第1話 彼のスタート
暗い洞窟じみた迷宮。その中層で、少年が頭から血を流しながら駆けている。頭から尋常ではない痛みが、少年を襲い続ける。だが、そんなことは構わないと言わんばかりに走り続けていた。まるで、何かから逃げているかのように。
おそらく、この場に常識ある冒険者がいたら、少年がこの迷宮にいる事を驚くだろう。少年の年齢は、本人も詳しく知らないが、だいたい9歳くらい。本来なら冒険者として活動できる歳ではないのだ。
だが、少年は普通の冒険者と並べるくらいにかなりの経験があった。迷宮に潜るのだって、少年にとって初めてではない。
いつも道具として、少年を連れていく男とその仲間とともに、迷宮に潜っている。今いる迷宮も同じように、入った。
ほかの同じくらい歳の子供だったら、迷宮というのは怖い場所であるだろう。探せば、財宝や古代の道具などがあるかもしれない。ただ、それと同時に迷宮内には危険が付き物だ。
だが、少年にとって迷宮というのは怖い場所では無かった。 何度も盾にされたり、囮にされたりしたが、命の危機を感じたことはない。それは、少年が人よりも頑丈であった所も一因だろう。
すでに慣れ切った場所である迷宮。そんな場所で、少年は人生始めて恐怖を感じていた。
足が痛い。
かなりの時間、迷宮内を走ったこともあり、少年はそう感じ続けている。本来は、足を止めて休むべきなのかもしれない。だが、少年には今、足を止めるという選択肢は無かった。
後ろから、少年を殺そうと追い続ける異形の怪物。ここで足を止めたら、少年は異形の怪物に殺される。だから、少年は足を止めるわけにはなかった。
逃げ続けている中で、少年の脳裏に映る死体。それは、少年と共にこの迷宮に入った冒険者とその仲間。
彼らに道具として、扱われた少年はその強さを一番知っていた。様々な迷宮を難なく潜り抜けてきており、少年の倍は強い。
そんな彼らが一瞬で、異形の怪物に殺された。
彼らは何の抵抗もできず、異形の怪物に潰された。まるで、五月蠅い蟲を払うかのように。それを見た瞬間、少年は動けなかった。彼らが一瞬で死んだことへの、驚きで。
そんな少年を、異形の怪物は見逃すはずがない。呆然と突っ立っている少年を、壁に叩きつける。普通の人間なら死んでしまうだろう一撃。だが、少年は尋常ではない頑丈さと生命力で生きることが出来た。
壁に叩きつけられた衝撃と共に、少年にある感情がこみ上げる。それは、自分が死ぬかもしれないという恐怖だった。
今まで感じたことの無い未知の感情。それに突き動かされ、少年は全速力で異形の怪物から逃げ続けていた。
──────怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、死ぬのが、怖い‼‼
とっくに枯れ果てたはずの喉で、叫びだす。少年に初めて芽生えた、死への恐怖。そして、それを成せる異形の怪物から少年は必死で逃げる。
護衛用の剣も、持っていた大量の荷物も、すべて捨てて、必死で逃げる。
だから、少年は迷宮内の地図を持っていない。どこか出口かもわからないまま、闇雲に逃げていた。
そんな少年の目の前に、分かれ道が現れる。少年には、どちらかが正解なんてものは分からない。ただ、少年は生き残るために、どちらに行こうか決めようとする。その時だった。
突如として少年の身体に、衝撃が走る。後ろからの人間とは思えない圧力、それとともに来る痛み。
目の前に迫る壁を見て、少年はようやく異形の怪物に飛ばされたのだと気が付く。そして、それと同時に彼の顔面から手、足すべてに駆けて、尋常ではない激痛を襲った。
意識が朦朧とする。全身に激痛が走り、動かすことが出来ない。だが、それでも生き残ろうと目をこじ開ける。生き残ろうとする、せめてもの生存本能で少年は起き上がり、異形の怪物を見る。
その視線に気づいた異形の怪物は、確実に息を止めようと拳を振り上げる。
もう終わりなんだ。
その様子を見た少年は、そう思った。死の恐怖は、この段階で諦めに代わっている。漠然と少年が自身に振り下ろされる拳を見ている。
その時だった。
「烈風槍」
ふと少年の耳に声が届く。あんまりにも純粋で、綺麗で可愛らしい声に少年は思わずには居られない。あぁ、もっと早く聞きたかったなぁと。
