第6話 樹海行進
イーロス祭当日、午前9時。ソドム達は、ジュナの森の東西を見回っていた。本来なら彼らの見回り時間は、6時で終わるはずだった。が、五日前に響いたあの叫び声の影響もあり、祭り当日だけは延長することになった。
もちろん、ほかのパーティーもいる。自分たちだけではないので、見回る負担自体は少ないのだが、それ以上に疲労がまだ残っていた。
疲労回復用の魔法薬は飲んだが、それでもまだ回復しきれていない。
「ギィィィィィィィ」
「火炎弾」
疲労で気が鈍ったソドムの首を狙い、爪で裂こうとした魔猿に火炎の弾丸が当たる。魔猿は声を上げる間もなく、一瞬で灰になった。
「サンキュー、サラ」
「気をつけなさいよ」
呆れたように言うサラに、感謝し、気を引き締めなおしてソドムは周りを警戒する。騒々しい魔物たちも、警戒の対象ではある。が、それ以上にここらにいるであろう、別の何か《《何か》》を警戒していた。
五日前の夕暮れ時、村全体に響き渡った悍ましい叫び声。あの正体はソドム達やほかのパーティーも、まだ掴めていない。ただ、彼らを襲う魔物とはまた別の口であることは、共通の認識だった。
「しっかし、いつにも増して騒々しいですね。もう、日昇ってますよ?」
個体差はあれど、魔物というのは本来、夜に多く出没するものだ。もちろん、昼にも出没することはあるが、ここまでということはない。
「というか、夜よりも多くない」
「そうだな」
襲ってくる魔鳥を斬り、突進してくる魔猪を魔術で焼き殺す。そんなことをソドム達は、もう何十回もやっている。
普通なら、ここまでやれば、魔物は姿を消す。なのに、ソドム達の前に現れる魔物は、時間が経つにつれ、多くなっていた。
ソドムは妙な胸騒ぎがしていた。どうしてかといえば、冒険者としての勘としか言えない。ただ、それでもこれは只事ではない。そう感じ続けていた。
「おい、お前ら。一回、ほかの冒険者と合流するぞ」
「マジですか?」
「あぁ、何となくだが、これはやべー案件な気がする。ほかの冒険者と合流して、対策を練ろう。場合によっては、応援を呼ぶぞ」
応援と言う言葉で、リガンは五日前に出会った新人冒険者を思い出した。彼にも応援に来てもらおうか、一瞬考えたがやめる。
あの少年なら、頼んだら躊躇なく来そうだとは思う。ただ、彼には危なすぎると思ったからだ。
周りにいる魔物を殺したところで、ソドム達は走り出そうとする。
その時だった。
背後から、リガンが心臓を突き刺されたのは。心臓に突き刺さっているのは、極太い木の根。悲鳴を上げる間もなく、抵抗する間もなく、リガンという冒険者の生涯はそこで終わった。
「火炎!」
この出来事に真っ先に対応しようとしたのは、ソドムだった。剣に炎を纏わせ、後ろを振り向きながら、斬撃を放つ。
並みの木々なら一瞬で焦がすだろう威力の斬撃は、襲い掛かってくる木々の根を、斬り焦がした。
普通の木の根だったら、それで終わっていただろう。だが、今回は違った。今彼らの目の前にある根は、一瞬で再生した。
「暴風ッッ」
その光景を見たサラは、荒れ狂う風で木々を押し出す。木々の根は、その衝撃で猛攻が一瞬だけ止まる。その隙をつき、ソドム達は逃げ出した。
目標は、ほかの冒険者パーティーと合流すること。合流し、襲ってくる木々を何とかする。あの木々の根を村に入れた、確実にマズい。だから、何としてでもここで食い止めなければならない。
ほかの冒険者パーティーがいる所を目指し、ソドム達はひたすら走る。ふと、そんな時に、後ろから血の匂いがした。いやな予感がしてソドムが後ろを振り向く。
視線の先にあったのは、数人の冒険者達の死体。身体のあちこちに、根が突き刺さりながら、どこかに引きずられていた。
★☆★☆★
イーロス祭当日、午前9時過ぎ。エドガーは、朝食を食べ終え、宿屋の部屋にいた。
任務を昨日で終え、本来なら帰ってもいいのだが、エドガーはイーロス祭を見るために残っていた。イーロス祭が始まるのは、15時から。それまでは、やることがない。
