神話の戦い③
一体いつから其処にいたのだろう? 気が付けば、私は何も無い白い空間にいた。
前後左右、上下さえ定かで無いあやふやな場所。自分が立っているのか、宙に浮いているのかも分からない何もかもがおぼろげな世界。あまりにも不安定な状況に、ひょっとして自分はすでに死んでいるのではないかとも思ってしまう。私が自分の存在すら疑いかけたところで、頭の中に声が響いた。
“愛し子よ…”
美しい女性の声だが、不思議と威厳と包容力を感じさせる声が私を呼ぶ。
「愛し子とは、私のことですか?」
“そうだ、我はそなたに呼びかけている。愛し子よ”
「あなたは?」
“ふむ、自ら願っておいて、異な事を聞く”
自ら、願う!? その言葉にはっとした私は、先ほどまでの激闘を思い出した。そして声の主の名を言い当てる。
「支柱神!」
“いかにも”
その呼びかけに応えるかのように、光る鎧を纏った一人の美しい女性が目の前に現れた。あれ? 支柱神は男神だったような…。
“ふふ、我の妻がこの格好を好むゆえな、いかにも我は男神である。もっとも地上では双面神とも言われているがな”
心の中が読まれている!? え、我が妻って太陽神の事だよね? 太陽神が自分の夫に女装を要求しているの? なんか神様なのに突っ込みどころが多すぎる…。って言うか、まさか支柱神まで男の娘だったなんてーっ!
”男の娘か、そなたの元の世界では変わった表現が好まれるのだな”
「す、すみません! 重ねて失礼を!」
”よいよい、むしろ我はそなたに礼を言わねばならぬ。そなたが願ってくれねば我はルーンを助けられなんだゆえな。その為にそなたの力も借りねばならぬ”
「私の力?」
“正確にはそなたの意思の力だ”
支柱神がそう言うと、ただの白い空間だった周りの景色が歪む。やがて360度全方位の視界が外のものとなり、目の前に闇の邪神、隣にはユフィが降臨させた太陽神が控えている。
「邪神!」
目の前の邪神の姿に私は思わず身構えようとするが、今のふわふわの状態では思う通りに身体を動かせず、それどころか魔力も練る事が出来ない。
“今のそなたは我の依り代、我がこの場に顕現するための核のようなものだ。今ここで自由に動く事は出来ん。さらにこれより我が力を振るう度に、核となっているそなたの精神は耐え難い苦痛を受けるであろう。それはそなたの存在を消しかねない苦痛だ”
なんとなく予想は出来た事だ。神の権能を使う以上それに見合う対価が必要になる。前回一度きりの権能の行使では、魔力を根こそぎ持っていかれたが、今回はそれだけでは到底足りない。
「あなたの力を借りるには、私自身を対価にしなくてはならないのですね」
“然り、その結果としてそなたが消え去る事になれば、空になったその身体には我が復活するであろう。この世界は再び神代の世界となる”
仮に私が消えたとしても逆に好都合らしい。ただ慈悲をかけるだけではない神々らしい考えだ。教えてくれるだけで十分ありがたくはあるが。
「かまいません。邪神を野放しには出来ませんし、私は私の守りたいものを守ります」
迷うこと無く私が口にすると、支柱神は表情を緩めた。
“せいぜい足掻くがよい。ルーンは殊の外そなた達が気に入っているゆえな”
「太陽神がですか?」
“そうとも、以前そなたに力を借した時も嬉々としておった。今邪神に対して手を休めているのも、中の依り代の娘を気遣ってのことだ”
「気遣って? ユフィは大丈夫なのですか!?」
“すでにルーンの権能を使い、邪神と戦っておる。娘の負担は相当なものであろうよ。ルーンが加減しているゆえ生命の危険は無いが、そう楽観も出来ん。これよりルーンと中の娘を助ける。力を貸すが良い”