それと同時に、異形の怪物は消え、ぐしゃりという音が少年の耳に届く。が、少年にとってはどうでもよくなっていた。
誰かが少年の元に駆け寄る。まるで、自身のことを心配するかのように急いで駆け寄る音に、少年は妙な気分になる。それは、今まで心配されたことが無かったからだろう。
だから、少年は気になった。自分を心配してくれる、綺麗な声の主が。気力を振り絞って、少年は目をこじ開ける。
そこにいたのは美しい女性だった。
小柄で華奢な身体。暗い中で輝く、美しい銀髪。宝石を思わせる翡翠の瞳。肌は誰よりも雪のように白く、人間よりも長い耳を持つエルフの女性。
その女性がどんな表情をしているかは少年には分からない。血を流し過ぎて意識が朦朧とし、目もぼやけて居るからだろう。
ただ、そんな中で体を包み込むような安心する温もりと、
「───あぁ、よかった」
今にも泣きだしそうな声が聞こえた。
★☆★☆★☆★
「───おいっ、起きろって」
聞きなれた声がエドガーの耳に入る。その声を聴き、エドガーは目を開ける。そこに映ったのは、彼の友人だった。
────あれっ? 俺迷宮に居なかったっけ
寝ぼけた意識でエドガーがそう思っていると、友人であるゴルの声が耳に届く。
「お前さぁ、卒業式に寝るなよ」
呆れた声で言われる卒業式という言葉に、エドガーは思い出した。自身が、今まで通っていた冒険者養成学校の卒業式に出席していることに。
冒険者養成学校とは、名前の通り冒険者を養成する学校である。
冒険者。依頼を受け、様々な仕事をこなす職業。その中には、迷宮探索や遺跡探索など未知の世界に踏み込むものもある。危険と紙一重の中を駆け抜ける者たちを、何百年も育成し、送り出している。
そして、エドガーも今年送り出される生徒の一人であった。
「おい、エドガー。お前、普段は居眠りなんてしないだろ」
「うん、徹夜して」
「お前が? 珍しいな、いざ卒業って思ったら、緊張したのか」
「あぁ~、いやぁ……」
事実を言おうか迷っている時、エドガーは鋭い視線を感じる。視線の主の正体を察したエドガーは、大喜びで探し出す。
そして、エドガーは来賓の中で一人の女性を見つけた。
来賓の中でも、特に小さく華奢な身体付き。綺麗な銀髪に宝石を思わせる翡翠の瞳。綺麗な顔つきをした、エルフの冒険者リネスは鋭い視線でエドガーを見ていた。
その顔を見たエドガーは、思わず声を漏らす。
「綺麗だよねぇ、リネスさん……」
「まぁ、綺麗なのは俺も思うが」
「だろう?わかってるじゃないか……」
「けどよぉ、どう見てもお前のこと睨んでる………」
見とれているエドガーも、リネスに睨まれていることは百も承知。それでも、自分を見ているということ自体が、エドガーは嬉しかった。
養成学校を卒業する冒険者の卵にとって、リネスは憧れの的だった。というのも、リネスは2人しかいない最高位のランクの冒険者であるのだ。世界を脅かすテロリスト集団の壊滅の協力や、難関迷宮の攻略など様々な功績を打ち立てて来た。
今、リネスもエドガーもそんな、リネスに憧れている一員と思われがちだが、彼は少々違う。
9歳の時、とある事をきっかけにエドガーはリネスと出会い、今はリネスと一緒に暮らしている。なので、ほかの冒険者の卵たちによりエドガーは、リネスの事をよく知っていた。
ふとエドガーの脳裏にリネスと出会った瞬間が再生される。記憶の中と視線の先にあるリネスは、何も変わってない。エドガーはずっとリネスのことが好きだ。だから、リネスがどんな視線で見ようとも、リネスに見られているという事自体が嬉しかった。
「綺麗だなぁ……」
「あの目で見られても、その言葉が出るお前のこと尊敬するわ……」
★☆★☆★☆★
卒業式が終わり、エドガーはゴルと学校のベンチで話していた。卒業式の話になり、ずっとリネスのことを見ていたエドガーを、ゴルは呆れたように見る。
「お前って、ずっと懲りないよな」
「懲りることも、諦めることもないね」
あれほど鋭い視線で睨まれ、普通の人ならショックを受けるかもしれない。だが、エドガーはリネスが自分を見ているというだけで、舞い上がりたくなるほど嬉しいのだ。
「そりゃ、リネスさんは美人だと思うぜ」
「でしょ?」
