古の邪神
―――ザクッ!!―――
そのまま真っすぐに振り下ろされるかと思われた漆黒の剣。その軌道は途中で持ち手を変えると、迷わず上級の魔物自らを刺し貫いた。
「「―――!?」」
再びの驚愕に混乱する私とユフィ。この期に及んで自害であるわけがない。しかしやっている事は明らかな自滅行為そのものだ。先ほどの挑発的な物言いからも何かの狙いがあるのは間違いない。自らを犠牲にして得るものなんて……………。
「―――っ! しまったっ! ユフィ、結界を張って! あいつを抑え込むの! 今すぐに!!」
「え!? 何がどうなってるの!?」
「説明はあと! 早く!!」
「う、うん!」
これら一連の行為が意味する目的に気づいた私は、光の牢獄の結界魔法を目の前に展開し、ユフィも素早く同調した。
“ようやく気づいたか、しかしもはや遅い…”
魔物がそう口にした瞬間、共に致命傷を負った2体の巨人、その円周上に闇の魔力が溢れ出した!
バチイッ!! その直後、激しい音と共に私とユフィの魔力が弾かれる。
「きゃあっ!」
「な、なに!? 私達の魔力が押し負けたの!?」
とっさの事とは言え、覚醒した聖女二人がかりの魔力が跳ね返された事に動揺するユフィ。かつて無い強力な闇の魔力に、私は自分の考えに確信を持つ。
「もっ、もう一回結界を!」
「クリス! 落ち着いて! 一旦下がった方がいいわ!」
「だめなの! だってこのままだと、きゃあっ!」
私は、無理にでも結界を張ろうとするが、いよいよ激しさを増す闇の魔力とその波動に、ユフィもろとも吹き飛ばされた。真円を刻んで地中から溢れる闇の魔力。その上にいた瀕死の上級の魔物2体は、崩れ落ちるようにその闇に吸い込まれていき、やがて禍々しい魔法陣が浮かびあがってきた。
「いけない! ラルゴ元帥! 後退を! 早くここから離れて!」
「承知した! 全軍後退ーっ!」
このただ事ではない状況の変化に、元帥も直ぐさま後退の命令を出した。
「クリス、一体あれは何なの?」
「あの2体の上級の魔物は生贄になったの!」
「生贄って、あの2体は上級なのよ!? それを使って召喚するものなんて…、まさか――!?」
闇の教団にとって切り札とも言える存在が上級の魔物である。今現時点でこれを倒す事が出来たのは聖女のみであり、普通の人間はおろか、たとえそれが数万規模の軍隊であったとしてもこれに対抗する事は不可能である。その虎の子とも言える最強戦力を犠牲にして召喚するもの―――。そして、それに一つだけ思い当たる最悪の存在は―――。
―――古の邪神!?―――
かつて光の神々と争ったとされる古の邪神。名も無き闇の神とも言われる闇の最高神。上級の魔物2体の対価として考えられる唯一の存在はこれしかない。
あまり考えたくはないが、今回の戦いで散った多くの将兵の生命と、自らの眷属である魔物の生命すら使っているとしたら? たとえ上級の魔物2体を犠牲にしたとしても、神と名のつく存在を召喚するのに十分だったとは思えない。戦場で散った数多の生命を不足分に充てたと考えれば、戦いの始めから召喚を行わなかった事にも説明がつく。
上級の魔物が呑み込まれた穴には、底の見えない深い闇がずっと続いていて、そこからは絶えずどす黒い魔力の霧が溢れ出ている。一向に収まる気配の無いその霧のお陰か、まだ光を失う刻限でない筈の太陽神はその輝きを地上に届ける事が出来ず、辺りはすっかり闇に閉ざされてしまった。
私とユフィはもちろん、連合軍の将兵達も言葉を無くして目の前の現実離れした光景を見つめている。それ程長い時間では無いはずなのに、時間はまとわりつくように長く感じられ、醒めない悪夢に人々が疲れ果てた時―――。
それは現れた―――。
「―――!? く、クリス!?」
「……これが、邪神」
魔力の塊が形成したのは上級の魔物と同じ人型の巨人。しかし大きさは前世における超高層ビルを思わせるほど高く、その下半身のほとんどはまだ魔法陣の中にあるため、それら全てを含めた大きさは想像を絶する。
そしてその頭部にははっきりとした顔があった。今世と前世、どちらの伝承でも神を模倣して創られたのが人と言われている。邪神とは言え顔があるのは当たり前の事なのだろう。しかし、漆黒の巨体に無機質な表情のそれは、人でないものへの畏怖を抱かせるのに十分であった。
その眼球は緩やかに辺りを見回し、緩慢な動きで巨大な右腕を上げる。その先にある王国軍を見て、私の背筋に悪寒が走った―――!
