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17 彼女

 知り合いが誰もいない高校の入学式。隣に座った男の子の匂いに私は優しく包まれた。今まで一度も嗅いだ事のない不思議な良い匂い。その『規格外の不思議な良い匂い』が、緊張していた私の身も心も柔らかく解きほぐしていく。不思議な感覚。隣を確認すると目が合った。彼はにっこりと微笑んだ。


 「初めまして。好きです。付き合って下さい。」


 「はい。こちらこそよろしくお願いします。」


 こうして私に初めての彼氏ができた。出会ったばかりのまだ名前も知らない男の子に、一目惚れではなく一嗅ぎ惚れしてしまった。


 これが私と優くんとの出会い。


 私の彼氏は普通の人だった。同じクラス。名前、誕生日、血液型、少しずつ彼の事を知っていく。勉強も運動も普通、顔も普通、物静かであまり目立たない地味な人だった。


 優くんとは隠れて交際をした。教室ではただのクラスメイトを装って、スマホで連絡を取りあい現地集合で何度もデートをした。

 デートと言ってもただ並んで座っているだけ。図書館、ファミレス、公園のベンチ、電車の中、二人並んで座れれば場所はどこでも良かった。

 肩を寄せ合って並んで座って少しお喋りをして、『規格外の不思議な良い匂い』に包まれていれば満足だった。彼の匂いが好きだという事は、彼にも秘密にしていた。変態だと思われてしまうから。

 疲れている時、嫌なことがあった時、彼の匂いは私を癒してくれた。彼の匂いを嗅ぐためのデート。私が満足する為だけのデート。こんなつまらないデートなのに、彼は何も言わずに付き合ってくれた。

 

 優くんは、女の子同士の会話に全く登場してこない。だから私は何の心配もなく優くんの匂いを嗅ぐことができていた。彼の匂いは私だけのものだった。そしてそれが、いつの間にか私の中で当たり前になっていた。


 一年生の冬ごろから、中井君が私に話しかけてくるようになった。中井君は勉強も運動も良くできて、明るくて爽やかでイケメン。クラスの人気者。中井君に誘われて何度かクラスメイト数人でカラオケに行ったり、ファミレスでおしゃべりしたりした。優くんとはした事の無いことばかり。すごく新鮮で楽しかった。

 

 中井君との会話は面白い。話し上手で聞き上手。いつも女の子の会話に登場してくる中井君に話かけられるのは少し嬉しかったし、他の女の子の視線を感じ優越感もあった。


 中井君と優くん。


 人気者の中井君と地味な優くん。どうしても比べてしまう。


 

 そして昨日の放課後。


 「ちょっと話があるんだけど、屋上までいいかな。」


 中井君に誘われて、中井君の後ろを屋上へと向かう。


 中井君が私に好意があるのは薄々感じていた。告白されたらどうしようか、などと考えながら着いた屋上で目にした衝撃の光景。


 愛衣麻衣姉妹に明日香と麻里香が、優くんにくっついていた。


 教室でいつも優くんを目で追っている明日香。


 誰もいない図書室で優くんに話しかける麻里香。


 好意を隠そうともせず優くんに絡んでいく愛衣麻衣姉妹。


 私は彼女達のそんな姿を度々目撃していた。


 私の優くんなのにと頭に血が昇る。冷静ではいられない。


 「中井君が責任を持って下取りしてくれます。」


 そして、そこに敷かれたレール。


 最初から仕組まれていたかのように、もう既に台本が出来ていたかのように、私はまんまとそのレールを駆け抜けた。


 階段を中井君と手を繋ぎながら降りる。どうしてこうなったのかわからない。どうしてあんな事を言ってしまったのか自分でもわからない。意地なのか、当てつけなのか、それとも、こうなる切っ掛けを待っていただけなのか。それでも、中井君だからと自分自身を納得させる。


 靴を履き替えるために中井君が下駄箱の扉を開けて、自分の犯した過ちの大きさに気付かされた。中井君の下駄箱から漂ってきた『規格外の未知の嫌な匂い』が、自分の手で捨てた物の大きさを私に教えてくれた。

 

 優くんの匂いが蘇る。優くんとのデートを思い出す。


 「中井君、ごめんなさい。私やっぱり優くんが好き。私には優くんが必要なの。ごめんなさい。」


 階段を駆け上がり屋上へと戻る。


 屋上にはもう優くんはいなかった。

 

 残っていた明日香達に訴える。


 「優くんを返して。私には優くんが必要なの。だから、返して。」


 「詩織、あんた自分で優くんを捨てたんだよ。今さら何言っちゃってんのよ。」


 「それでも優くんを返して。優くんが必要なの。」


 「だからさぁ、あんな酷いことしておいて今さらだよ。」


 「それでも、返して。お願い、返して。」


 何度も何度も訴える。目から涙がこぼれる。


 「ねぇ、明日香。そこはかとなく可哀想になってきちゃったしさぁ、私達も悪かったと思うんだよ。それでさ、詩織を豪華特典にすれば秘密兵器になるんじゃないかなって思うんだけど、どうかな?」


 「麻里香、もの凄いアイディアだよ、それ。」


 「うん、とんでも無く良いと思う。想いは一つだよ。」


 「確かに詩織が秘密兵器って、優くんにとってべらぼうな破壊力ね。」


 「それに、敵に回したらそこはかとなく手強いと思う。」


 「とんでも無く手強いね。」


 「確かにもの凄く手強い。」


 「べらぼうだね。」


 「じゃあ、そういう事で、私に任せてもらえるかな。」


 彼女達が何やら相談を始めたのだが、何を言っているのか少しもわからない。


 金髪ギャルの麻里香が、話しかけてきた。

 

 「ねぇ、詩織。あんた本当に高橋君が好きなの?本当にもう一度彼女になりたいの?」


 「うん。」


 「私達も皆んな高橋君が好きで、皆んな本気で高橋君の彼女になりたいと思ってるんだよ。皆んな本気なんだよ。

 だから私達話し合って、皆んなの想いを尊重して、妥協して、譲り合って、少しだけでも高橋君の彼女になるって事を最優先にしたんだ。皆んなで協力して皆んなで高橋君の彼女になろうって決めたんだ。


 詩織はあんな酷い事をしたから、もう高橋君は許してくれないかも知れない。例え許してもらえても、もう前のようにはなれないかもしれない。でも詩織がちゃんと反省して本気でもう一度彼女になりたいって思うなら、それは私達と想いは一緒なんだよ。目指すところは一緒なんだ。


 だから、協力して一緒に高橋君の彼女になろうよ。


 皆んなで高橋君の彼女になろう。」



 普通じゃない、突拍子も無い提案。でも、その言葉は妙に私を納得させた。


 優くんの彼女になりたいのは、皆んな一緒なんだ。


 話し合いは続いていく。


 そして日も沈み始めた頃、優くんにちゃんと謝って許してもらう事を条件に、


 私は、『豪華特典その5 秘密兵器』に任命された。


 なんか騙されたような気もするけど、もう一度優くんの彼女になりたい。それに部活動みたいで楽しそう。


 頑張ってみようと思う。


 

 


 



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