8."Be back where 1 started" -d1 『初対』
-d1『初対』
一月も半ばを過ぎたある放課後のことだ。帰宅するために乗った電車で偶然、見たことのある顔を見つけた。
背の高いショートカットの女子生徒。凛とした立ち振る舞いと涼しげな横顔が、ボーイッシュな印象を醸し出している。俺のいる側とは反対の扉の傍らで、彼女はスポーツバックを肩にかけ、それを半身に乗せるように体を傾けた状態で立っていた。
あ、吉井さんだ、と思い当たる。いつだったか篠原とバトルを繰り広げていた、女子バレー部の彼女だ。
噂によると原野さんの親しい友人のようである吉井さんは、見かけることこそ多いものの、話したことは一度もない。名前と顔と経歴が一致しているだけで、他には特に接点がないといったレベルだ。
ぼんやりと視線を向けていると、ふいに目があった。
「あれ、どーも、中澤君じゃん。」
吉井さんはそう言ってほほ笑むと、少し手を挙げた。いつもの様にきびきびとした所作で、こちらに向かって歩いてくる。「中澤君だよね?5組の。」
俺はこの展開に心底驚いた。まさか向こうがこちらを知っていたとは思っていなかったのだ。目の前に立つ吉井さん。
「あ、えっと、…吉井さん。どうも。」
「あれ、あたしのこと知ってたんだ?ちょっと意外だわ」
そういってニッと歯を見せて笑う。カラッと乾いた昼間の空気のような、あっさりした話し方だ。
「…いや、そっちこそ。知ってるのは自分だけだと、思ってた。」
「いやいやいや、ばっちり知ってたよ!中澤君、あたしの中で有名人だから!」
「え、有名人?」
「そう!どうも、いつもうちの唯陽がお世話になってます。」
吉井さんがにやりと笑う。さっきからずっと、愉快そうに目元を細めている。
「いやいやいやいや、お世話になってるのは俺の方だから…」
「お世話しお世話され、ってやつ?つまり、仲良しなんでしょ?」
『仲良し』という言葉が耳にのこった。引っかかりを感じるのは、『契約』事件の後遺症だろうか。
だから、「まあ、それなりに。」と、少し控えめな表現にとどめておくことにする。
その成り行きで会話が続いた。1組の吉井さんは見た目に違わず、さっぱりした性格だった。そして何より、話が上手い。話題選びもさることながら、相槌の打ち方も話題の広げ方もかなり上手だ。あの矢吹や、陽翔さんにも負けずとも劣らないレベルである。
吉井さんは、俺と原野さんが喋っているところを偶然目撃して、俺を認知したらしい。聞くと夏休みに入るころだというから、7月くらいだろう。
「あの時はびっくりして、唯陽に聞いちゃったよ!『あのイケメンは誰だ!』ってさ。そしたら、『ああ、中澤マコトよ、5組の。ほら、主に女子方面に有名な。』って、こんな感じで。」
吉井さんは器用に台詞を演じ分け、腕を組んで体重を片足に預けるような体勢をとった。真似しているのだろう。
「しゃべり方と体勢、似てるね…」
「でっしょ!あたしも今、やりながらちょっと似てると思った」
吉井さんが嬉しそうに笑う。
「文化祭の時も一緒に回ってたじゃん?あれ見たとき、あー仲良いんだーってさ、思ったわけよ。」
「なるほど…」
「唯陽が男とつるむなんで珍しいしさー。だからもうあたし、興味深々だったわけ!そしたら偶然、文化祭で唯陽の兄貴に会ってね。」
「え、陽翔さん?!」
「そうそう、陽翔さん?係りで受付してた時に偶然話して、兄貴だって言ってて。それで兄貴さんにも聞いたんだ。『中澤君は唯陽と仲良いんですかー』って。そしたら、『ああ!それはもう、大 親 友 なんじゃないかな!』って!」
陽翔さんのモノマネはまたしてもハイクオリティーだ。だが、重要なのはそこではない。
「陽翔さん……大袈裟……」
「そんなことないっしょ!実際、あんたら仲良いじゃん!家行ったりしてるんでしょ?」
吉井さんはカラカラと笑う。だが、その勘違いは笑い事ではない。
「いや、家っていうか、陽翔さん…そのお兄さんの家だよ?」
「まじ?」
「まじ。陽翔さんの家に行ったら、大抵原野さんがいる。それだけ」
吉井さんは心底愉快だといった様子で俺の返事に相槌を打つ。
「唯陽の兄貴と仲良いんだねー」
「うん、そうだね」
「唯陽の兄貴っておもしろいよねー」
「うん、おもしろい」
「唯陽もおもしろいけどねー」
「え、おもしろい?」
「うん、おもしろいね。すごく。」
吉井さんは確信に満ちた表情でうなずく。
「唯陽は思ってることがすぐ顔に出るから。めちゃくちゃ分かり易い!ほら、心あたりあるでしょ?」
「…いつもむすっとしてるか無表情なような」
「え、まじ?」
「………それか、半笑い?」
吉井さんはそれを聞いて吹き出した。
「あはは!それは気付いてないだけだよ!唯陽はもっと表情豊かじゃん!」
…そうなのだろうか。俺は原野さんの表情の変化をあまり分かっていないらしい。
間に乗り換えを挟み、話をしている内に、気が付いたら八ノ里が間近に迫っていた。
ほぼ初対面だというのに、会話が途切れることがなかったことに驚く。これも一重に、吉井さんのコミュニケーション能力の高さがなせる技だろう。
俺は先に降りねばならない。
「あ、じゃあ吉井さん、俺はここで。」
軽く手を挙げて頷いた。それをみて、吉井さんが一層破顔する。愉快で仕方ないとでも言いたげな顔だ。彼女も手を挙げて言う。
「またね、中澤君。あんたも、凄くおもしろかったよ!」
ひとり電車を降りて、改札を出た。寒さに耐えるべく速足で進みながら、最後の言葉の意味を考える。
俺が面白いだと。そんなことを言われたのは初めてだ。面白味などない自分の一体何をもって、おもしろかったというのか。
家に着くまで考えてみた。だが結局出た結論は、『吉井さんの方がよっぽど面白かった』だった。