冷たい触覚5
数日が過ぎた。高槻くんとは、あれ以来会っていない。彼も、私にあんな態度を取られて、もう話しかけてくることはないだろう。それでいい。それがいいのだ。
私はまた、元の静かで、暗くて、冷たい日常に戻った。そう思っていた。
でも、何かが少しだけ、変わってしまったような気がした。
それは、本当に些細なことだった。
例えば、街を歩いている時。以前なら、すれ違う男性の視線に怯え、すぐに目を伏せていたのに。今は、ほんの一瞬だけ、相手の顔を見てしまうことがある。もちろん、すぐに逸らしてしまうのだけれど。
例えば、大学の講義中。以前なら、ただ時間が過ぎるのを待つだけだったのに。今は、ほんの少しだけ、教授の言葉に耳を傾けてみようと思うことがある。もちろん、内容が頭に入ってくることはほとんどないのだけれど。
そして、一番大きな変化は、夜の儀式だった。
あの、冷たい陶器の角に身を預ける時。目を閉じても、すぐに過去の断片が浮かんでこなくなった。代わりに、何も浮かんでこない、ただの暗闇が広がっている時間が増えた。そして、その暗闇の中に、時折、高槻くんの笑顔や、傷ついたような顔が、ぼんやりと現れるのだ。
それは、私を混乱させた。
この儀式は、私にとって、過去の痛みから逃れるためのものだったはずだ。虚しさを、別の虚しさで上書きするためのものだったはずだ。なのに、そこに、現在進行形の誰かの顔が入り込んでくるなんて。
ある夜、儀式の後、私はいつものように床に座り込み、膝を抱えていた。そして、ふと、自分の手のひらを見た。冷たい指先。この手で、私はずっと、自分自身を傷つけてきた。そして、これからも傷つけ続けるのだろう。
でも、もし。
もし、この手が、誰かの温かい手に触れることがあったとしたら。
もし、この冷たい指先が、誰かの温もりを知ることができたとしたら。
そんなことを考えて、私は自分で自分に驚いた。
ありえない。そんなこと、あるはずがない。
私は、誰かに触れることも、誰かに触れられることも、もう二度とないのだから。
それでも、その「もしも」が、ほんの小さな棘のように、私の心に刺さったまま、消えなかった。
その棘は、痛くはなかった。
ただ、そこにあるという感覚だけが、妙にリアルだった。
私は、その小さな棘の感触を確かめるように、そっと自分の手のひらを握りしめた。
外は、いつの間にか雨が降り始めていた。窓ガラスを叩く雨音が、私の部屋の静寂を、少しだけ優しく包んでいるような気がした。