冷たい触覚3
家に帰ると、またあの静寂が私を迎えた。でも、今日はいつもと少しだけ違った。高槻くんの笑顔と、「また」という言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
なぜだろう。あんな、ほんの些細な出来事だったのに。
私は無意識のうちに、バスルームへ向かっていた。そして、いつものように、浴槽の縁に座る。冷たい陶器の感触。
目を閉じる。でも、今日はいつものような過去の断片は、すぐには現れなかった。代わりに浮かんだのは、高槻くんの、あの屈託のない笑顔だった。
どうして?
その笑顔が、まるで異物のように、私の暗い心の中に紛れ込んできたような気がした。それは、心地よいものではなかった。むしろ、不快に近い。私の世界は、ずっと暗くて、冷たくて、静かなはずだった。そこに、あんな太陽みたいなものが入り込んでくるなんて、許されるはずがない。
私は、その笑顔を振り払うように、強く、体を角に押し付けた。いつもよりも、もっと強く。痛みで、他の全てを消し去ってしまいたかった。あの笑顔も、それに伴う名前のない感情も、全部。
「う……ぁ……っ……」
呻き声が漏れる。でも、今日はいつもと少し違った。痛みが、熱に変わる瞬間。その熱の中に、ほんの少しだけ、別の何かが混じっているような気がした。それは、甘美なものでは決してない。けれど、ただ虚しいだけでもない。
分からない。この感覚が何なのか。
儀式が終わった後、私は床に蹲り、自分の胸に手を当てた。心臓が、いつもより少しだけ速く、そして不規則に脈打っているような気がした。それは、高槻くんのせいなのだろうか。それとも、ただの私の思い過ごしなのだろうか。
その夜、私は珍しく夢を見た。
暗い、水の底に沈んでいく夢。どこまでも深く、冷たい水の中を、私はゆっくりと沈んでいく。息は苦しくない。ただ、体の感覚が少しずつ遠のいていく。このまま、溶けてなくなってしまえればいいのに。そう思った。
でも、沈んでいく私の手を、誰かが掴んだ。
温かい手だった。
顔は見えない。でも、その手の温かさだけは、はっきりと感じられた。
そして、目が覚めた。
窓の外は、まだ薄暗い。街のネオンが、雨に濡れたように滲んで見えた。
胸の中に、夢の残滓のような、微かな温もりが残っている気がした。それはすぐに消えてしまうような、儚い感覚だった。
私は、その温もりを確かめるように、もう一度、自分の胸に手を当てた。
指先は、まだ少し冷たかった。