何をしようかとエドガーが悩んでいた時、誰かがドアをノックする。ドアを開けると、そこにはナミとナルだった。
「よぅ!」
「おはよう!」
「おっ、おはよう。2人とも。ところで、どうしてここにいるのかな?」
驚きながらも、エドガーは2人を部屋の中に入れ、話を聞いた。
「エドガー、最初に来た時、父さんに紹介されていただろ! だから、わかったんだ」
「宿屋の人にどこに泊まっているか聞いたんだ!」
「そういうこと。それで、何で俺のところに?」
不思議そうに聞くエドガーに、ナミとナルはキラキラとした目で言う。
「なぁ、エドガー。俺たちと一緒にイーロス祭を回ろうぜ!」
「エドガーさん、イーロス祭始めてなんでしょ。色々、紹介してあげる!」
「いいのかい?」
確かに、イーロス祭を見るのは始めてなので、エドガーも嬉しい。だが、本当にいいのかという不安もあった。
「大丈夫っ!」
「心配するなよ!」
頼もしげに胸を叩いているナミとナルを見て、ならお言葉に甘えようとエドガーは思う。それに、1人で回るよりも2人と一緒に回った方が楽しそうだとも思った。
「じゃあ、よろしくね」
「やったぁ!」
「任せろよ!」
エドガーの言葉に、ナミとナルは嬉しそうに飛び跳ねた。
★☆★☆★
「俺たち、この後用があるから、また後でな!」
「15時前に、家に来てね!」
「うん、わかったよ」
エドガーはナミとナルを、2人の家まで送り届けた。2人が家の中に入ったのを見届けると、エドガーは宿に戻ろうとする。
その時だった。
東の方、ジュナの森で微かに悲鳴のような物が聞こえた。人間が恐怖を覚えた時に挙げる、断末魔。その声にエドガーは森の方を見る。声は一瞬で収まる。誰が挙げたのか、冒険者か村人か。
そこまでは分からない。
エドガーはもう急ぎで剣や荷物を取りに行った後、声のする方向へ、一目散に駆けていった。
★☆★☆★
ジュナの森に入り、エドガーは鞘から剣を抜く。走りながら、悲鳴を上げたと思わしき人を探していると、後ろから足音がした。人にしては、重すぎる音に、エドガー警戒する。
すると、茂みから小柄な魔猪が飛び出してきた。尋常ではない速度で突進してくるのを、エドガーは危なげなく躱す。そのまま、戦闘態勢に入ろうとした。が、魔猪はそんなのには目もくれず、どこかへと駆け抜けた。
「何なんだ……」
信じられない光景に、エドガーは思わずそう呟く。魔猪というのは、魔物の中でも特に人を害しようとする本能が強かった。剣を構え、戦闘態勢を取っている人を目もくれないというのは、まずあり得ない。
そんなあり得ないことが、今エドガーの前で起きたのだ。
嫌な予感がする。悲鳴を上げた人物を早く助けに行きたいし、なるべく戦闘は避けたい。戦闘が起こらないのは、エドガーにとって本来有難いことのはずだった。
なのに、今回はそうは思えない。
避けた瞬間見た、魔猪の瞳。まるで、何かに魅せられているようで、正気では無かった。魔道具か、魔術か、何が原因かはエドガーには分からない。
ただ、分かるのはジュナの森で普通でない何かが起きていることだった。
エドガーは、魔猪が突進していった方へ向かう。悲鳴が聞こえたのも、そっちらの方面であった。その間、魔猪以外の魔物にも遭遇したが、彼らも魔猪と同じような状態だった。
走ってる間、エドガーは考える。悲鳴を上げた人物は、いったい誰に襲われたんだろう。興奮した魔物に襲われた、これ自体は考えられなくもない。ただ、現在人間など眼中にない状態の魔物が、襲うだろうか。
もしかしたら、魔物以外の何かが、この森で人を襲っているかもしれない。
そんな考えをよぎらせ、エドガーは剣を強く握りしめる。自分で対処できる範疇かは、分からない。ただ、それでも助けられる可能性があるなら、助けに行く。どんな敵がいるかはわからなくてもだ。
冒険者はいつだって、死と隣に合わせだ。だからこそ、は救える命は少しでも救いたい。
