妄執の果て
“皇国の聖女よ…”
しわがれた老人のような声。3体目の上級の魔物の口から聞こえてきたのは確かな人語であった。上級の魔物が人間の適合者の身体に召喚される事を思えば、喋れる事自体にそれほど驚きはない。だがこの期に及んで会話を試みるその意図が分からず、私とユフィは身構えた。
“ふふ、まあ警戒する事はない。まずは褒めてやろうではないか。よくもここまで我らを追い詰めたものだ”
「「……………」」
相手の意図が分からない以上、会話に応じる必要はない。それにただ自分が話したいから話してる。そんな感じだ。
“我らの預言も正確では無かった。今代の精霊の愛し子は男子とのお告げであったが、蓋を開けてみれば光の聖女。しかも二人だ。結果、至る所で失敗を繰り返しこのざまよ”
実は当たっている…とは教える義理は無い。そういえばディアナ王城の襲撃も、私が王都入りをした翌日の事と思えば、かなり正確な預言だったのだろう。
“神々の御世が終わってもうすぐ1000年。忌まわしきタリスの力が最も弱まるのがこの周期とも言われている。なればこそ我らはこの計画を決行したのだ。しかしさすがは支柱神よ。自身の力が弱まると見越して二人の愛し子を用意するとはな”
「結局あなたは何が言いたいのですか? 上級の魔物はもはや聖女二人の敵ではありません。負け惜しみを言って満足したのなら、さっさと決着をつけましょう」
話が長くなりそうなので、ついつい会話してしまった。顔の無い口だけの魔物のその口角がほんの少しだけ持ち上がる。
“ほう、言いよるわ。確かに今さら我が戦ったところで勝ち目はあるまい。しかし、我が戦うとは限るまいよ…”
「? それはどういう…!」
自らは戦わないと言う上級の魔物。どうやら元は闇の教団の幹部らしいが、その意図が分からない。聞き返そうとしたところで、魔物が右手をかざした。右手には何か麻袋のようなものが握られていて、左手で器用にその袋が取り除かれる―――!?。
「たっ、助けてくれぇ!!」
「ブロム司祭!?」
麻袋の中から現れたのは、聖女教の司祭であるブロム司祭だ。魔物の手の平の上で、汚れた神官衣を縮こませながら必死に助けを求めている。
「クリス、司祭の頭に!」
「召喚用のアーティファクト!?」
ブロム司祭の頭に着けられているのは、あの忌まわしいアーティファクトだ。最悪のシナリオが頭をよぎる私達に、なおも魔物は告げる。
“この男は御し易くてな、聖女二人を意のままに出来ると吹き込めば、簡単に情報を教えてくれた。それこそ学院の生徒であるとか、その動向であったりとかな。残念な事に聖女誘拐の計画は見事に潰されてしまったが”
「うっ、嘘です! 聖女様ぁ! 私は脅されて仕方なく!」
どうやらブロム司祭から教団に情報が洩れていたらしい。セシリアが危険な目に遭った事を思えば到底許す事は出来ないが、このまま見殺しにも出来ない。
「司祭を離しなさい! 情報を得たのならもう用は無いでしょう!」
“ふむ、お優しいことだ。確かに必要とする情報はもう無い。しかし、この男の身体は別だ”
魔物がそう口にした瞬間、ブロム司祭の額のアーティファクトが不気味な光を放つ。
「ぐぁああああああぁぁぁ――――っ!!!」
絶叫を上げるブロム司祭。私達が呆然と見つめる中、その身体は凄まじい早さで膨れ上がり、人では無い異形の魔物に転じてゆく。司祭だけに魔力量も多く、聖女に対する執着も異常なレベルだ。適合者としてこれ程ふさわしい人材もいなかったのだろう。僅か数秒の間に直立する4体目の巨人が姿を現した。
「4体目の上級の魔物…」
「大丈夫よユフィ、もうこれでおしまい。私達なら勝てるから!」
勝利が見えた時ほど、それが遠のいた瞬間のダメージは深い。気落ちするユフィを励ましながら私は身体中に魔力を行き渡らせる。やはり治癒特化のユフィはまだ戦いに慣れていない。場合によっては私一人でこの二体を相手取る必要があるかもしれないのだ。
”聖女クリスティーナか、やはり本命は貴様のようだ。だが先ほども言ったように我が戦う事はない。ましてやこいつもな”
「この期に及んで戦わずに身を引くと言うのですか? それともこちらの油断を誘うつもりなら無駄な」
”ふははははっ! そうではない、そうではない! 解らぬのも無理はないが、くっく、ようやく貴様たちに絶対的な絶望を味あわせてやれるとは全く愉快よなぁ!”
私の言葉を遮るように嘲笑う上級の魔物。自らの勝ち目は無いと認めた上での不可解な言動に、否応なく私は警戒心を高めるが、この魔物の意図がまるで分からず、外れようのない嫌な予感は言いしれぬ不安を掻き立てる。そして―――。
“ゼ、ゼイジョサマァ…”
不意にブロム司祭であった上級の魔物が動き出した。
「クリス、あの魔物が!」
「わかってる、とりあえず雷撃を放つから援護をお願い!」
「わかった!」
“ゼゼ、ゼイジョサマハ、ワジノモノダアアアアァァッ!! ゼイジョザマアアアアアアアアアァァッ!!!”
ブロム司祭だった魔物が、両手を広げて襲いかかってくる。私がそれを魔法で迎え撃とうとしたその時――――。
ザンッ!!!
鈍い切断音と共にブロム司祭だった魔物の首が宙を舞った。
「―――なっ!?」
目の前の光景がにわかに信じられず、私は声を失う。私はまだ雷撃魔法を放っていない。ブロム司祭だった魔物は、背後の上級の魔物に斬られたのだ。
その上級の魔物は自らの身体から剣を幻出させ、一振りでブロム司祭だった魔物の首を落としたのである。
ズウウゥンッ! 魔物の首が地面に落下して地響きを立てた。しかし、首を失いながらも動きを止めない上級の魔物。
“ふむ、やはり首を落としたところで絶命はせぬか…。どれ”
ドシュッ!! なおも動く上級の魔物を地面に縫いつけるように剣を突き立てる。魔物とは言え元は人間だ。しかし同族に対しての情をなど一切感じさせ無いその冷淡ぶりと、目の前の信じがたい光景。私とユフィはただ呆然と見ていることしか出来ず、その困惑などお構い無しで事態は転がるように変化してゆく。上級の魔物はそれを楽しむかのように声を上げた。
“ふわっはっははっ、困惑しているようだな聖女達よ。これしきで驚いてもらっては困るのだ! これしきで! まだ最後の仕上げが残っているのだからなぁ!!”
そう言い放った上級の魔物はもう一つ剣を幻出させるとそれを高々と振り上げる! 漆黒の剣が纏う尋常では無い闇の魔力。それに気づいた私は直ぐにユフィの前に立った。
「ユフィ! 下がって!!」
「クリス、 でも!」
自分も前に立ちたがるユフィを強引に下がらせると、私は愛用の剣に光の魔力をまとわせる。更に魔力を高めて衝撃に備えたところで魔物の漆黒の剣が振り下ろされた!!