王都へ
私たちが王都へ向けて出発したのは、その二日後の事だった。
旅には私達の他にも、ラピス公爵家の家臣団と身の回りの世話をする側仕え逹が付き従う。
護衛としては、ラピス公騎士団の精鋭百騎を騎士団長自らが率いて随行する。特に騎士団は、移動の早さを重視して全員が騎馬に騎乗しての移動だ。百人の騎士が騎乗して行軍する様はとにかくかっこ良く、思わず見とれてしまった。
旅は概ね順調に過ぎた。私達の乗っている二頭立ての馬車は広く快適で、ラピス公爵領のよく整備された街道のおかげで、馬車の揺れも気にならない。
私にとって初めての旅で、しかも馬車での移動だ。前世でも馴染みの無い馬車から眺める風景には普通に感動する。子供丸出しで窓に張り付いていた私だったが、淑女らしくないと窘められることもなく、お父様とお母様も微笑ましそうに、その様子を眺めていた。
「お父様、公爵領はどのくらい広いのですか?」
「そうだな、一口に公爵領とは言っても、その中に子爵領や男爵領など小さな領地を幾つも抱えているのは説明したね。それらを足した大きさであれば、王家の直轄領に次ぐ広さはあるはずだよ」
道すがら、私は色々な質問を聞いてもらった。道中に立ち寄る領地の名所や特産品。もちろん旅の注意点も含めて、実際にその場の景色を見ながらの会話はとても楽しいものだった。
お父様の話の通り、ラピス公爵領は広大で、いかに馬車と騎馬のみの移動でも、一気に王都まで駆けれる距離ではない。途中の中継点として大小様々な領地に立ち寄り、そこで歓待を受けながら順調に旅程をこなしていった。
そして出発から三日目、公爵領と王都との境で事件は起きた。
魔物が出たのである――
いくら公爵家の護衛とは言え、百騎もの精鋭を揃えたのには訳がある。
剣と魔法の世界ならではと言うべきか、この世界にも魔物が出るからだ。闇の魔物とも呼ばれるそれについて説明するには、この世界の創世までさかのぼる必要がある。
この世界は神々によって創られた。
創世の神と呼ばれる支柱神タリスと太陽神ルーン。この二柱の神が世界を創るにあたって初めに行った事は、何もない無限に等しい空間を創り出す事だった。
そこに天空を創り、大地を整え、それを世界の器とした。次に創り出されたのが、光、地、水、火、風、5つの上位精霊達である。上位精霊達は、数多の小さき精霊を生み出し、たちまち世界をその魔力で満たした。
最後にルーンが文字通りの太陽と化して天高く舞い上がろうとした時、それは現れた――
――名も無き闇の神――
光ある所には必ず影ができる。その理をもって唐突に現れたその神は、ルーンを地上に押し留めると、6番目の精霊として闇を生み出し、世界をその力で満たそうとした。
ルーンが天に上がれず、世界が闇に飲み込まれそうになったその時――
タリスはその身を恐ろしく長大な柱へと変化させ、ルーンを空に押し上げ始めた。高く 高く 高く―― 柱の先が霞んで見えなくなってもその身を伸ばし続け、ついに天空の遥か高みまで柱が届くと、ルーンの太陽は一際強い輝きを発し、世界をその眩い光で満たした。
こうして生まれたのが、光ある世界ベルグリースである。しかし同時に光無き世界も生まれた。
強すぎる光には、必ず影が付き従う。いかにルーンの光が強くとも、その光の届かない場所も存在した。
ベルグリースの外周を囲むように、光の届かない闇の領域が残り、それは現在も変わらず存在し続けている。同じく残るタリスの柱と共に、神話が本当のものである事を今に伝えるかのように。
そして闇の領域から現れる魔物が、闇の魔物と言うわけだ。
今、私達の前にその闇の魔物が現れた。
ラピス公爵領は、広大な領地の境を闇の領域と接している。それ故の軍備であり、ラピス公騎士団だ。しかし、ここは王都寄りの為、闇の領域からは遠い。なぜここに闇の魔物が現れたかというと、それには別の理由がある。
