あなたの灯りを、わたしが継ぐ
岬の灯台に、ふたたび春が訪れた。
アカリとレンは、舗装されていない小道を歩いていた。
草は少し伸びていたが道の輪郭はまだ保たれていた。かつて灯台を目指した人々が、この場所に通った痕跡のように。
灯台の扉は、開けたときと変わらぬ音で軋んだ。
けれどその響きがどこか優しく感じられるのは、ここが“罪の場所”ではなくなっていたからだ。
「ただいま」
アカリの声はごく自然だった。
この場所が自分の時間を止めた場所であり、そして今日、再び動き出す場所になることを彼女はわかっていた。
「灯台って……やっぱり、不思議な場所ですね」
レンが静かに言う。
「光を出すだけじゃない。“誰かの時間”が溜まってる感じがする」
「そうね。灯りって、きっと“記憶”なのよ。あのとき何を選んだか、誰を想っていたか――全部が、そこに差し込む」
アカリは階段を上がりながら、小さく息をついた。
「私、ずっと“間違えた”と思ってた。あの夜、灯りを止めたことが、命を奪ったって」
「……でも、それは違ったんですよね」
レンが手にしたのは灯台記録室で見つけた旧式の記録だった。
そこには、事故当日――嵐による電磁異常で、光源が自動遮断されたこと。アカリの判断は、むしろ“安全回避”のためだったことが記されていた。
彼女は目を閉じていたが涙はこぼれなかった。
「救えなかったことと、間違っていたことは、同じじゃないのね」
「はい。でも……誰かを守るってことは、たぶん、ずっと“分からないまま信じる”ことなのかもしれません」
レンの言葉に、アカリは微笑んだ。
◆
灯塔の上。風は穏やかで、遠くに白い帆が一つ海を渡っていた。
レンが操作盤を確認しレンズに手をかけた。
「準備、できました」
「お願い」
アカリの声に応えて、レンはスイッチを押す。
数秒後、灯台の光がゆっくりと回り始める。
白い光はぐるりと海をなぞり、空に淡く広がっていった。
それは、ただの光ではなかった。
——ある母が子に託した言葉。
——赦されないと思っていた娘の涙。
——名前すら残らなかった少年の旋律。
——それを届けた人たちの、無名の祈り。
すべてが、今、ひとつの“灯り”になっていた。
「この場所、私が守ってきたと思ってた。でも、違ったのね」
アカリは鍵を手に取る。
「灯りって、“託す”ものだったんだわ」
彼女はその鍵を、レンの手にそっと置いた。
「これからは、あなたが灯す人。誰かのために、迷った人のために。そして、自分のために」
レンは、何も言わずに受け取った。
小さな銀の鍵。それはひとつの時代の終わりであり、新たな始まりだった。
◆
灯台のふもとには、いくつかの“贈り物”が届いていた。
木箱に入った、子どもの描いた青空の絵。
折り鶴を詰めた紙袋。
“ありがとう”とだけ書かれた、手書きのメモ。
「全部……届いたんですね」
「ええ。“想い”って、届かないこともあるけど、消えることはないのよ。誰かが引き継げば、それはまた灯る」
アカリがふと、遠くの海を指さした。
船が、小さな点のように光を放ちながら進んでいる。
「あの船、きっと……」
彼女の声が言葉になる前に、レンが頷いた。
「ええ。“灯り”を見て、前に進んでる」
◆
夕暮れ、アカリは最後に灯台の階段を降りた。
レンが入口の鍵を確認して、灯台の扉を閉める。
それは「おわり」ではなかった。
ここにまた戻ってくる。
そして、ここで灯りを守り続ける者がいる限り誰かの魂はまた歩き出す。
風の中、アカリが言った。
「私、あなたに会えてよかった。……本当に」
「俺もです」
二人は並んで歩く。何も特別ではない小道。だがそこには確かな“光の記憶”が残っていた。
赦しは終わりじゃない。
それは、誰かと手を取り合って、生き直すためのはじまりだった。
そして、灯台は今日もまた――
名もなき誰かのために、静かに灯っている。