8."Be back where 1 started" -e1 『愁傷』
-e1『愁傷』
一月も後半に差し掛かったある日の放課後、俺は図書室を訪れた。廊下が思ったよりも寒くて、かじかんでしまった手をさすりながら、暖かい室内を見渡す。
図書室は、以前入り浸っていた時よりも閑散としていた。学年末テストがまだ先ということもあるのかもしれない。だが俺は、そんな時こそコツコツ勉学に励むべきだと二学期に学んだばかりだ。今日も、明日の英語の授業の予習をするために図書室に出向いたのだった。
今日もいつもの席に座ることにする。本棚の間をすり抜けるときに図書カウンターが目に入った。誰もいないのだろうか、ブースががらんと空いている。今日は例の図書委員の彼はいないのかもしれない。積極的に出会いたい相手ではないので、内心ほっとした。
新学期が始まってから図書館は何度か利用したが、原野さん親衛隊の一人である図書委員、桐谷君を見かけない日はなかった。そのせいで、こそこそと図書カウンターを気にしながら室内を移動する癖がついてしまったほどである。肩身の狭い思いをしながらわざわざ図書室を利用することもないのだが、家だと集中して勉強できないのだから仕方ない。学年末テストの結果でまた原野さんにどやされることを思うと、このくらいは耐えられる範囲内である。
席について英語の予習を始める。心地良い静寂の中、俺は文を読み進める。何分立っただろうか、深く集中し始めた時だった。
「ユ・ウ・ヒ・サーーーン!出会エルノヲ心待チニシテイマシタ!!」
聞き覚えのある英語訛りの大声が俺の耳に飛び込んできた。この声は、まさか…。そう思うのに続くように、数人の話し声が聞こえてくる。どうやら図書室前の廊下から聞こえてくるらしい。喧騒の中に、自分の良く知る気怠い声が混じっていた気がして、俺はそっと、入り口の扉に近づいた。
「…まあそれに関してはお断りさせていただきたいんですが、それにしても、最近出会いませんでしたね、フランソワ先輩。あと、…えっと」
扉に近づくと、原野さんの気怠そうな声がはっきり聞こえた。
「自分は、田辺俊彦と申します。原野さんには以前、お会いしたことがあります」
「…タナベくん、なるほど」
「そして、僕は、」
「ああ、貴方は見たことがあるわ。図書委員の人でしょう?ここ最近ずっと当番をしてるでしょう?」
「ご明察です。僕は2年D組、桐谷です」
「ふうん…まあ、いつもお断りして申し訳ないんですけどフランソワ先輩、私、あまりそういうお誘いには興味がないもので」
「ドウシテ!!」
乱れ飛ぶ会話の中で、フランソワ先輩の無念そうな声が響く。
「イツモ、イツモ、ドウシテ!!!ドウシテナノデス、ユウヒサン!!!」
「えっと、そう言われても…」
「我々ダッテ、ユウヒサント仲良クシタイノニ!!ドウシテ!!」
「いくら、まあ、認めたといっても、これだと余りに、不公平だと、自分も思います。」
「僕の方も、何のために毎日、当番代わってもらってまで図書館にいるのか、そろそろわからなくなってきましたよ…」
「え?不公平って、なにがですか?誰に対して?」
11SAMURAIS幹部達の矛先が違う不満に、原野さんも流石に困惑しているらしい。
「コチラノ話デス……ダガシカシ!!我々ダッテユウヒサント共ニ素敵ナ時間ヲ過ゴシタイ!!」
「僕たちにも時間を割いてくださらないでしょうか!!」
「自分からも、どうか、お願いします」
「あーーーあの、一つ良いですか」
彼らの話を遮るように、原野さんが言葉を挟んだ。
「あたし、そもそも、なんで皆さんにこんなにお誘いを受けてるんでしょうか?」
「…え?」
11SAMURAISの間の抜けたような声がする。
「なにか借りでも、ありましたっけ。あたしが忘れてるだけですかね?」
原野さんは、本当に心あたりがないらしい。とっても不思議そうに尋ねている。
「特にフランソワ先輩。ずっとお誘いいただきますけど…。それに他の2人も、普段から話す方ではないような…」
「ぼ、僕たちは皆、以前貴女に親愛を表明している者で」
「親愛?」
「え、ええ、まあ不躾な表現をしたら、告白、といいますか」
「ああ、そんなこともありましたっけ…けど、それは…」
「わかっています、自分たちは、皆一度、玉砕した身」
「ソ、ソウ、ダカラコソ我々ハ……貴女トヨリ親シクナルベク集イ、コウシテ、ユウヒサント“オ近ヅキ”ナロウト…」
「ええ?!」
原野さんの驚く声。そして次の瞬間、心底愉快そうに、
「あはは、どうしてそんな、ファンクラブみたいなことしてるんですか!変なの!」
と、言った。
扉越しからでもわかった。場の空気が、一瞬で凍りついたことが。
ここで、原野さんに悪気は一切ないことを強調したい。ただ、彼女は知らなかったのだ。自分自身のファンクラブが現に存在していることを。そして、目の前の三人が、その最重要幹部だということを。
だから、原野さんは不思議そうな調子で「あれ、どうかしました?」と言った。
そうか、本当に知らなかったのか。気付かなかったのか、あの強烈なアプローチを受けながら。
本当に、悩んでいたのは俺だけだったのか。
そう思うと急に、今までの気苦労が無意味に感じられて、可笑しくなった。吉井さんが言っていたことが今なら少しだけ分かる。
ガラリ、と扉が開いた。
「あれ、マコト。」
「どうも。」
「居たのね、知らなかった。」
原野さんはしれっとした顔で俺を見上げている。11SAMURAISの3人は帰ったのか、もういないようだ。いわゆるご愁傷様、という場面なのだろうか。
「…原野さんって、おもしろいですね。」
「は?いきなり何なの?失礼ね」
原野さんが不機嫌そうに眉根を寄せたが、彼女のとぼけた一面を見た後では、凄味がまるで感じられなかった。