1."A May-day" -c5 『契約』
-c5 『契約』
陽はすっかり沈んでしまって、あたりは薄暗くなっていた。
俺は駅前のファーストフード店のテーブルに一人で腰かけていた。
原野さんはいない。
彼女は俺にこの席を取っておくように言うと、カウンターの方に姿を消してしまった。
あの後、細い道をたどり、田植えが終わったばかりの水田を横目に見ながら、俺たちは裏道を進んだ。
俺は原野さんから3歩ほど離れた後ろを歩いていた。
原野さんは何もしゃべらず、無言。
視線が遠くを泳いでいるので、何か考えごとをしていたのではないかとも思う。
もちろん、そんな彼女に話しかける勇気は俺にはなかった。
この世界的に有名なハンバーガーのファーストフード店は、学校から少し離れたところにあった。
実を言うと、学校の付近にもう一軒同じチェーン店があるのだが、原野さんはあえてこちらを選んだようだ。
俺にとってもそれはとても嬉しかった。
あの場所は放課後、我が高校の生徒で大賑わいするスポットである。
彼女の言う“お礼”とはここのファーストフードだったらしい。
確かに高校生の身としては、『奢る・奢られる』の話にこの店は使いやすかった。
100円のラインナップもあるしな…。
そんなことをぼんやり考えていると、目の前にカタンとトレーが置かれた。
原野さんが俺の正面の椅子を引いて、座る。
一連の動きに無駄がなく、こんなことを言うのもなんだが、美しかった。
それなりに込んでいる店内が軽くざわつく程度には(主に男性だったが)。
原野さんは、トレーを自分の正面にきちんと据えると、買ってきたポテト(Mサイズ)2つを自分が食べやすい向きにそろえた。
…あれ?自分で食べるの?
「えっと。」
そこで、改まって。
原野さんは俺の方を見据えた。
俺は思わず姿勢を正す。
「私は、原野唯陽と言います。唯一の陽と書いて、唯陽。」
「あ…あ、はい。」
「お名前は?」
「え、あ…えー。俺は、中澤です。」
「中澤君。」
繰り返して、原野唯陽さんは続ける。
「今日は、一緒に探してくれてありがとう。」
ぺこっと頭を下げた。
俺は例の如く、テンパる。
「あ、いや!そんな、そんな大したことはしてない…です。結局、まあ、あんまり…てか、全く、力になれなかったし…はい。すいません。」
「なに言ってるの。」
何故か謝った俺に、原野さんはこう返した。
「まったくの他人の持ち物を、あんなに一生懸命探してくれる人、なかなかいないわ。」
俺は驚いて、ぐっとのどがつまったような錯覚を覚えた。
なんだ、この人は。
こんな真正面から、まっすぐ、しかも内面を。
褒められたのは、はじめての経験だった。
「だからね、あんなに一生懸命探してくれたから、何か、お礼がしたいと思って。」
彼女はこう言って、黙った。
しばらくは、同じく黙ったままの俺を見ていたが、やがて視線をテーブルのポテトにやって、それを食べ始めた。
時が流れる。
ポテトがみるみるうちに無くなっていく。
一箱目のポテトを食べ終わったくらいで、彼女は再び俺を見ると、口を開いた。
「本当は、このポテト一箱、奢ろうって思ったんだよね。けど、途中から、なんだかそれじゃ安すぎるような気がして。」
「い…いや、全然安くないです。十分、です。」
「そうはいかないよ…。だって、無駄働きさせちゃったわけだし。吊り合ってないっていうか。あたし、“借り”を作るのって好きじゃないの。」
「そんな、いや、見つかっただけで、よかったじゃないですか。えっと、俺のことは、気にしないでください。」
「…けどなあ」
原野さんは何か思案するように、頬づえをつくと、また黙った。
今度のこの沈黙は、長かった。
原野さんはずっと何かを考えている。
俺は何もすることがなく、だからと言って話しかけることもできず、ただ彼女が何か言うまで待つしかなかった。
のろのろと。
もしかしたら時間が俺に意地悪をして全神経を注いでじりじりと進んでいるのかもしれないと思うほど、長い。
『可愛い娘と一緒にいると時が飛ぶように過ぎる』というが、この場合はまるで逆だった。
「あ、そうだ。」
沈黙が切れたのは突然だった。
彼女はいいことを思いついたと言った調子で、こちらを見る。
「何か悩み事とかって、ある?」
「え?!あ、悩み事…ですか?」
「ない?」
いきなりの質問に、俺はうろたえた。
悩みなんて、山ほどあった。
「…えー…あー」
「あるのね。」
原野さんは言葉を濁す俺の様子から、その答えを“YES”と断定してしまった。
「どんな悩み?」
「え、いやその…」
「勉強?」
「いや…あの」
「家庭環境?」
「あ、ええと…」
「恋愛?」
「え?!あ!あー…え、えと」
「そっか、恋愛なのね。」
…しまった、反応がわかりやす過ぎた。
「けど、どうして恋愛で悩んでるの?あなた、モテそうな容姿なのに。」
原野さんはちょっと首をかしげて、言った。
…またこの人は!そういうことをさらっと言う!!