「いけない! お父様ぁ―っ!!」
「クリス!?」
超高速の飛翔魔法! 私は直感の告げるまま全速力で王国軍の前に飛び込むと、ありったけの魔力を込めて光の防護結界を展開する。その直後!!
カッ! 邪神の右腕から青白い光を放つ超高密度の魔力の攻撃が放たれた! 闇の魔力だけを押し込めた力押しの攻撃。私は前面に展開した防護結界にさらに魔力を込めて精一杯の抵抗をする。
「はああああぁぁぁ―――っ!!」
バチイィィンッ!! 激しい炸裂音と共に、私の防護結界と邪神の魔力の波動が対消滅する。
危なかった。あの攻撃は王国軍を消滅させて余りある。今の攻撃を防いだだけで、私の魔力の半分以上が持っていかれてしまった。しかし、安堵するのも束の間、邪神の口元が弧を描くのを見て私は再び戦慄する。まだ終わってない!!。
カッ! 先ほどと同じ魔力の攻撃が再び放たれる!
「間に合えええぇぇ―――っ!!」
間一髪! 正に紙一重で結界を張り終えた私だが問題はここからだ。既に魔力の半分は底をつき、精霊からの魔力供給も追いついていない。先の攻撃で完全に威力を相殺出来なかった私の服は所々が焼け焦げて、自身も含めてぼろぼろだ。
さっきの攻撃のように対消滅はおろか、受け止め続ける魔力も残されていない。後はもう攻撃を逸らすしか方法がない!
「あああああああああぁぁぁぁ―――――っ!!!!」
激しくぶつかり合う光と闇の魔力。私は声を上げながらそれを左後方に逸らし、攻撃を躱す事には成功したものの、その強い反動で地面に強か叩きつけられる。ズザアアアァァ―――。
「くっ……」
地面に横たわる私は直ぐに立ち上がる事が出来ず、少し身体を動かすと鈍い痛みが走った。どうやらアバラを何本かやってしまったらしい。幸い立ち上がれないほどではなさそうだ。私は痛みに耐えて上半身を起き上がらせると、なんとか立ち上がる事には成功する。
ほとんど死に物狂いの状態ではあったが、かろうじて邪神の攻撃を逸らす事は出来た。しかし邪神の2回の攻撃を凌いだだけでも私の身体はこの状態だ。魔力もすっかり枯渇してしまい、おそらく精霊からの魔力供給も間に合わないだろう。
“このままでは勝てない……”
目の前に立ちはだかる空前絶後の巨体。底知れない無尽蔵の魔力とその圧倒的な存在感。その視線の先に自分がいるとわかるだけで震えが止まらなくなるのは、闇の魔力に敏感な精霊の愛し子だからでは無い。単純な実力差ゆえだ。
絶望的になるのはまだ早いが、万全のコンディションであっても邪神に対抗するのは不可能だ。例えそれが覚醒した聖女であったとしてもせいぜい数分持ち堪えるのが精一杯。そんな理不尽な存在に対抗し得るものがあるとしたらそれは……。
私が残された唯一の方法に考えを巡らせた時、戦場に一条の光の柱が差し込んだ。光の先、私と同じ聖女の衣装に身を包んだ少女がいる。
「…ユフィ?」
彼女は神々しい光の中で目を閉じていて、大掛かりな大規模魔法のために魔力を高めているのだと分かった。私はそのあまりにも幻想的な光景に目が奪われ、疲労の目立つ思考はその働きを怠ってしまう。輝きを増していく光の中、瞳を開けたユフィと目が合い、全てを理解した―――。
「ユフィ! だ、だめええぇ―――っ!!」
私は慌ててユフィの所に行こうと飛翔魔法を試みるが、精霊からの魔力供給が不完全なため、その場でたたらを踏み転倒してしまう。直ぐに起き上がり手を伸ばしてみても当然届くような距離ではない。あり得ない。そんなことは事はわかりきっている。―――っでも!。
「ユフイイイイイイイィィィ――――っ!!!」
私はもう一度、彼女の名を叫んで千切れんばかりに伸ばした腕をさらに前方へと押し出す。その間も光の柱は輝きと共にその大きさを増していき、次第に彼女の姿が見えなくなっていく。何よりも大切なその笑顔。その口が大好きと動くのを最後に、ユフィは光の中に消えた―――――。