女をうかがう。髪に隠れて目が見えない。
すると突然、
「…まちがった」
と、原野さんが言った。
「え?」
「まちがったわ、違うわこれは。そうだった。」
「何、何が違うって…」
「さっきの話は無しで。」
ぶった切るように彼女はいった。ぴしゃりと突き放された。俺は抗議する。
「そんないきなり何言ってるんですか、行くんでしょ?舞ラン」
「行かない」
「そんな、さっきまであんなに行きたそうにしてたのに」
「間違ったのよ、それは」
「なんですか、何を間違ったっていうんですか!」
「違うわ、違うのよ、間違ったのよ!!」
苛立ったように吐き捨てて、原野さんがこちらを向いた。目が歪んでた。
「あなたが好きなのは谷口さんでしょう!!」
その一言に、俺は思わず黙った。
それは、『俺たちの間の絶対的な真実』として、まだ堂々と横たわっていた前提だったのだ。
それがもう変化していたとしても。それに俺が気付いたところだったとしても。
5月の時点では真実だった。だから、契約の大前提だ。
そう、契約だ。俺たちが仲良くする期限。
「…決めたわ。」
「…え?」
「タイムリミットはバレンタインデー。2月14日。この日に谷口さんに告白すること。…これで、私達の契約は終わりよ。」
その契約が、終わろうとしていた。