その事を胸に、エドガーは走しり続けている。そんな時、近い所で何か物音がした。
獣の足音というよりは、何かが引きずられているような音。
得体不明の物音へと、エドガーは近づいていく。戦闘態勢を取りながら、周囲を警戒しながら、慎重に。
ふと、足元に何かがぶつかった。そこに元からあったいうよりは、まるで何かに投げ出されたように。衝撃を感じ、エドガーは咄嗟に剣を構え、足元を見る。
そこにあったのは、五日前宿屋で話した冒険者サラの亡骸だった。
「──────ッツ」
見る限り、まだ死んでから時間は経っていない。もしかしたら、救えたかもしれない命を目の前に、エドガーは唇を噛みしめる。もう少し早く、来ていたら。そんな後悔が押し寄せ、立ち止まろうとするのを堪える。
ここで、立ち止まったらダメだ。救える命が、また救えなくなるかもしれない。それだけを胸に、エドガーは走り出す。
やはり前方からの引きずるような音は止まらない。エドガーに向かっているのではなく、魔物達と同じ方面に進んでいた。
このままでは、追いつけない。そう判断したエドガーは、呪文を唱えた。
「強化」
足に魔力を流す。呪文と共に、大幅に強化された筋肉は、今までよりも早い速度で森を駆け抜けていく。
風すら追い越せそうな速度で駆け抜け、ようやく音の主を視界に治めた。
それは、人の形をして無かった。手も足も、身体すらない。人種とも、魔物とも明らかに違う存在。土と葉に塗れた、無数の木の根《《木の根》》が蠢いていた。
「何だ……、あれ」
常識とは程遠い光景に、エドガーはそう呟かずにはいられない。
あれはどこから来たのか。エドガーはそれを必死で考える。ジュナの森にあんなのがいることは聞いたことがない。あれほどのがいるなら、この場所には上級冒険者が来ていてもおかしくはない。
なら、どこから来たんだ。混乱を抑えながらも、思考を働かせ、ふとある場所が思いついた。
ジュナベル樹海遺跡。
この森の地下にある、古代の小国の成れの果て。地下に沈み、魔術によって樹海その物と同化した、その国はすでに異界じみているとも称されている。遠い昔に様々な者が挑み、帰ることはなかったと言われている古代の遺跡。
エドガーは考える。もしあの根が、樹海遺跡から来たのなら、何故地上にあるんだろうと。
正体を推測できても、それでも常識外れた状況であることは変わらない。エドガーにとって、唯一安心出来ること言えば、魔物や木の根が村とは反対方向に向かっているくらいだった。
必死で走り、段々と木の根に追いつきそうになる。そんな時、エドガーの目はあるものを捉えた。
灰色の服に、鎧を着た厳つい顔立ちの男。エドガーが五日前に、宿屋で話した冒険者ソドムが木の根に捕まり、引きずられていた。
「ソドムさんッッ」
エドガーの叫び声に反応したように、ソドムの目が薄っすら開かれた。その光景を見て、エドガーはさらに速度を上げ、根に斬りかかる。硬さはそこでまでもない。だが、斬ってもすぐに再生するのだ。
魔術で何とかしたいが、下手したらソドムに当たってしまう。が、斬っているだけでは奥に進めない。どうしようかと、エドガーが考えていた時だった。エドガーの身体が浮いたのは。
「─────ッッツ!?」
突然のことに一瞬、気が動転するも、エドガーはすぐに冷静になる。日の光が段々と、消えていくのを見て、自分が地下に落ちているのだとすぐに気づいた。
遠ざかっていく空、遠ざかっていく木々。手を伸ばしても、届かない。そんな状況で、エドガーは小さく呟く。
「──────ごめん」
それは、一緒に祭りを回ろうと約束したナミとナルに対してかもしれない。
それとも、ブローチまで渡し、彼を案じているサキュラに対してかもしれない。
もしくは、いつも口先とは裏腹に彼を心配し、守ろうとしているリネスに対してかもしれない。
。 ─────あるいは、4人全員に対してかもしれない。
誰へ向けたかは分からない謝罪を口にし、エドガーは地下へと落ちていった。