番外編 騎士団長の感慨
戦装束も見目麗しい主の隣にて、馬の轡を並べ行軍すること半日。馬上とは言え移動には体力を使うものだ。普通の貴族であれば弱音の一つも出るものだが、主からは微塵もそんな気配は無い。幼少の頃からの鍛錬はずっと続けているようだ。
このお方に仕えて早5年か…。
「どうかしましたか、グスタフ?」
「お嬢さ…、いや、閣下にお仕えして、もう5年にもなるのかと、しみじみ思い返しておりました」
「ああ、もうそんなになるのですね。どうです、私は良い主ですか?」
「それはもう、代々の優秀な当主の中でも、閣下は別格であられますからな。ジルク様が楽隠居したがる気持ちもわかります」
ご令嬢…、もといご子息のクリス様ととユーフェミア殿下がご結婚したのを良い機会と判断したのか、ジルク様は30代の若さで公爵家の家督をクリス様に譲ると、楽隠居を決めこみ、以前からの趣味であった絵画や釣りなど、やりたい放題のスローライフを始めた。どうやらずいぶん前から企んでいたらしい。しかし、この様子が王都に伝わると、直ぐにエメロード陛下と重臣達からの待ったがかかった。
「あのお父様に楽隠居は早すぎますね。トルマリン侯からは、自分の後任を任せたいとせっつかれてるとか」
「ジルク様もとうとう宰相閣下ですか」
「逃げ回ってはいますが、時間の問題でしょう」
現宰相のトルマリン侯はジルク様よりもはるかに年配で、二十年以上もその職にあるとか、ジルク様、さすがに逃げられませんぞ。
「それはそうと、閣下、此度の魔物討伐ですが、くれぐれもやり過ぎないようお願いします」
「やり過ぎとは失礼な」
「元大聖女であられた閣下の事です。軽く手助けしただけのつもりが、お一人で全て片付けてしまわれかねませんからな」
甲冑を着ていてさえ男装の麗人にしか見えないこの主君は、何を隠そう元大聖女だ。
他人が聞けば頭がおかしくなったと思われかねないこの事実は、公爵家家臣の間では最優先の秘匿事項である。もっとも人に話した所で誰も信じるわけはないのだが。
「分かってますよ。兵達の貴重な実戦の機会を奪う真似はいたしません」
「そう願いたいものです。なにしろ、閣下には幼少の頃から驚かされ続けてますからな」
ご幼少の頃からお仕えしていた主君のご令嬢が、実はご子息だと聞かされた時の衝撃は今も忘れられない。皇都での最終決戦の後、死んだと思われていたクリスティーナ様がジルク様に伴われて皆の前に現れ、自分は男だと宣言されたのだ。当然その場が軽いパニックにおちいったのも無理はないだろう。もっとも、クリスティーナ様のご無事と、家臣一同が待望していた後継ぎ問題が一気に解決した喜びの方が、遥かに勝っていたのだが。
「安心して下さい。私のびっくり箱の中身はもう空っぽですから」
「はっはっは、今さら箱の中から何が出てきても、驚きませんとも」
軽口を言い合いながらも、私は自分の役目をおろそかにはしない。この軍の最高指揮官はクリス様だが、騎士団長としてこの行軍をしっかりと把握する必要があるのだ。
「順調にいけば夕刻には、クーリエ子爵領に入ります。子爵邸で歓待を受けたのち、翌朝に子爵邸を出発。昼には戦線のある砦に到着できますな。すでに子爵の手勢が救援に向かっておりますので、無理せずに戦線を維持できているかと」
「いざという時には、私一人でも戦地に向かいますからね」
「そうならない事を祈るばかりですな」
あの神々の戦いでもこの目で見たし、ご婚約者であったユーフェミア殿下が、空から公爵邸に舞い降りたのも目の当たりにした。精霊の愛し子の規格外の魔力は、空を飛ぶ事をも可能にしてしまうのだ。
この方がその気になれば、この大軍を置き去りにして空を飛び、たった一人で魔物の群を殲滅してしまう事だろう。
敬愛する主への忠誠は揺るぎなく、この方の臣下である事を喜びこそすれ、不満もあろうはずも無い。しかし、個人の能力に頼りきった組織ほど危ういものはないのだ。
「まあ、私も部下が使い物にならない事態は避けたいですからね。と、あら……?」
「どうか、なさいましたか?」
「いえ、光の精霊達が妙に騒がしくて」
「光の精霊? もしや奥方様では?」
使い手の少ない光属性の魔法だが、クリス様とその奥方様は別格だ。
「いえ、そもそもユフィが近くにいて、私に顔を見せないはずもないですから、あるいは覚醒前の別の聖女?… そんなわけ……………!!」
言葉を切ってクリス様の顔が青ざめる。その意味を推測した自分の喉からも変な音が鳴った。
「か、閣下、そう言えば、リリア様、お嬢様がお見送りに来ていませんでしたが…… まさか…」
「………その、まさかのようです。 グスタフ、行軍を止めて下さい!」
「はっ、全軍停止ぃ――っ!」
命令は速やかに実行され、長い行軍の列が緩やかに足を止める。
それと同時に、クリス様は騎乗している愛馬を置き去りにして、飛翔魔法で飛んで行ってしまった。さすがに余程の慌てっぷりだ。普段は魔法を使う事を自重されているため、自らの主が空を飛ぶ姿に驚く部下も多い。
精霊の愛し子であるクリス様には、直ぐにリリア様の場所が分かるのだろう。迷うことなく移動する後ろ姿に、私は思わず声を漏らすのだった。
「クリス様、どうやら、びっくり箱の中身は、リリア様に移動されたようですぞ」
予言めいた自分の言葉だったが、訂正の必要はまるで感じなかった。




