7."Dis December" -d5 『決壊』
-d5『決壊』
地下街から外に出て向かったのは、有名な大型の雑貨店だった。五階建ての建物の中にずらりと雑貨が並んでいて見ているだけで楽しく、このあたりではいい感じのデートスポットにも挙げられているらしい。確かにあたりはカップルで賑わっていた。
最後にメールを返してから、陽翔さんからの返信はない。もしかしたら原野さんを病院に連れて行っているのかもしれない。原野さん、インフルエンザとかじゃないといいんだけど。ちょっとした風邪とかだったら安心できる。安心して、俺はこのミッションに臨めるのに。
谷口さんは俺の右側の少し後方を歩いている。やはり、左手は俺のブルゾンのポケットのふちを握っている。その重みに、さっきまでとは違うズキリとした痛みを覚えた。
一階のフロアに入って、エスカレータを使って二階に上がった。そこで、谷口さんが声を上げた。
「あ!まことくん、ちょっと探し物していいかな?」
いつもと同じ調子の、明るい、朗らかな声だ。俺は少しほっとした気分になった。
「い、いいよ。何探すの?」
「うん、最近お部屋に加湿器を買ったんだけどね、それにアロマフューザーの機能がついてたから、それ用のオイルがほしくて。」
「ふゅーざー……」
「いい香りを湯気に乗せて広げてくれるんだよ!」
谷口さんが、ふふふと笑う。
「そ、そんなのがあるんだ…」
「お部屋がいい香りになるの!」
谷口さんは楽しそうに、“ルームフレグランス”のコーナーを見て回る。俺は今までこんな場所に入ったことがなかったから知らなかったが、このアロマオイル、たくさんの種類があるらしい。しかも、香りによって効能が違うようだ。
『あ、これあまーい匂い…バニラ系は冬にはいいよね…』
『やっぱり柑橘系は夏かな…けど、“快眠効果”…うーん』
『ラベンダー!大道ね!素敵だなぁ』
谷口さんはアロマの小瓶がずらりと並ぶ棚の前で、熱心にそれを選んでいる。
そんな様子に俺は、はたと気づく。
そうだ、今日は谷口さんに楽しんでもらわないといけないのだ。俺は、谷口さんを楽しませなければ。喜ばせなければ。少し後ろから眺める彼女の後ろ姿。
ふと、原野さんの言葉を思い出す。
『絶対に、彼女にペースを合わせること。“彼女と一緒に楽しむこと”が目的なのを忘れないこと――――』
思い立って俺は、谷口さんの横に立った。
驚いたのか、谷口さんがこちらを見上げる。
「誠くん?」
「あーえっと、うん。」
俺はアロマオイルを一つ手に取った。ラベンダーの香りだ。
「せっかくだし、……ほら、一つ、プレゼントするよ。」
「…え」
谷口さんは丸い目をもっと丸くしてじっと俺を見ている。
その間がむずがゆくて、俺は谷口さんから目線を逸らした。
「いや、まあ今日はイヴなわけだし……」
そうは言ったものの、なんだか苦しい気がした。ちょっと露骨すぎたかもしれない。額に嫌な汗が伝う。
ちらっと谷口さんを盗み見る。驚いた表情を想像していた。…だが、谷口さんは嬉しそうにふにゃっと目元をゆるめ。
「……あ……ありがとう……!!」
とけるような笑顔ではにかんで、そう言った。
俺は思わず、はっと短く息を吸い込んだ。
その笑顔に中てられたのか、混ざった沢山のアロマの香りのせいなのか。その時確かに一瞬ぐらっと足元が揺れた気がしたのだ。
この感覚は…一体なんだ?
だが、それだけじゃない。胸のあたりがぐっと握られたような感覚。焦燥にも似た、首のあたりがひやりと凍る感じ。これは…罪悪感?
「お…俺、これ買ってくるよ!」
俺は駆け出すようにその場を後にした。このわけのわからない感情から逃げ出すように。確か少し行ったところにレジがあったはずだ。そこで一人で頭を冷やすんだ。
次々に感情が急に湧き上がってくるようだ。
在るはずの谷口さんへの気持ちとか。今直面しかかっている谷口さんの気持ちとか。今日という日の意味とか。周りの恋人たちとか。俺の行動の裏の意味とか。今日は寒いこととか。歩き疲れていることとか。そして、原野さんとか。
それはあまりに唐突に俺の頭の中をかき乱して、言葉で表現できないような濁ったものに変わっていた。
決壊しそうなのだ。違う方向に押し流されてしまいそうなのだ。俺と『彼女』にとっては決定的に間違った方向へ。
気付いてはいけないものに気付いてしまいそうだった。俺はぐっと喉をならして空気を飲みこむ。目元に力を入れて踏ん張った。
知らない。気付かない。何にも。
レジは大いに混んでいた。列の最後尾に並ぶ。
そわそわして落ち着かない気持ちと一緒に、手の中の小瓶を弄んでいた。目の前でくるくる転がる茶色の小瓶は、俺の気分を落ち着けてくれる。溢れ満ち満ちた感情が表面でさざ波を立てる感覚。
ぼんやりしていたのだろう、気が付くと列の先頭近くまで来ている。後数人で俺の順番がやってくるというところで、おもむろにポケットの携帯が振動した。
ざわっと、大きく内面が波打つ。俺は汗ばんだ手で携帯を探り、開いた。
陽翔さんからのメールだった。
12/24 16:25
To:中澤誠
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Sub:帰宅したよー
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ユウヒちゃんは風邪をこじらせての発熱だったみたい。よかった!
すぐよくなるって!薬ももらって、今和室で寝てるよ!(・∀・)
ところでセイくん。
ちょっと相談なんだけど、今日の夜、よかったらユウヒちゃんのお見舞いに来てあげてくれない?
実はユウヒちゃん、最近寂しそうだったんだよねー。(´・ω・`)
どうせ君たち、喧嘩でもしてるんでしょ?
ユウヒちゃんもセイくんと仲直りしたいみたいだよ。
よければ考えてくれないかな?
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この時。
俺の足元はガラリと音を立てて崩れた。
胸いっぱいに満ちた感情が大波になって、俺を押し流した。
決壊だ。
「師匠。…原野さん。」
携帯を握りしめて、小さく、つぶやいた。