「いや、それは…あの」
「あ、わかった。うまくしゃべれないのね。」
「…はい。」
彼女の言葉があまりに正確だったので、俺はこう返事するしかなかった。
「さっきからずっと口ごもってるしね。」
「……はい。」
「それは、どうして?」
『どうして』、か。
俺は一瞬冷静になった。
どうしてなのだろう。
これは、性格なのだろうか。
自分のこの性質について、いつも考えてはいた。
ただ、これが一体何なのか、自分でもまだ明確な答えは出せていない。
少し落ち着きを取り戻した頭が、やっといつものように回りだした。
俺は答える。
今度はちゃんと、言葉で。
「…分からない、ですね。性格なのかもしれない。」
「ふうん。性格?」
「はい。だから、どうしようも、ないですね。」
「どうしようもないの?」
「少なくとも、今まではどうしようもなかった、です。」
「んー…。どんな性格なの?貴方は。」
「……。」
「どんな性格?」
「…人見知りが激しくて、」
「うん。」
「あがり症で」
「うん。」
「注目されることが怖いです。」
「ふうん。」
原野さんは、俺の目をじっと見て話を聞く。
その眼差しに促されるように、俺は始めて、自分の胸中を言葉にして吐き出した。
他人に自分のことを話すなんて、はじめてのことだった。
“見透かされてしまう”、と。
最初に思ったのは、正しかったようだった。
「さっきおもったんだけど」
そして彼女は俺の目を見つめたまま言った。
「貴方、いろいろと“どうしようもない”って済ませてるんじゃない?」
「…は?」
「自分から変わろうとしてないのよ。」
そう言って彼女は、二箱目のポテトにとりかかる。
「諦めちゃってるじゃない。」
「いや、けど…性格なんてそう簡単に変わるものじゃないし、それに」
「だから、それ!」
「あい?!」
「変わろうと思わないから変わらないのよ。」
彼女はまた一つ、口にポテトを運ぶと、軽い調子で、言った。
「ま、言ってみれば“ヘタレ”、ね。」
ズガンっ、と。
俺は脳天を殴られたような気になった。
…“ヘタレ”って…そんな…。
俺は少なからずショックを受けた。
今まで自分のことをそんな風に思ったことはなかったのだ。
ポテトを食べていた原野さんは、みるみるうちに凹んでいった俺をみて、ちょっとびくっとしたが、あまり気には留めなかったようで、さらに続けた。
容赦なかった。
「だから、その想ってる女の子ともうまくいかないのね。」
「…………、…はい。」
「このままでいいの?」
「……よくない、ですね。」
「じゃあ、」
原野さんは、ちょっと微笑んで、言った。
「あたしが、協力してあげる。」
「…は?」
俺は、状況が飲み込めない。原野さんは続ける。
「あたし、人に借りを作るのが嫌なの。恩を受けたら、“自分もそれ相応の恩で返さなきゃ”って思う。今回のこともね。」
「…はい」
「貴方、ヤブキに無理やり手伝わされて、挙句押しつけられたのに、文句ひとつ言わないであたしの財布を探してくれたでしょう。あたしは、この恩にそれ相応のお返しをしないと気が済まない。」
「…はい」
「だから、貴方のヘタレ矯正、手伝ってあげるよ。」
「…はい?!」
「そうすれば、恋もうまくいくでしょう?」
「…そ、それはそうでしょうけど…」
「けど、あんまり長く手伝うわけにもいかない。性格矯正なんてきりがないし。だから、“告白”をゴールにする。」
「いや、けど、矯正なんて…。それに、こ、告白…」
「大丈夫。あたし結構“強い”性格してるから。」
「そ、それはわかるんですけど、そんな…」
「文句言わない!!!」
「は、はい?!」
「じゃあ、そういうことで決定で。いい?」
「いや、けど…」
「…いいね?」
彼女の有無を言わせぬ圧力のかかった口調に
「………はい。」
俺はこう答えるしかなかった。
「よし、決定。それで、さ」
彼女は晴れ晴れした表情で、またポテトを口に運ぶ。
「告白の件、あんまり伸ばすわけにもいかないし、夏くらいでどう?」
「無理ですそれは無理です絶対無理ですそれだけは勘弁してください」
「…どうして。」
「どうしてもです。は、早すぎます、それは。」
そういう時ははっきり意思表示できるんじゃない、と原野さんは少し文句を言ったが、
「わかった。じゃあ冬。」
秋が飛んだのはなぜだろう。まあその方が俺にとっても都合が良いが。
「これで契約成立ね!」
と言って。
彼女は笑った。
例のとびっきり魅力的な笑顔で。
まるで、お礼の清算ができてすっきりした、とでも言うようだった。
こうして。逢うはずのなかった原野唯陽との縁は、幾つもの偶然によって、こんな“契約”という形で結ばれることとなった。
強いて言うなら、期間限定の『師匠』と『弟子』。
俺のこの性格を正すための、奇妙な師弟関係。
俺の師匠は、ポテトをきちんと完食すると、言う。
「あ、じゃあ、メルアドでも。」
弟子の俺は、答える。
「わ、わかりました。じゃあ、…メルアドでも。」
これからの未来のことを、俺は知らない。
だが、かすかな予感はした。
この縁によって俺は変われるかもしれない、と。
今まで悪い方にばかり回っていた運が、違う方向に回り始めるかもしれない、と。
大きな不安とともに、小さな期待を、俺は感じた。
送られてきた俺のフルネームをみて、彼女はこうつぶやいた。
「ナカザワ…………セイ?」
「…まことです。」
店から外に出た俺たちを、しとりと闇の香りがつつむ。
街灯と月の光がちらちらと踊る。
もう5月も終わるというのに、どこか肌寒い、そんな夜だった。
A May-day(M'aider) is temporarily end.
To be continue….