4 シンメトリー
「あっ、危ない!」
という声と共に、僕の左腕にも天国が出現した。右腕と同様に『得体の知れないもの凄い何か』が、天国を作り出しているようである。濃厚な『もの凄く良い匂い』が愛衣さんの存在を教えてくれていた。
「愛衣さん、何が一体危なかったのかな。」
「この腕だよ。この腕が空いてて、誰かに狙われているかもって。だから私慌てて…………」
愛衣さんは僕の左腕にしがみついていた。右腕の麻衣さんと同様頭を僕の肩にコテッと預けている。
「この腕は私が守るから大丈夫だよ。安心して。」
「あ、ありがとう。」
シンメトリーである。左右それぞれの腕に双子姉妹がそれぞれしがみついて、シンメトリーになっていた。僕には詩織という隠れて交際をしている彼女がいるのだが、それとこれとは話が別である。右腕の麻衣さんは倒れそうになっている僕を支えてくれていて、左腕の愛衣さんは僕の腕を守ってくれている。決してやましい事ではない。しかし、僕の左腕を誰が何の為に狙っているのかさっぱりわからないのだが、そもそも僕の脳はそんな事を考えられる状態ではなかったのである。左右それぞれの超至近距離から発せられる『濃厚プレミアムもの凄く良い匂い』と、『濃厚プレミアムとんでもなく良い匂い』がせめぎ合い、僕はその渦中にいたのだ。
もう初夏を感じさせる5月下旬の午後、校舎の屋上には柔らかなそよ風が吹いていた。まさに薫風だった。
どうやら僕はファンタジーの世界に迷い込んだようである。時には完全に混ざり合い『濃厚プレミアムもの凄くとんでもなく良い匂い』を作り出す一方、また時にはそれぞれが激しく自己主張をする『濃厚プレミアムもの凄く良い匂い』と『濃厚プレミアムとんでもなく良い匂い』は、そよ風による神の演出に従って柔軟に混合比率を変え、不規則にさまざまな表情を見せながら幻想的な世界を作り出していた。
期せずして野心を達成してしまったが、人生ちょろいな、なんて思う余裕も無く、僕はそのファンタジーの世界に溺れてしまっていた。
さらに耳に届いた甘い囁きが、僕をファンタジーの世界の奥底へと沈み込ませてしまったのだ。
左右それぞれの耳に僅かな時間差をもって届く『もの凄く甘い囁き』と『とんでもなく甘い囁き』はエコーとなり、その余韻は脊髄までをも震わせた。
「好き。」
「好き。」
「彼女にして。」
「彼女にして。」
「お願い。」
「お願い。」
「大好き。」
「大好き。」
僕には詩織という彼女がいるのだが、それとこれとは話がどうなのだろうか。
人として、日本人として、その社会に生きる者として、僕は倫理観を持って、その倫理の指し示す道を歩いていきたいと思っている。しかし同時に僕は健全な男子高校生でもある。オスなのである。
同時多発天国に溺れている今、人としての道、日本人としての道、男子高校生としての道は全て同じなのだろうか。男子高校生なら、溺れてしまうのが正しい道のような気がしないでもない。
僕は、思いっきり溺れたい。
一体僕はどんな道を歩めば良いのだろうか。
視線を上げると麻里香さんが目に入った。昨年の学力テストで全国順位一桁の偉業を達成した当校唯一の天才ギャル。金色の髪を薫風になびかせ、優しげな笑顔で麻里香さんは僕を見ていた。僕は天才ギャル麻里香さんに救いを求める事にした。
「麻里香さん、わからないんだ。僕はどうしたら良いのかわからないんだ。麻里香さん、教えて欲しい。」
「パッパラー。」
ファンファーレが鳴った。愛衣さんのファンファーレだ。
「豪華特典その2、スターターキット〜。」
「????…………何それ?」
再び訳の分からない豪華特典が提示された。豪華特典その1がとてつもなく豪華だったので、今回の豪華特典の内容に大いに興味を持ってしまった僕は、両腕にしがみついている双子姉妹はそのままに愛衣さんの説明を聞くことにした。
「ジャジャーン。私を彼女にすると、な、な、なんと、『恋愛上手のギャル』麻里香がスターターキットとしてついてきます。」
さっぱりわからない。
「だから、それ、何?」
「説明しよう。高橋君がわからなくても仕方がないんだよ。不安になる気持ちもわかるよ。でもね、スターターキットを用意したから大丈夫だよ、安心して。
私も麻衣も今まで彼氏がいたことがないから、男女交際の事なんて全然分からないんだ。
高橋君だって同時に二人の彼女と付き合った事なんてないでしょ。だから高橋君だって、こんな変則的な交際の仕方なんてわからないと思うんだ。仕方がないんだよ。だから最初は戸惑ったり不安だったりするとは思うんだ。例えば、ファミレスの席順とか、ジェットコースターはどっちと乗るかとか、アレはどっちが先なんだ?コレはどっちが先なんだ?とかね。
そこでスターターキットの登場だよ。交際を順調にスタートするための必須アイテムだよ。最初っから何の不安も失敗もないように、交際を順調にスタートできるように『恋愛上手のギャル』が付きっきりでアドバイスをしてくれるんだ。高橋君はわからなくても良いの。私達とのラブラブの事だけ考えていればそれで良いんだよ。天才金髪ギャルが全てを教えてくれるんだ。それでうまくいって交際が軌道に乗ったらスターターキットの役割は終わりだけど、麻里香はそのまま高橋君の彼女になるから安心だね。
高橋君は何も考えずに私を彼女にすれば良いだけなんだよ。」
「スゲーな。ガイド付きで二人の彼女とラブラブできるって事? いいね、それ。」
「でしょ。本当におすすめだよ。」
「それで麻里香さんまで彼女になるって、大丈夫なの?」
「こっちとしても高橋君だからって事でギリギリまで頑張らせてもらってるからさ、早く決めちゃいなよ。」
僕には詩織という彼女がいるのだが、僕は一体どうしたら良いのだろうか。麻里香さん、教えて欲しい。