ユーフェミアの戦い③
私が展開した光の広域結界の中、皇国軍は短時間で体制を整え、一時は半数近くまで減った兵力も、負傷から復帰した兵を加えて、7万人以上に回復する事が出来た。広域結界に阻まれて進軍出来ない魔物の軍勢は、不気味な沈黙を守りながら皇国軍と対峙していて、結界を境に睨み合う一触即発の様相となっている。
私はラルゴ達のいる本陣から離れ、上級の魔物の内の1体、皇国軍から見て左側の個体を前に、ギルバート他数名の騎士を伴って陣取っていた。
私がラルゴと立てた作戦では、目の前の上級の魔物を私が、もう片方をラルゴ率いる皇国軍主力が倒す事になっている。
半透明の結界の向こう、不気味な静けさの中、上級の魔物は、顔の無いのっぺりとした頭部を私の方に向けていて、目の無い筈のそれからは不気味な視線のようなものを感じていた。
「殿下…。本当にお一人で大丈夫ですか?」
ギルバートが遠慮がちに声をかける。
「ええ、もちろんです。皆も分かったわね? 下手をしたら私の魔法の巻添えになるわよ」
「「「はっ!」」」
「本陣に向けて合図を! 今から結界を解除します!」
「はぁ―――っ!」
私からの指示に従い、伝令が本陣に向けて旗をふる。本陣からの返事の合図を確認して、私は目の前に広がる結界を解除した。
ゆうに百メートルは超える高さの光の結界が霧散し消えていく様は、いっそ幻想的ですらある。しかし、薄い光の膜の向こうから現れるのは、闇の魔物達の無慈悲な軍団。その中でも一際目立つ2体の黒い巨人は、静かに皇国軍を見下ろしていた。
その水を打ったような静寂の中、皇国元帥ラルゴ・マルクスの声が響き渡る。
「皆の者良く聞け! これが最終決戦だ! 敵は強大なれぞ、我らにはユーフェミア殿下が、光の聖女その人がついておる! 皇国に勝利を! 聖女と共にあれ!」
「「「「皇国に勝利を! 聖女と共にあれ!」」」」
総司令官の号令に、全軍が一斉に応える。伏せられていた聖女不在の情報は解禁されたが、光の聖女その人が間に合ってくれた事実と、目の前で起きた奇跡としか言いようのない大魔法のおかげで兵達の士気は高い。
そしてその聖女は自分達と同じ戦陣に立ってくれているのである。かつて聖女による親征が無かった訳では無いが、先のセシリアやマリーカのような後方支援がせいぜいで、直接陣頭に立つ聖女の可憐な姿は兵達の騎士道精神を大いに高ぶらせた。
「全軍突撃いぃ―――っ!!!」
「「「「うおおおおおぉぉぉ――――っ!!!」」」」
突撃の号令に呼応して全軍から上がる鬨の声。土煙を巻き上げながら突撃する皇国軍に対して、鈍重とも言える緩やかさで前進する魔物の軍団。
「前衛部隊はとにかく中級と下級の数を減らせ! 上級には近づかず、可能な限り足止めをせよ! 魔法部隊、攻撃開始だ!」
ラルゴから矢継ぎ早に出される命令と、魔法兵による攻撃魔法の炸裂音。それらを横に聞きながら、私も魔法攻撃の準備に入った。
「光…光球……丸く…閉じて…」
上級の魔物を睨んでいた瞳を閉じて、精神を集中させていく。イメージを具現化しやすいように言葉をつむぎながら、ひたすらに魔力を込めていくと、上級の魔物の周囲から光の粒子が現れ、舞い上がっていく。
「……閉じる…結界……檻……牢獄!」
私が最後の言葉を発した瞬間、目の前に巨大な光のドームが現れた。光のドームは上級の魔物をすっぽりと包み込むと、更にその輝きを増し、周囲に熱を放ち始める。
「グガアアアアァァーーーーッ!?」
光のドームに閉じ込められた上級の魔物の苦悶の声が響く。治癒魔法特化の私が持てる最大の攻撃方法は、つまるところ結界魔法だ。イメージしたのは光の牢獄。
セシリア誘拐事件の際に、闇の司祭が魔物に転じるのを封じた光の球体。あれの規模を極限まで大きくしたのが、この魔法である。
覚醒前の未熟な聖女(内一人は男)二人がかりで、小さな結界の維持がやっとだったのに、上級の魔物を封じる程の大きさと強度を持った結界である。そして内部は光と熱に満たされ、闇に属する魔物には死と滅びに至る破滅の監獄だ。
効果はもちろん必要な魔力も尋常ではなく、精霊から供給される魔力が、片っ端から吸い取られていく非効率甚だしい大魔法。いかに覚醒した聖女とは言え、私はその制御に必死になった。
「うぉっと、危ねえ!」
ギルバートが私に襲い掛かろうとしていた黒い魔物を斬り伏せる。
「なんだぁ? こいつら殿下ばかり狙って来やがる!」
上級の魔物本体の防御本能なのか、それから分離した小型の黒い魔物達が、私目掛けて一斉に襲い掛かってきた。
分裂したアメーバのように敵味方の隙間をくぐり抜け、集結する黒い魔物達。それをギルバートと護衛騎士達が果敢に迎え討つが、明らかに魔物の方が数が多い。戦場に散っていた数百体の魔物全てがこちらに向かっているようだ。ギルバートはもちろん、皇女の護衛に選ばれた騎士は腕利き揃いだが、この黒い魔物は強力で、数人がかりでないと倒せない。
「くっ! 数が多過ぎる! 殿下ぁ!」
必死に守る護衛騎士達の間、その僅かな隙間をぬうように一体の黒い魔物が通り抜けた。その先で魔法を維持している私は完全に無防備で、何も遮るものが無い。ただの数秒が何倍にも感じられる時間の中で目の前に立つ黒い魔物。現実感の無いその光景を、私はただ呆然と見ている事しかできない。
「殿下あぁ―――っ!!」
ギルバートの叫び声が聞こえ、ゆっくりと魔物の腕が私目掛けて振り下ろされる! 駄目っ! 避けれない!
私が目を閉じるその刹那―――!。
キイイイィィィンッ!!
皮膚を切り裂く音ではなく、なにかの金属がぶつかり合う音―――。恐る恐る閉じていた目を開けると、獲物を切り裂く為に硬質化した魔物の腕が、見慣れた細身の剣に阻まれている。そして待ち焦がれた金色の髪が私の視界を覆うと―――。
「クリス!?」
「ごめん! 遅くなった!」
目の前に立つのは私と同じ聖女の衣装に身を包んだ絶世の美少女。二人目の聖女としてファナの称号を授かり、皇国中の尊敬と憧れを一身に集めながら、名誉将軍として元帥に次ぐ地位にある私以上の歩く規格外。その正体は私と同じ転生者にして性別を偽った男の娘。
クリスティーナ・ファナ・ラピス。私の想い人がそこにいた。
いつぶりの登場だ? これ?




