5 豪華特典その2 スターターキット
毎週水曜日放課後、僕は麻里香さんと図書室で過ごしている。図書委員だからなのだが、面倒くさい委員会の仕事も僕にとっては至福の一時なのである。
入学式で新入生代表の挨拶をした麻里香さんは、黒髪のクールな感じの美少女だった。図書室のカウンターに並んで座っていた時に、『そこはかとない奥ゆかしさを感じさせる素敵な匂い』がする事に気がついたのだが、それ以来水曜日の午後が楽しみになってしまったのである。
この時にはすでに僕には詩織という彼女がいたのだが、それとこれとは話が別である。
夏休み前の学力テストで、麻里香さんは全国順位一桁という偉業を達成した。そして夏休みが明けて登校してきた麻里香さんはギャルになっていた。ギャルになった麻里香さんはこの進学校で孤立した。よくない噂も聞こえてきた。何が麻里香さんをギャルにしたのかはわからないけれど、麻里香さんはギャルになって何かが変わってしまったのだろうか。
図書室での僕への接し方にも変化が見られた。今まで冷たかった対応が、目一杯冷たくなったのである。カウンターの中で可能な限りの距離を取られ、会話なんてゼロである。クンクンなんてままならない距離なのだ。もしかして、バレた? そんな不安に襲われたのである。言いふらされてしまったら、僕が変態になってしまう。僕は焦っていたのだ。
校外学習のバス移動の時、探りを入れる為に僕は麻里香さんの隣に座った。無視はされたが拒否はされなかった事に安堵し、クンクンする事にしたのだ。合法的に長時間クンクンできる席を確保したのである、全力でクンクンする事が礼儀というものだ。しばらくぶりの『そこはかとない奥ゆかしさを感じさせる素敵な匂い』は、まさに絶品だった。長時間に渡る綿密な調査の結果、ギャルになっても麻里香さんは何も変わっていないという結論に達したのだ。
その後、なぜか図書室での距離は元に戻り、少ないながらも会話も復活した。そして一年の任期が無事終了し、二年生になった今年もまた、僕は図書室で麻里香さんをクンクンしているのである。
改めて麻里香さんを見てみよう。落ち着いた金色の髪は陽の光を浴びて黄金色に輝き、薫風がそれを揺らしている。ブラウスのボタンは胸元で一つ余計に外されており、それに合わせてリボンもゆるく下に結ばれている。短すぎない程度に短いスカートは魅力的な太腿を強調し、足元にはルーズソックスが履かれていた。いわゆるギャルのファッションなのだが、どこか気品が漂っている。このまま王宮の舞踏会に出ても見劣りしないのではないかと思うほどである。知らないけど。
麻里香さんは僕が選んだ世界美少女ランキングでは現在総合5位である。ジャンル別ギャル部門では世界1位なのであるが、今日の麻里香さんを見て、月末のランキング更新が楽しみになってしまった。
「麻里香さん、愛衣さんの言った事は本当なの?」
両腕に姉妹をくっつけたまま訊いてみた。
「もちろんだよ。こっちからお願いしたんだ。ただ、少し嘘も混じってるけど。」
へ?である。僕と麻里香さんには図書委員しか接点がないし、図書室でしか会話がない。教室では完全に無視されている。僕が勝手にクンクンしている片クンクンな関係だと思っていたのだ。
「こんな格好してるから、『恋愛上手』とか言われて悪い噂だって流されてるけど、私、誰とも付き合った事なんてないんだ。男女交際だってした事ない乙女だよ。だから恋愛のアドバイスなんてできない。ごめんね、愛衣、麻衣。」
「へっ?」
「へっ?」
今度は僕の両側からへっ? が出た。決して屁が出たわけではない。嗅いでみたい気はする。
「勝手に勘違いしてもらってたからそのままにしていたけど、私も高橋君に近づきたかったんだよ。許してよ。
でもさ、私思うんだけど、何だって最初は上手くいかないんだよ。男女交際だって、失敗したら一緒に反省して、次失敗しないように一緒に考えて、一緒に乗り越えて行けばいいんじゃないかな。それと高橋君、私勉強なら教えられるからさ、一緒に勉強しようよ。男女交際の事も君と一緒に勉強していきたいなって思ってるんだ。