「でも、もう少し胸が欲しいな。いや、ないってわけじゃないけどよ。デカくもねーじゃん?」
「それは好みの問題だね」
確かに、リネスの胸は別に大きくはない。貧乳と言うわけでもないが、世間で言われるような巨乳でもないだろう。その辺は、エドガーもわかっている。
ただ、エドガーにとってそんなことはどうでもいい。仮にリネスの胸が大きくても、今より小さくても、エドガーはリネスに対する感情は変わらない。
要は、胸の大きさなど、エドガーにとっては些細な問題なのだ。
「あのね、女は胸の大きさだけが全てじゃないのよ」
2人の頭上から、聞き馴染みのある声がする。エドガーとゴルが見上げるとを向くと、桜色の髪をポニーテールした、可愛らしい顔立ちの少女サキュラが真上から覗き込んでいた。
「そりゃあ、お前が言うと説得力ねーよ」
そんなサキュラを見た、ゴルはそう言いながらも主張が激しい胸をガン見する。そんなゴルの頭をサキュラは軽く叩いた。
「いてっ。何すんだ」
「女の胸をガン見するなんて、下品なのよ」
「別にお前の見ても、そんな気は起きねーよ」
その言葉を聞いたサキュラは、さらに強めにゴルの頭を叩く。今度は、隣のエドガーにも音が鮮明に聞こえるレベルで、拳が放たれた。
「今のは、ゴルが悪いよ」
ベンチに伏せているゴルを見ながら、呆れたようにエドガーは言う。思ってたとしても、口には出すなよと、エドガーはそう思う。そんなエドガーに対し、サキュラは顔を近づける。その顔はどこか嬉しそうだった。
「エドガー君、昨日ぶりね」
「そうだね」
「にしても、もう卒業かぁ。早いよね、気づいたら卒業って感じだよ」
「それは、俺も同じだよ」
「私、エドガー君が入学の時の様子、覚えてるよ。ほら、リネスさんに引きずられて来てたでしょ」
「あぁ~、見られてたかぁ」
エドガーはどこか恥ずかしくなりながら、入学式のことを思い出す。
3年前、エドガーは冒険者養成学校に入学した。その際に、エドガーは学校の校門前で、立ち応じしたのだ。ずっと前から入りたかった学校に入れるという、嬉しさと緊張で。かなりの長時間立ち続け、最終的に痺れを切らしたリネスが、エドガーを引きずった。最終的には、そのおかげで、エドガーは入学式に無事間に合ったのだ。
エドガーは引きずっているときのリネスの顔を思い出す。かなり苛立っていたなと思い、エドガーは迷惑をかけたことを反省した
「3年間、ここで学んだけど、私たちって冒険者っぽくなっているかな」
過去を思い出していたエドガーの耳に、サキュラの声が入る。エドガーは、少し考えながらも声を出す。
「どうだろうね。きっと、まだまだひよっこだと思うよ」
「そうだよねぇ」
エドガーの言葉に、笑みを浮かべながらもサキュラは同意する。養成学校で学んでいるとはいえ、サキュラも堂々と冒険者と言えなかった。単純に、冒険者としての経験がないからだろう。
「ねぇ、エドガー君」
「どうしたの?」
「私、冒険者としてやっていけるかな」
明日から、正式に冒険者になるという嬉しさと同時に、不安を感じている声。普段、前向きなサキュラにしては珍しい。だが、そう思うのも無理はないなとエドガーは思う。
彼らは冒険者の心得を養成学校で一通り学んでいる。いきなり冒険者になる人よりも、遥かに知識と経験がある。
だが、そこで得た経験は、あくまで学校で庇護されている時のことだ。教師たちにより、彼らは守られており、命の危険は無かった。
が、明日から違う。もう彼らを守ってくれる教師はいない。自分の身は自分で守らなければならない、例え誰かが彼らを守ろうとしても容赦なく命を落とす。
だから、そんな世界で自分はやっていけるかそんな不安がサキュラの中にはあるのだ。そんな彼女を前に、エドガーは必死で言葉を探す。
エドガーも彼女がやっていけると断言することは出来ない。ただ、少しでも励ましたい。そんな思いでエドガーは言葉を探し続ける。
そして、彼は慎重に言葉を選びながら、サキュラに言葉を投げかけた。
「きっと、やっていけると思うよ」
「………」
「そりゃあ、さ。サキュラが任務中に死なないとは言い切れないよ」
エドガーは、そう話しながらもある光景を思い出す。