「無論です。存分に力を振るってください」
“重畳、良い決意だ。では遠慮なくいかせてもらおう”
支柱神が得たりとばかりに笑うと、その美少女にしか見えない姿はおぼろげなものとなり、自由に動くことの出来ない私にその姿を重ねて来た。
“今より攻撃を始める。集中するがよい”
「はい!」
支柱神が言った直後、私の身体と言うよりも頭の中、それよりも精神と言った方が正しいのだろう。そこに自分のものでは無い別の思念が濁流のように流れ込んで来た。目の前の邪神への明確な敵意。神の権能を使用するための知らない文字の羅列。例えるなら私と言う器にあったデータが、別の何かに上書きされている感覚だ。苦痛よりもむしろ自分の存在が消される事への恐怖を感じ、私は自分の意識を繋ぎ止めるべく必死に抗った。
そんな私の様子には気にもとめずに支柱神は邪神に猛攻を仕掛けた。手にしている巨大な宝剣を振り上げると、邪神の左肩から斜めに強烈な斬撃を入れる。
ズバァッ!! 邪神は防御結界を展開するも、その結界ごと袈裟斬りにされてしまった。両断とまではいかないものの、深手を負った邪神に支柱神から轟雷の雨が降り注ぐ。
ズガガガガガガァ―――ッ!!!
巨体を大きく傾けた邪神であったが、倒れ込む前にその左腕が不自然に動くのが見える。闇の魔物の多くが使う変則的な攻撃――――危ない!。
私が思わず右腕に力を込めると、顕現した支柱神の右腕に強力な防御障壁が展開され、不意に伸びた邪神の左腕を受け止めていた。邪神の左腕は剣と化して禍々しい瘴気を放っている。
“ほう…、そなた、耐えるだけで手いっぱいかと思ったが、我と同調してのけたか”
「同調?」
“そうとも、そなたの魂は、我と相性が良いようだ。これまでの愛し子の中でも稀有な例よな”
「よく分かりませんが、戦いに有利なのですね?」
“そうだ、我はより力を振るう事が出来る。好都合なことよ。とは言え長引けばそなた達が持たん。早めに奴を封印するとしよう”
支柱神も太陽神もずいぶんと私とユフィを気遣ってくれている。それにしても…。
“封印では不満か?”
「不満、と言うより心配…ですね」
“光があれば闇もまた然り、我ら神々も完全にお互いを滅する事は出来ん。せいぜいどちらかが優位に立つのみ。なあに、後の世の事はそなた達の子に任せればよかろう”
「わ、私達の子…」
不意に出てきたとんでもワードに私が固まった。
“ふむ、あの娘とあれほど縁を結んでおいて難儀なことよな。生き残った後にでもたっぷり睦み合えば良かろう”
「た、タリスよ! その話は邪神を倒した後に!」
神からユフィとのイチャラブを推奨されるとは思わない! 私は慌てて戦いを促した。
“よかろう、これから奴を封印する。備えるがよい”
その言葉に私は大きく頷き、こんどは支柱神の存在に抗うのではなく、受け入れるべく身体中の力を抜いた。そして流れ込んでくる支柱神の圧倒的な意思の力。私はその流れに身を任せると、あっと言う間にのみ込まれそうになるが――。
―――クリス!―――
頭の中にユフィの声がして、私はその場に踏み止まる。結局のところ私と言う存在を形作っているのは、彼女への恋心ばかりなのだ。恥ずかしくはあるけどこればかりはしょうがない。ユフィへの感情を軸にして、私が自分の存在を安定させると、先ほどよりも身体の負担が減ったばかりか、身体の隅々まで支柱神の魔力を感じられた。
そして邪神封印のために支柱神から膨大な魔力が溢れ出す。もはや神力と言うべきその力は強力な波動となって邪神に襲いかかった。
“グオオオオオオォォォ―――ッ!!!”