先ず、人里から離れているという事。周囲は高い木々や山が多く、ルーンの光を遮る影が多い事も魔物の発生原因とされている。魔物は光を嫌い、暗きを好む。よって夜の闇夜などは最も魔物が活性化するとされ、この時間に町の外を出歩くのは自殺行為と言われている。
もちろん、それら全てが当てはまる訳でもなく、偶発の可能性もあるだろう。実際、闇の魔物についてはわからない事の方が圧倒的に多いのだ。
問題は、今私達の目の前に闇の魔物がいる。それだけであった。
とは言え、現れた魔物は下級に分類される。正直、馬車の窓から遠巻きに見ている私にとっては、黒い大きな犬が十数匹、騎士団に向かって威嚇しているようにしか見えない。黒い禍々しい靄のようなものを纏い、それが騎士達を惑わせているようだ。
「クリスは念のために馬車の奥の方に下がっていなさい」
お父様が私を気遣って、後方に下がるように促す。私は小さくかぶりを振って――
「お許しいただければ、このまま騎士達の戦いぶりを見とうございます。訓練と実戦ではいかように違うのか、それに――」
あの魔物が気になる。遠目でよく分からないが、魔物達はなんとなくこの馬車を見ている気がする。
すでに戦闘が始まり、魔物は次々と倒されてゆくのだが、嫌な予感と言うか、胸騒ぎがする…………。
ならばお父様の言う通りにして、馬車の後ろに隠れていれば良いのに、どうしてもあの魔物逹から視線を外す事ができない。何故?
そうこうしているうちに最後の魔物が倒された。その首が剣によって両断される刹那――私の視線と魔物の赤く光る眼が交差した――
――見られていたのは私!?――
それに気付いた途端、体が、背筋が震えだし、私はその場に座り込んだ。
「クリス!? あなた顔が真っ青じゃない!」
「ごめんなさい、お母様。私……」
「言わぬことではない。やはり魔物が怖かったのだろう? 全て騎士団が討伐したから安心しなさい」
お父様の言う通り魔物は倒され、この場の脅威は無い。公爵家の屈強な騎士団の強さは今の戦いでも証明され、おそらく野盗の類いなら3倍の数すら撃退してしまうだろう。しかし――
「この先も、クリスが魔物と戦う事などあり得ない。その為の騎士団なのだから」
お父様の言う事は正しい。公爵家の当主一族が直接剣を手に取る事態などあり得ることでは無い。それでも私の中の不安は払拭できず、闇の魔物の禍々しさ、その視線が脳裏に刻み込まれ、それは容易に消し去る事が出来なかった。
無事に闇の魔物は掃討された。何事も無かったかのように旅は再開され、王都に着いたのはその翌日の事だった。
私逹ラピス公爵家一行は、無事に王都入りを果たした。
王都入りしたからと言っても、公爵家が所有している屋敷は王城の近くにあるため、まだ結構な距離がある。とにかくとんでもない広さだ。
闇の魔物襲撃事件から気が沈みがちだった私は、目の前に広がるファンタジー感溢れる光景に、ようやく笑顔を取り戻す事が出来ていた。
「お父様! 露店がいっぱい並んでいます!」
「ははっ、この辺りはそろそろ中心街にさしかかる所だからね。小さな露店の向こうには、大きな商店も立ち並んでいるだろう? さしずめ王国経済の中心と言ったところかな」
建物に比例して人も多く、小さな私などあっという間に迷子になってしまうだろう。有名な店舗なのか、行列の出来ている所まである。みんなとにかく楽しそうだ。
今の国王陛下は、類まれな名君とお父様も言っていらしたけど、うなずけるだけの活気が城下に満ち溢れている。遠目に見えていた王城も徐々にその巨大な姿を現し始めていた。
ディアナ王国の王城はまさしく白亜の城と言った表現が似つかわしく、幾つもの尖塔を抱えそれに旗がなびいている。あまりにも現実感の無い光景に、私はここが異世界なのだと改めて認識した。
王城に出向いて国王陛下に謁見するのは明日の予定なので、今日はこのまま王都内にあるラピス公爵邸に滞在することになる。
程なくその公爵邸に到着し、私の最初の旅が終わった。
次はいよいよ王様登場。