それは、エドガーがリネスと出会った時の話である。当時、彼はとある冒険者の道具として迷宮や遺跡に行っていた。
その頃は、エドガーにとってあまりいい思い出ではない。なので、エドガーはリネスと出会った瞬間以外は思い浮かべたくないのだが、今だけはふと思い浮かべた。
それは迷宮内のことだった。エドガー達は順調に迷宮内の探索していた。だが、突然の出来事が起きた。本来、迷宮にいるはずがない異形の怪物に遭遇し、襲われたのだ。
とはいえ、突然の出来事は冒険者でもよくある。予想外の出来事に、彼らは慌てず挑もうとした。
それは、一瞬だったとエドガーは思いだす。
ぐしゃりと何かが潰れるような音がし、エドガーはふと壁を見た。もうどういう顔だったかも、身体つきだったかも分からないほどに潰れてしまったモノ達。
それが、自分を道具して使っていた冒険者達であると分かるのに、エドガーはさほど掛からなかった。
その後、どうやってその場から逃げ出せたかはエドガー自身も覚えていない。追ってくる異形の怪物から逃げることに必死だったのと、リネスに助けられたことしか、エドガーは覚えて居なかった。
自分は幸運だったとエドガーは思う。たまたまリネスに見つけられたことで、命が助かった。リネスに出会わなければ、きっと今頃いなかった。
逆を言えば、当時一緒にいた冒険者達は運が悪かったとエドガーは思う。当時、彼らは警戒を怠っていたわけではなかった。準備は入念にしていたし、状態も万全だった。
ただ、運がなかったのだ。たまたま本来いるはずのない怪物が、彼らがいる層に突然現れ、遭遇したという話だ。冒険者協会すら観測して出来なかった事態だった。
ようは、そういうこともあるという話だ。どんなに準備をして挑もうが、どんな状態であろうとも、死は突然降りてくるのだ。それは、エドガーが一番わかっている。
エドガーがサキュラに死んでほしくないと思っていても、彼の知らない所で死んでしまう場合もあるのだ。
「冒険者なんていつ死ぬか分からない。どんなに準備しても運が悪くて死ぬ、そういう職業だからね」
「………」
「でも、君なら出来ると思うよ。たとえ、依頼で死ぬ時が来ても、その時まで冒険者として動けると思う。君なら、出来る」
この言葉で不安を拭えるかは、エドガーには分からない。ただ、これが精一杯だった。彼が、必死で探し、サキュラが少しでも不安をなくせるようにかけた言葉だった。
少なくとも、その言葉に嘘はない。
「うん、そっか」
「………」
「ありがとう、エドガー君」
エドガーに向けられた、明るげな笑み。その笑みを見て、不安を少しでも拭えたのかもしれないとエドガーは安心した。
★☆★☆★☆
「そういえばさ、お前ら冒険者として何したい?」
サキュラが明るくなった後、気を失っていたゴルが意識を取り戻し、聞いてくる。
「私、魔石光殿に行ってみたい」
サキュラは憧れるように、そう言う。
魔石光殿とは、中立地帯モノストーンにある魔法迷宮だ。創った人物、年代は一切不明であり、世界三大難解迷宮の一つに数えられている。迷宮内が黄金の魔石で作られており、様々な仕掛けが施されている。
「あそこ、行けるようになるには、ランクが上でなきゃダメだろ」
「そっ、だから頑張らなくちゃ。ゴルは何かやりたいことでもあるの?」
「あー、俺はだな。俺は……」
「俺は?」
「金銀財宝を探すんだよ! 目標は億万長者だ!」
「いいね、それ」
「次はお前だぞ、エドガー」
「あっ、俺?」
「エドガー君は何をやりたいの?」
サキュラとゴルの話を聞き終えたと判断したゴルは、エドガーに聞く。聞かれたエドガーは迷いなく、すぐにあることを思い浮かべた。
エドガーのやりたい事は二人とは違った。彼は、冒険も財宝を発見したりするのも、嫌いではない。少なくとも、嫌いだったら冒険者にはならないだろう。
ただ、彼の場合はどこを冒険したいという思いは無かった。というよりも、ある人物と冒険したいという願いがあった。
「俺はね───」
エドガーが一切の迷いなく、自身の夢を語ろうとする。が、その口は閉ざされた。エドガーに視界にある人物が、映されたからだ。
校門の柱に寄りかかり、エドガーを見ている人物。綺麗な銀の髪、宝石を思わせる翡翠の瞳、冒険者にしては小さく華奢な身体つき。エドガーのやりたい事の答えともいえる人物、リネスがそこにいた。
