7."Dis December" -d2 『寒朝』
-d2『寒朝』
俺たちは10時に最寄り駅である八ノ里駅に集合することになっていた。
さほど大きくない駅のロータリーに 到着して時計を確認すると、9時50分を回ったところだった。いい時間帯だろう。
12月24日の気候は晴れ、快晴。
だがいくら日差しがあるとはいえ、今は冬真っ盛りだ。昨日冬至を迎えたば かりの午前中は、贔屓目に見積もっても寒い。冷たい風にあおられて、 俺は思わず目をしかめた。
数分も立たないうちに、谷口さんは現れた。
俺を見つけるなり、小走りで駆け寄ってくる。
頬と鼻の頭が微かに赤くなっているのは寒いからか、走って上気したせいなのか。大きな目を柔らかく細めて、嬉しそうに笑っていた。
「ごめんね!寒かったよね、またせた?」
「いや……俺も、今来たところだから。」
咄嗟には、べたな常套句しか吐けなかった。
俺はまじまじと、谷口さんを見る。
谷口さんの格好は、普通に、可愛かった。淡いベージュのコートはもこもことしていて、谷口さんの雰囲気によく合っている。スカートの色合いとの調和もばっちりだし、何より髪が少し伸びたのだろうか、いつもの二つくくりではなく、頭のサイドでふんわりとしたお団子を作っていた。それがまた良い柔らかさを出している。
それに比べて、俺は自分が服のチョイスを誤ったと、猛省していた。髪こそそれなりに整えてきたものの、 こんな場に着ていくような洒落た服など俺が持ち合わせているはずがない。苦渋の策として、それなりに新しいパーカーとジーンズ、ブルゾンのコートを選択したが、それはあまりにも普通で、どうしても谷口さんの醸し出す余所行きの雰囲気とはかけ離れているように感じるのだ。
これから並んで歩くというのに。
…原野さんならこうなることを予測しただろうな。きっと『そういうことは早く言いなさいよ!』なんて言って、 俺を買い物に引っ張って行っただろう。
ふと頭によぎったシーンは、首を軽く振って忘れることにした。
目の前の谷口さんに、軽く微笑む。
「じゃあ、いこっか。」
「うん!」
俺の言葉に、谷口さんも微笑む。
そして、連れ立って駅の改札へと足を進めた。
歩き出したらもっと寒くなって、俺はコートのポケットに手を突っ込んだ。いくらか指先が暖かくなる。ポケットには、カイロとハンカチと、なんとなく持ち出した少しの未練。
携帯電話は斜め掛けの鞄の中だ。
今日は、使わないだろうから…。
電車に揺られて30分ほどで、目的地の桜田にたどり着いた。桜田はこのあたりで有数の繁華街で、ショッピ ングモールや百貨店が乱立している。何か欲しいものがあれば桜田に行けば必ず揃うほどだ。また、その複雑さは訪れるたびに店の並びやら道が変わっているような錯覚さえ覚えてしまう。
歩くたびいろいろ発見があり、好きになる。ここはそんな街だ。
桜田は、もちろんデートスポットとしても大変名高い。時期も時期だ、駅構内からすでにクリスマスイヴをともに過ごす恋人たちで溢れかえっていた。
「人、多いね…」
「うん…さすがにここまで多いなんて、ちょっとびっくりしちゃった。 」
俺と谷口さんは人の間を縫うように進む。せかせか歩く人々は、進路を逆にするものを障害物としか見ていないのか、何構わずぶつかってくる。なのに皆、流れなど無視して自分が行きたいところに行こうとするから性質が悪い。
俺は半ば肩で人の流れを切るように進んだ。そうでもしないと進路が確保できない。
だが。
「ま…まことくん!!」
後ろから自分を呼ぶ声が聞こえて振り返ると、そこにあるはずの谷口さんの姿がなかった。
「え?!谷口さん!!」
俺の歩く速さが速かったか?!
慌ててあたりを見渡す。探す。小柄な谷口さんだ、俺の速さについてこられなくても不思議ではないのに。しまった、迂闊だった…!
意を決して逆走しようとした時、俺は、鞄が後ろ向きに引っ張られるのを感じた。
「まことくん!!」
谷口さんが、俺の後ろにいた。鞄をつかんでいる。
俺は心底ほっとした。
「谷口さん…!よかった!!はぐれたのかと…」
「ごめんね、ちょっと人にぶつかって、ついていけなくなっちゃって…」
谷口さんは申し訳なさそうに笑う。
「けど、何とか追いつけたよ、もう大丈夫!」
「……あー、よかった…」
谷口さんの言葉に、俺は思わずほーっと息をついた。今日のためにいくらか調べはしたが、俺は桜田に特別土地勘があるわけではない。携帯があるとはいえ、この広い土地ではぐれたら、そうすんなり再会できる気がしなかった。
そんな俺の様子を見て。
「……心配した?」
不意に、谷口さんが覗き込むようにして言った。
「…うん、少し。」
歩みを緩やかに再開しながら俺は答えた。谷口さんは俺の少し後ろを歩いている。
また、今度は斜め前から来た人にぶつかりそうになった。
俺はとっさに身を引く。
そこで初めて、谷口さんが俺のブルゾンのポケットにつかまっていることに気が付いた。
こちらが気が付いたことに気付いたのか。谷口さんは俺を盗み見るようにして、ふいっと視線を逸らした。
「またはぐれそうになって心配かけるといけないから。……ちょっとだけ、貸してね…」
消え入るような声で言った後、彼女の握る手に、ぎゅっと力が入るのが分かった。
ここで、だ。
俺はやっと意識した。
これは、『デート』なのだ。
クリスマスイヴ。俺たちの周りを囲むように、手に手を取り合って歩く恋人たち。
俺はとっさに顔を谷口さんからそむけた。右のポケットのふちをつかむことの意味を、そこにかかる重さを 、無視しようと努めて、歩く、歩く。
自分でもはっきりと赤面しているのが分かった。