第16話 たった一つの後悔
人面樹が死んでいる。あれだけ動いていた樹木が、木々の根が、蔓が、茎が、すべて停止している。一つの異界の終わりを見て、エドガーは何ともいえず座り込んでいた。
「大丈夫?」
そんな彼に、リーズは話しかける。背には、ソドムを背負っている。
人面樹の様子を見て、動くことは無いと判断した所だった。
「うん、大丈夫」
「いや、まったく大丈夫じゃないでしょ」
若干呆れを含ませながら、リーズはエドガーの身体を見た。エドガーの身体は、普通の人なら死んでもおかしくは無かった。左目は破壊され、右手はぐちゃぐちゃに斬られている。左の脇腹も穴が開き、両足は至る所に穴が空いてる。
痛みで叫んでもおかしくはない状態で、なおもエドガーは平然としていた。
「あんた、痛みとか感じない体質?」
「いえ? ハチャメチャ痛いよ」
「………感じてるのかい」
「まぁ、でもこれくらいなら死ぬことは無いですよ」
「本当に気になるんだけど、あんたどこでそんな身体になったの?」
自然と痛みを告白したエドガーに、リーズは驚きと呆れと心配、全てが合わさった声で問う。すると、エドガーはどこか苦虫を嚙み潰したような顔になった。気が抜けたような顔をしていることが多かったエドガーだからこそ、リーズはその顔を見て驚いた。
「…………まぁ、両親のおかげですね」
かなり複雑な感情が混じりあったように言うエドガー。その中に怒りと嫌悪があることを察したリーズは、それが真っ当な親子愛による物ではないことを理解する。
そして、エドガーにとって触れられてくないことであると思ったリーズは、それ以上言及することを止めた。代わりに、まだ意識を取り戻さないソドムの方を見ながら、言った。
「あの男、大丈夫そうよ」
「本当?」
エドガーは普段のような表情に戻り、そう聞いてくる。その様子を見て、リーズは安心した。
「えぇ。意識はまだ戻らないけど、木々の根に侵食されたような感じはない。1日くらいたてば、戻るとも思うわ」
「そっか、ありがとう。何から何まで」
どこか申し訳なそうにエドガーはそう言う。彼の中には、リーズは巻き込んでしまったと思っているのだろう。それなのに、頼りっぱなしだという自責があるのだろう。それを察しながらも、リーズは不要だと言わんばかりに首を振る。
「別に。それより、状態がやばいのはあんたよ」
「えっ」
「何、驚いてんのよ!? このままだとワンチャン、死ぬわよ」
「えっ」
本気で焦るような顔をするエドガー。その顔を見て、リーズは安心した。エドガーが死ぬのが嫌ではないと思っているのが嫌だったからだ。
「……てっきり、あんた他人のためなら死んでもいいと思ってると思ったわ」
「いや、全く?」
ほぼ即答したエドガーに、リーズは驚く。彼の今まで聞いた動機は、どれも他人のためだったらからだ。他人のために、命を危険を晒してまで進んでいたエドガーが、即答するとは予想していなかった。
目を見張るリーズに、エドガーは慌てたように訂正する。
「もちろん、他人にも死んでほしくないよ。助けられそうだったら、助けたい。でも、俺は死ぬつもりはないよ」
「その理由は?」
「リネスさんが悲しむから」
リーズが聞いたことない名前。ただ、それでも声色だけでエドガーにとって大切でかけがえのない人物だと分かる。
「俺が死んだら、リネスさんは悲しむ。それに、俺はリネスさんの隣りに立って、一緒に人生を歩みたい。だから、それまでは……………、リネスさんが死ぬまでは、俺は死ねない」
「そう………」
強い信念を感じさせる言葉。そこにどこか危うさすらを感じさせ、リーズは不安になる。
エドガーはリュックサックから魔法薬を取り出し、飲む。リネスから貰ったよりも効果が薄い物であるが、気休め程度にエドガーは飲む。リーズにも数本渡すが、断った。それは、エドガーが飲むべきだと判断したからだ。