★☆★☆★☆★
「お前は先達の言葉を聞こうとしないのか」
エドガーは2人に別れを告げ、猛スピードでリネスの元に駆け寄った。抱き着きそうな勢いで駆け寄ってくるエドガーを、リネスは舌打ちにしながら止めた。
「だいたい、卒業式に寝るとはなんだ。卒業生としての自覚はないのか?」
「すみません」
リネスを見れて嬉しかったが、寝てしまったことはエドガーも反省している。寝るつもりはなかったが、いつの間にか意識が落ちていたのだ。
エドガーとリネスは二人で帰路についていた。そんな中で、エドガーはふと前を歩くリネスの背中を見る。
出会ってから、数年間。ずっと、彼を支え続けている背中。普通の女性よりも細身の身体に、エドガーはずっと頼り続けていた。だからと、エドガーは思う。もっとリネスさんに頼られたい。
そう思いながら、見続けているとエドガーの視線に気づいたリネスが振り返る。
「視線が煩い。喋りたいことがあるなら、その煩い口を開け」
「貴方の顔を綺麗でと思ってます」
「何度目だ?そんな言葉、とっくに聞き飽きた」
「本気で思ってますから。何度でも伝えますよ」
「勝手にしろ」
リネスはそう吐き捨て、再び前を向く。どこか先を急いでるように足を速めた背中を、エドガーは同じように足を速め追う。
今は見えないが、綺麗で、可愛らしい顔。その顔を思い浮かべるたびに、リネスのことを思うたびに、エドガーは何度でも恋焦がれる。
エドガーとリネスが出会ったのはとある迷宮の中だった。
迷宮の中で死にかけていた彼を、リネスが助け出した。その時から、エドガーはずっと彼女の背中を追い続けている。
いつだってその背中を見るたびに、エドガーは思う。彼女の隣りに立ちたいと。
エドガーはリネスが自分をどう思っているかは、詳しくは知らない。ただ知っているのは、彼女が自分を大事にしていることだった。
リネスとエドガーが暮らしてから、数年間。彼は、孤独を感じたことがない。家に帰る度に、家の中にいるたびに、リネスの存在を彼は感じ続けている。エドガーはリネスと暮らしてから、ずっと満たされている人生であった。
だが、ふとエドガーは思うことがある。果たして、リネスはどうなのだろう?
リネスが任務から帰ってくる時、エドガーはいつもいの一番にリネスのことを冒険者協会の前で待っていた。
冒険者という職業上、いつも万全の状態で帰ってくるわけではない。それはエドガーだってわかっている。ただ時々、怪我させた敵に殺意を覚えたことがあるが。
怪我をした状態で帰ってくる時、リネスはいつも痛みも辛さを見せない。それは、エドガーにそうであるし、ほかの冒険者もそうだ。
その姿を見て、憧れる者もいる。だが、エドガーの目にはそれが無理しているように見えていた。だから、エドガーは彼女の隣に立ちたい。一生、リネスの隣りに立ち続け、彼女と共に歩きたい。
そして、リネスが痛みを見せられるような存在になりたい。それが、エドガーの願いだ。
その中に恋心が入り込んでいるのは事実である。だがそれでも、リネスを幸せにしたいという思いはエドガーの中に、しっかりとあるのだ。
エドガーとリネスは家の前についた。中に入ろうとするリネスを、エドガーは止める。
「リネスさん。言いたいことがあります」
「何だ」
エドガーはずっと、決めていたことがあった。養成学校を卒業したら、冒険者になったら、ずっとやりたいことがあった。ずっとリネスに言いたいことがあった。
息を吸う。早く言えと言わんばかりのリネスの顔を見ながら、エドガーは神経全てを集中させる。
息を吐く。ずっと前から、考えていた言葉を一言一言間違えないように、思いが届くようにエドガーは言葉を吐き出した。
「リネスさん、貴方のことが好きです」
「いつものか」
呆れたように戻ろうとするリネスは、エドガーは押しとどめる。
「すみません。もう少し、もう少しだけ待ってくれませんか」
「なんだ」
「俺は、貴方の隣りに立ちたいです。貴方の人生を隣で、支え続けたいです。冒険者としても、一人の人間としても一緒に生涯を過ごしたい」
その告白を聞いたリネスは彼の方を見上げずに俯いている。どんな表情を浮かべているかはエドガーには分からない。