苦悶の表情を浮かべ絶叫する邪神。先ほど支柱神から受けた傷も癒えておらず、防御の結界も間に合わずに、自らが出現した巨大な魔法陣に押さえ込まれた。
そこに今まで沈黙を守っていた太陽神も攻撃に加わり、邪神はさらに追い込まれる。創世神話と同じであるなら、この二柱の神に邪神が抗う術はない。
“さあ、餞別にこれをくれてやる”
支柱神がそう言うと、手にしていた巨大な宝剣を邪神に向けて投擲する。
ザクッ! 黄金色に輝く宝剣は邪神の腹部を串刺しにした。
“グガアアアアアアアアァァァァ―――――ッ!!!”
響き渡る断末魔の絶叫。古の邪神は必死に胸の剣を引き抜こうとするが、もがけばもがくほど足元の魔法陣に捕らわれていき、その巨体の大部分はすでに地中深くにある。最後の足搔きとばかりに片腕を必死に地上に伸ばすが―――。
カッ!! 止めとばかりに太陽神による轟雷が再び降り注ぎ、邪神は完全に沈黙した。緩やかに召喚の魔法陣に吸い込まれていく巨大な身体。その姿が地上から見えなくなると、鈍い輝きと共にその魔法陣も消滅した。
長いようで短い静けさが辺りを支配すると、後に残った二柱の神々が動き出す。支柱神がゆっくりと右腕を空にかざすと辺りを覆っていた闇は瞬く間に払われる。それに続いて太陽神は左腕を空にかざし、雲間から光の束を招き寄せた。
空中に浮かぶ神々の足元では、皇国王国連合軍の兵士達の歓喜の声が響き渡り、口々に二柱の神と二人の聖女を褒め称えている。
邪神は封印され、世界は救われたのだ―――。
歓喜に沸く砦の屋上で、私達は身を寄せ合い、もみくちゃに抱き合いながら喜びを分かち合った。
「セシリアさん! お二人がやりましたぁ!」
「ええ! ええ! ほんとに、本当に!」
喜びを上手く言葉にできない私を見て、抱きついていたマリーカ譲と、私の専属侍女のコゼットが笑顔をこぼす。これで何もかもが上手くいったのだ。
私達が安堵に胸をなで下ろす中、喜びに湧く人々からさらに声が上がった。ふと戦場の跡を見ると、戦いを終えた二柱の神、支柱神と太陽神の姿がかき消えるのが見えた。それと同時に皇都中央に光がが差し込み、程なくして慣れ親しんだ支柱神の柱が姿を現す。まるで最初から何事も無かったかのようにそびえ立つ神の柱。そしてその頂上で変わらぬ太陽神の光が天空で煌めき、全て元に戻ったかのように見える。
これでお二人の無事が確認出来れば本当に何もかもが元通りだ。役目を終えた神々が戻ったのなら、それを降臨させていた二人の聖女も元に戻っている筈。
私は早速お二人の所に行こうと、マリーカ譲とコゼットに声をかける。
「わ、私、下に降りて、様子を見てくる。あなた達はどう…」
するの、と口にしかけて私は言い淀む。喜びに満ちていたはずのマリーカ譲の顔に、不安の色がさしていたからだ。
「ねえ…、あれ、な、なんで?」
そのマリーカ譲が呟いた。その視線の先で、黒地に金の縁の旗が翻っている。
「黒地に金の旗…、皇族か、それに相当する高貴な方の…喪に服す旗…? なんで…?」
ここで皇族か、それと同等の位を有する高貴な方が亡くなったと言うことだ。
戦地であったため、慌てて急ごしらえで作られたのだろう。あり合わせの黒い布で作られたのが遠目からでもよくわかる。
旗の効果は絶大で、掲げられた瞬間に、歓喜に包まれていた人々の熱が瞬く間に冷めていく。皇族、もしくはそれに相当する高貴な存在は、この場にただ二人しか存在しない。第一皇女であるユーフェミア殿下と、同じくファナの称号を賜った二人目の聖女……。
―――クリスティーナ様だ―――。