だからさ、愛衣を彼女にしてあげてくれないかな。」
僕の両側で2つの頭がコクコクと動いていた。
「あっ、危ない!」
それは突然の事だったのだ。薫風がまたしても神の演出をしたのである。一陣の風が吹き麻里香さんのスカートをふんわり高々と持ち上げてしまったのだ。急いでスカートを両手で押さえた麻里香さんではあったが、明らかに出遅れていた。
「見た?」
「見てないけど、まぶたの裏に焼き付いた。」
そう答えると、顔を真っ赤にした麻里香さんがススッと近づいてきて、あろうことか僕の胸にコテッと額を預けたのだ。そして僕の胸を指でグリグリしている。
「恥ずかしいから、顔を見ないで………
あのね、前に、君は何も変わらず素敵なままだよって言ってくれたでしょ。自分では何が素敵なのか少しも分からなかったんだけど、それからね、君は私の何をどう感じてくれていたんだろうって、凄く君の事が気になってしまって、もっと君の事を知りたいって思ってたの。でも、私なんかが話しかけたら迷惑だろうなって。でもね、昨日愛衣達の話が聞こえてきて、これはチャンスだって思ったんだ。
私、君の事がもっと知りたいんだよ。
何をどう感じていたのか知りたいんだよ。
また素敵だよって言ってもらいたいんだよ。
ねぇ、側に居させてよ。
だからさ、愛衣を彼女にしてあげて。」
これは愛の告白なのだろうか。実に難解である。言っている意味が良くわからないのだ。しかし、それも当然のことだと思う。もう僕の脳は思考を放棄していたのだから。
真ん中に金髪の頭一つ、両側に茶色がかった黒髪の頭二つ。まるでブナの木の樹液を舐めに来たカナブンと二匹のカブトムシみたいなのだが、この超至近距離から発せられる美少女達のそれぞれの匂いは、三種混合の『3D濃厚プレミアムもの凄くとんでもないそこはかとなく奥ゆかしさを感じさせる素敵な良い匂い』となって神秘的な世界を作り出し僕を包んでいたのだ。
両腕には相変わらず『もの凄い天国』と『とんでもない天国』が存在しており、まぶたを閉じれば『そこはかとなく奥ゆかしさを感じさせる素敵な白い何か』が鮮明に蘇ってくる。
そして聞こえてきた甘い囁きの三重奏。
「好き。」
「好き。」
「君を知りたい、」
「彼女にして。」
「彼女にして。」
「一緒にいたい。」
「お願い。」
「お願い。」
「お願い。」
「大好き。」
「大好き。」
「側に居させて。」
神秘的な世界の中の、天国群生地帯のど真ん中に僕はいた。僕にはもう抗う意思などほとんど残ってはいなかったのである。この神秘的な甘々の世界に身を委ねているだけだったのだ。甘々のシロップに漬けられた桃缶の桃のような状態なのである。
僕には詩織という彼女がいる。この状況で倫理はどのような道を示すのであろうか。
この天国群生地帯のど真ん中で己を律する事の出来る男子高校生などいるのだろうか。
僕は詩織が好きだ。詩織も僕に好意を持ってくれていると思う。だから詩織を裏切れないし、倫理の示す道を歩んで行きたいとも思っている。しかし今、誰かがチョンと僕をつついただけで、僕は簡単にその道を外れてしまうだろう。それほどまでに僕の意思は弱っていた。だから僕は最後の気力を振り絞り、数ある天国の中の一つ、まぶたの裏に焼きついている『そこはかとない奥ゆかしさを感じさせる素敵な白い何か』への未練を断ち切る為に目を開けた。
そこには幼馴染の明日香が優しげに僕を見守ってくれていた。そして、救いの手を差し伸べてくれた。
「麻里香、もうそろそろ良いんじゃない?」
麻里香さんは渋々と僕の胸から離れると背後に回り、その瞬間、僕の背中にまた新たに二つの天国が出現したのだった。『そこはかとない奥ゆかしさを感じさせる素敵な天国』二つであると思われた。
明日香が勢いよく言葉を発する。
「今度は私の番ね。愛衣、ファンファーレお願い。」
「パッパラー。」
ファンファーレが高らかに鳴り響いた。
新たな豪華特典への期待に、心が躍ってしまったのである。