ただ、リネスに自分の思いが伝わってほしい。そんな気持ちで、エドガーは返事を待っていた。
長きにわたる沈黙が二人の間に続く。それを最初に破ったのはリネスだった。
「……………つまりだ。お前は、私と冒険者として一緒に組み、生涯としてパトナーとしても付き合いたいと言うことだな?」
「はいッ!」
リネスの言葉に、エドガーは勢いよく答えた。自分の言葉はしっかり届いた。そのことに、エドガーは喜びがこみ上げてくる。
が、リネスはその喜びを消すかのように言葉を放つ。
「お前はどこまで現実を見てないんだ?」
淡々としたリネスの言葉。それを聞き、エドガーは息が詰まる。拒否られる覚悟はしていた。だが、いざ実際に陥るとそんな覚悟が消し飛んだ。
そんなエドガーの様子を見ながら、リネスは言葉を続ける。
「私と冒険者として一緒に組みたい? 現実を見ろ、そもそもお前冒険者登録すらしていないだろう。仮、したとしてもお前のランクは何だ? 最低ランクからだろう。私は、一番上のランクに位置している。たとえ、組んでもお荷物しかならん」
冒険者というのは、七つのランクがある。一番下から、紫・藍・碧・翠・黄・橙・紅である。
通常、冒険者というのは仲間を組んで活動することが多い。が、組む仲間というのは、は同じランクか近いランクで決める。
たまに、育成目的として上のランクを同じパーティーに招き入れることがある。ただ、それは見込みがあるものだけだ。パーティーに入れることで、将来役に立つと考えた際だけだ。
ようは、そんなこともない限り、圧倒的に上のランクの者が下のランクの者を仲間にすることはないのである。
エドガーはリネスの言葉に納得する。たとえ、自分がどんなに経験があろうとも最初は、一番下である『紫』から始まる。対して、彼女は最高ランクである『紅』。リネスが、エドガーと組む道理などないのだ。
エドガーは馬鹿だったと思う。そんな当然のことに思い浮かばなかった自分に、腹が立った。
「だいたい、私はお前が冒険者になることなんて反対だった。冒険者にならず、ここら辺の街で適当に、呑気に暮らしていれば良かったんだ。お前がどうしてもというから仕方なく許可したのだが、そんな戯言を吐くくらいなら許可するのではなかった」
表情は相変わらず、見えない。どこか早口で、リネスはそう言う。その言葉にどう言えばいいのか分からず、エドガーはずっと黙っていた。
「私の隣にいたいなど冗談にすらならない。お前は、ずっと私の背中を見ていろ。冒険者としてもだ。下位ランクの依頼を受けながら、呑気な面で過ごしているのがお似合いだ」
最後に吐き捨てるように、そう言ったリネスは今度こそ、家に戻ろうとする。が、その背中にエドガーが声をかけた。
「あのっ、もし俺がリネスさんと隣に立てるくらいに強くなったら、告白を受け入れてくれますか?」
今の自分は、どう見ても力不足だとエドガーは思う。
だから、強くなろう。一人で強くなり、リネスさんが頼られるような、そんな人間になろう。エドガーはそう決意した。
「ふん、お前が? 不可能だな」
「不可能じゃありませんよ。貴方と並べるように、俺は強くなります」
リネスの瞳に映るエドガーの顔は意思を固めたような顔だった。どう言っても変えることのない顔。リネスはそれをわかりながらも、その決意を潰すように言葉を口にする。
「なら、そうだな。私の隣りに立ちたければ、同じランクに来い」
「同じランクってことは………」
「そうだ。冒険者の最高ランク『紅』、現在私含めて二人しかいないランクだ。まぁ、お前では到底不可能だろうな」
すでに決めつけるような物言い。そう言うのも無理はないとエドガーは思う。彼だって、知っているからだ。最高ランクである『紅』になるのが、どれだけ大変なことであるかを。
だが、エドガーは諦めない。そんなことで、諦めがつけることはエドガーにはできない。
「いいえ、なってみせます。俺は、絶対に貴方と同じランクになり、隣に立ってみせます。そして、貴方と恋人として付き合います」
「………そうか。なら、勝手にしろ」
その言葉を最後に、リネスは本当に家の中に入った。エドガーはその背中を見つめた後、リネスとは逆方向へ走り出した。
すぐにでも、冒険者になれるように準備をしに。