仕方なくエドガーは、それらのも飲み干し、ソドムを背負おうとする。それをどかし、リーズは自ら背負った。
「あんたは前を歩きなさい」
リーズは地上へと続く出口を見据えながら、そう言う。エドガーは申し訳なさそうにしながら、前に進んだ。その背中にリーズは投げかける。
「エドガー」
いつにもなく真剣な言葉に、エドガーは少し振り向いた。
「あんた、そのリネスって人が先に死んでも、後を追うんじゃないわよ。ちゃんと、生きなさい」
リーズの心底からの言葉。彼女にとって、エドガーは死んでいい存在では無くなった。永遠は無理でも、出来る限り生きてほしい。そんな思いでエドガーに言う。
それに対してエドガーは言葉を発さず、出口へと歩き出す。こういう所では、必ず何か反応をしめしそうでありながらの無言。それが、一種の答えのようにも思えて、リーズが胸が苦しくなる。
★☆★☆★
リーズとエドガーは出口を歩いていく。思ったより長い通路を2人は無言で進んでいた。お互いに遠慮するような空気。それを最初に破ったのは、エドガーだった。
「ねぇ、リーズさん」
「…………何?」
「なんか、音しません?」
どこか警戒するように呟くエドガーに、リーズも耳を立てる。確かに、前方の頭上から小さな音がした。
そして、刹那、上から何かが出て来た。花にも木にも見える何か、よく見ると頭上に人間のような顔が複数映っている。
「………下がってくださいッ」
そして明らかな敵意を感じ取ったエドガーが、リーズにそう言い放ち、目の前の敵に駆けた。骨が砕けていることもあり、先よりも遅い動きにリーズは不安になる。が、ソドムを背負っていることもあり、真っ先には動けない。
急いで、ソドムを降ろそうとする。その瞬間だった。
──────エドガーの首が斬られたのは。
「……えっ?」
何が起きたかのか分からないように、エドガーはそう呟き、倒れていく。首は辛うじて繋がっているも、血は今までにない量で噴き出している。同時にエドガーの剣も折れ、地面に音を立てて、落ちていく。
空間を紅で染めている様子を見て、リーズはようやく何が起きたのか理解する。
まだ生きていると判断した目の前の敵は、容赦なくエドガーに攻撃をかける。必死でそれを止めようと、リーズは駆けた。が、その攻撃が来ることはない。
刹那、目の前の敵が斬られた。再生しようとする敵になおも、無数の風の斬撃が放たれる。もう原型はないくらいに刻まれたそれは、ようやく敵を再生を止めた。
倒れていく敵の死体を、今にも朧気な意識でエドガーは見ている。真っ先に映る自身の血に、死が近く感じる。それでも、気力を必死で振り絞った。まだ、死ぬわけにはいかない。そう思い、前を見据えた。
死体の先。光を背負って、立っている人物。その姿を視界に捕らえて、エドガーは驚く。小柄で華奢な身体。輝く美しい銀髪に翡翠の瞳。尋常でなく白い肌に、エルフの耳を持つ女性。
エドガーが誰よりも大好きで、大切な人物がそこにいた。
ふと思う。最初に会った時とそっくりだと。あの時もエドガーは、死にかけのところを助けてもらったのだと。ただ、違うのは、その人物の表情が見れたこと。
可愛くて、綺麗な顔が悲痛に歪んでいる。そして続けざまに来る、今までに聞いたことのないような叫び声。エドガーの名を叫びながら、駆け寄ってくる。
意識が暗くなっている中で、頬に何かが落ちてくるのをエドガーは感じた。その正体を察したエドガーは、何か言おうとするが言葉が出ない。
ソドムも助けられ、人面樹を倒せた。無事に一つの命を助けられた状態でありながら、エドガーは悔いが心の中に生じる。
─────貴方にそんな顔をしてほしかった訳じゃないんですよ
きっと、言い訳にもならない言葉。それを紡ぐことなく、エドガーの意識は消えていく。自身が死ぬかもしれないのを後悔しながら。




