9 修羅場
扉が開いて、屋上に一組の男女が姿を現した。
「「えっ?」」
中井君と僕の彼女の詩織が二人で屋上に現れたのだ。僕と詩織、お互いに姿を確認して固まってしまった。詩織は目を大きく見開いて驚愕の表情で僕を見つめている。隣には中井君がいる。健全な男子高校生の敵、中井君が詩織と肩が触れ合いそうな距離で立っているのだ。
『健全な男子高校生の敵』中井君は、残念ながらイケメンであるらしい。教室でそう女生徒達が話しているのを聞いたことがある。廊下に貼り出されるテストの順位を見る限りでは、麻里香さんには全く歯が立たないが、それでも頭脳明晰である事は認めざるを得ない。さらに、爽やかで話も面白いと先ほどの女生徒達は言っていた。女生徒達に囲まれてニコニコしている姿を目撃した事もある。簡単に言うと、中井君は嫌な奴なのである。
その中井君と詩織が一緒に屋上に現れたのだ。
「詩織、どうして中井君と一緒に屋上に来たのかな?」
詩織に理由を質した。
健全な男子高校生にとって屋上とは、甲子園と並ぶ許された者だけが立ち入る事のできる神聖な場所である。そこに男女二人で来ると言う事は、そう言う事かと勘繰られても仕方の無い行為なのだ。
「ち、違うの。これは違うの。でも、優くんこそ、ここで何をしているの?」
「へっ?」
僕の質問がまるで巨大ブーメランの様に帰ってきた。
失念していた。今の僕の状況を完全に失念していた。『何をしていたの?』と聞かれても、自分でも何をしていたのか良くわからない。唐揚げを食べていたとしか答えようが無い。ただ、ハッキリと分かることもある。
今僕は神聖な屋上にいる。両腕には愛衣さんと麻衣さんがくっついており、背後には麻里香さんが僕のお腹に両腕を回して抱きついている。そして目の前では、明日香が僕に唐揚げを差し出している。
僕には隠れて付き合っている詩織という彼女がいて、今それを見ている。それとこれとは話が全然別では無い。詩織には僕のこの状況がどう見えているのだろうか。変な勘違いをしてしまう恐れが十二分にある。だから、きちんとした説明をしておかなければならないのだ。
「ち、違うんだよ、詩織。これは違うんだ。ちゃんと説明するから聞いてね。
僕と明日香は家が隣同士の幼馴染なんだ。君も知っているとは思うけど、明日香は『お料理上手』と言われるくらい小さい頃から料理が好きで、中学校二年の時まで僕がその試食係をしていたんだ。
それで今日、しばらくぶりの新作唐揚げが出来たから試食して欲しいって依頼されたので、僕は今ここにいるんだけど、ここに来たら目眩がして倒れそうになったんで、愛衣さんと麻衣さんと麻里香さんが僕を支えてくれたんだ。今はそういう状況なんだよ。
で、これから試食するところだったんだけど、君も一緒に試食してみようよ、詩織。」
所々に嘘を散りばめて、時系列をちょっといじって、最後に論点を変えて、こういう嘘はつき易いし、心が咎めない。嘘も方便である。桃にしては上出来だと思ったのだが、
「ヤダ、アンタなんかにあげない。さっきから優くん、優くんって馴れ馴れしいのよ。関係無い人はあっち行ってて。」
明日香が振り向いて詩織に向かってヒステリックに叫んだ。小さい頃から一緒にいて、こんな明日香は初めて見た。箸の先で唐揚げがブルブル震えている。
詩織が言い返す。
「関係ならあるよ。私、優くんの彼女だもん。」
「えっ。」「えっ。」「え〜っ。」「はあぁ?」
ついでに今まで沈黙を守っていた中井くんまで、
「えーっ。」
全員の視線が僕に集まった。だから正直に答える。
「隠してたけど、黙ってたけど、騙すつもりは無かったんだよ。あのね、僕は詩織と付き合ってる。詩織は僕の彼女なんだ。」
僕と詩織はこの高校の入学式の時に初めて出会った。体育館に整然と並べられたパイプ椅子の出席番号順の自分の席に座った瞬間に、僕は一気に今までに経験した事のない良い匂いに包まれた。まるで夢の世界にいる様な、そんな感覚に襲われたのだ。『言葉にできない空前絶後の良い匂い』である。すぐに隣の席の女の子が発している匂いだと気がついた。そして横を見る。隣の席には、とびっきりの美少女が座っていたのだ。
「初めまして。好きです。付き合って下さい。」
「はい。こちらこそよろしくお願いします。」
これが僕と詩織の馴れ初めである。僕達は高校の入学式の会場で出会い、七秒後に告白し、お互いの名前を知る前に恋人になったのである。『言葉にできない空前絶後の良い匂い』に包まれて行われた入学式はまさに夢の世界のイベントだった。校長先生の挨拶が、まるで僕達二人の未来を祝福してくれている様に聞こえたのである。
僕達は皆んなには隠れて交際をした。入学したばかりでの男女交際などは悪目立ちしてしまう事、また、その事でこれからの高校生活に何か支障が出る恐れがある事、詩織がとびっきりの美少女であるため、僕がとにかくヤバい事などを理由に、二人で話し合い隠れて交際をする事にしたのだ。
それから今まで交際は順調だった。時には学校の空き教室で、時にはファミレスのボックス席で、時には公園のベンチで、時には電車の中で僕達はデートを重ねてきた。僕も詩織も口数はそう多くはない。黙ったまま二人並んで肩を寄せ合って座っているだけという高校生として健全な男女交際をしてきたのだ。他には何もいらない、『言葉にならない空前絶後の良い匂い』に包まれているだけで僕は満足だったのだ。アレ? 詩織はどうだったのだろうか。今になって急に言葉にならないくらい不安になってきた。
とにかく僕と詩織の交際は順調だった、と思いたい。しかし最近になって、健全な男子高校生の敵、嫌な奴中井君が詩織にちょっかいをかける姿を目にする様になってきたのだ。本当に嫌な奴である。そしてそれに応じる詩織の表情が、満更でも無かった様な気がしてきたのである。
『僕は詩織と付き合っている。詩織は僕の彼女なんだ。』
とにかく美少女三人をくっつけたままではあるが、詩織との交際宣言はした。もう僕にできる事は無いのかもしれない。一体僕はどこに向かって進んでいくのだろうか。僕の進む道は誰が決めてくれるのだろうか。
「私に良い考えがあるの。皆んな、私に任せてもらえるかな。」
「うん。」 「わかった。」 「お願い。」
僕の背後から麻里香さんの声が聞こえ、それを承諾する三人の声。天才金髪ギャルの思いついた良い考えなんて常人では対抗できそうも無い。そこはかとなく嫌な予感しかしない。
「じゃあ明日香、唐揚げを高橋くんの口に突っ込んで。」
「うん、わかった。はい、優くん、あ〜ん。」
パカッ。
「あ〜〜。」
反射的に開いてしまった口に明日香が唐揚げを入れた。
さらに麻里香さんの指令がとぶ。
「愛衣、麻衣、ファンファーレお願い。」
「「パッパラー。」」
愛衣さんと麻衣さんのファンファーレが僕の両側で鳴り響いた。