ユーフェミアの目覚め
うっすらと寝ぼけ眼を開けると、知らない天井が見えた。ここ何処だろう? ぼやけた思考で考えながらも寝返りをうち、顔を横に向けるとクリスの顔が見える。ふふ、寝顔が可愛い…… ね――――あれ?
「ふええええぇぇ――――っ!?」
我ながら間抜けな声と自覚しつつも、叫ばずにはいられなかった。何でこんな事にぃ―――っ!?
私の隣で、すやすやと寝息をたてながら眠っているクリスは、さながら眠り姫のようだ。まぶたを飾るまつ毛は長く、丁度良い高さの鼻とふっくらとした唇は、黄金律に定められたかのごとく理想的な配置で美しい小顔に収まっている。
女性誰もが羨む豊かな金髪は、乱れ具合が妙に艶めかしく、私は思わずそれを一房つまんでしまうが、それよりも……、私はクリスの着ている夜着を見て言葉を無くした。
なんて格好してんのよおぉ―――っ!!
クリスの身に着けているのは、布地の小さい下着に上から羽織った薄いひらひら、ベビードールと言うやつだろうか? せめてもの救いは、下半身をガードしているドロワーズだが、それでも破壊力が抜群で、男の娘と知っている私でも疑問符を投げかけたくなるような、とんでもない色気である。
え!? 私、されちゃったの? それともまさか、ししし、しちゃったの――っ!?
時間と共に思い出してきたのは、教団アジトでの戦いが終わった後の諸々。何となく頭がぼーっとしていた私は、当然のようにクリスにお姫様抱っこを要求したり、誰はばかる事なくべったり引っついては周りを唖然とさせていたような気がする…。
まさか、そのままスキンシップがエスカレートしてこんな事に!?
どうしょう、その成り行きだと間違い無く襲ったのは私の方だ。未経験の男の娘に無体を強いるなんて、聖女どころか鬼畜だよーっ!!
直視する度胸の無い私は、恐る恐る自分の下腹部に手を伸ばす……。あれ? 痛くない?
初めての行為の後にあると言う下腹部の痛みが無い。と言う事は何も無かった…? 改めて周りの様子を見てみれば、ここは病室のようだ。そもそも二人とも着衣の乱れが無い事からも何も無い事は一目瞭然。
安心したような、残念なような、モヤモヤした思いを私が抱えていると扉からノックがした。私は反射的に返事を返す。
「は、はい、どうぞ?」
「姫様っ!?」
すんごい勢いで扉が開いたかと思うと、私の専属侍女のアンナが入って来た。続いてクリスの侍女のマチルダも顔を出す。
「姫様ぁ! 良くお目覚めに! どこか具合いの悪い所はありませんか? ああっ、本当にようございました!」
「あ、アンナ、大丈夫だから落ち着いて」
ひどく感情的になっている自分の専属侍女を見て、自分がかなり危ない状態だった事が分かった。
あれ? じゃあクリスは?
「ねえアンナ、く、クリスはどうしたの? これ眠っているだけじゃないの?」
「クリスティーナ様は、姫様の聖女熱を抑えるために魔力同調をされました。それが3日前の事にございます」
「聖女熱? 3日前って…」
「姫様はセシリア様誘拐事件から1週間、意識不明の状態だったのです」
「1週間…?、そ、そんな、だって私、聖女じゃ…」
ないのに…、と言いかけて口を噤む。
ふと室内に意識を向ければ、この中は光の精霊で満ちているのがわかる。更に意識を集中させると、光の精霊からは魔力が感じ取れ、それが完全に自分の支配下にある事がわかった。
そっか…、私も聖女になったんだ…。
思えばあの上級の魔物との戦いで、私は初めてクリスと魔力同調をした。それ以来、光の精霊への親和性が格段に上がったが、私は特にそれを気にしていなかった。
本物の精霊の愛し子はクリスだけで自分はそうではない。そう思い込んでいた。それがまさか自分まで聖女になってしまうとは。
「……私、クリスのおかげで助かったのね」
「お嬢様は言い出したら聞きませんから」
呆れがちに口を開いたのはマチルダだ。そのまま寝台の横に腰を下ろすと、まだ目を開けない主を寂しげに見つめる。
「医師の話では危機的な状態は脱したとの事にございます。ただ、殿下の聖女熱を抑えるため、二人分の魔力をその身に受けましたので、目覚めるには今少しかかるでしょうとも…」
「また、無茶したんだ……」
「ご安心下さい。このまま安静にしていれば大丈夫ですから」
マチルダの話では、クリスの専属としてラピス公爵家から医師が派遣されていたらしい。高位貴族のお抱えとは言え、他国の医師を皇族専門の医療機関に常駐させるのは異例中の異例だ。しかし、聖女認定と同時にファナの称号を得たクリスには、どんな特例も無条件で許された。そのおかげでクリスは皇都にいながら、信頼できる医師の治療を受けられたのである。
その医師の話は、私自身、マリア義母様に聞かされて知っている。信頼できる医師の見立てと聞いて、やっと肩の力が抜けた。
「そう、良かった…」
そう呟いて寝台の上のクリスを見つめる。ふと気になったのはクリスの着ているスケスケの夜着の事だ。
実行犯はマチルダだろうが、おそらく、いや間違いなくマリア義母様の持たせたものだろう。さすがの見立てで、艶めかしいのに清楚さも損なわれず、あつらえたようにクリスに良く似合っている。なんてけしからん!
この格好のクリスの横でただ寝ていただけなんて、なんてもったいない事をしたのだろう。この際百合でも良いかもしれないと割と阿呆な事を考えながら、私はこの世界に写真機の無いことを悔やんだ。
「ふふ、お楽しみいただいたようで何よりです」
私の考えはお見通しだったようで、マチルダが笑いながら話かけてきた。表情を察するにアンナも共犯のようである。
「私、あなたのそんな身も蓋もないところ、割と好きよ」
「恐縮です」
「褒めてないから!」
盛大に突っ込んだ私。お馬鹿なじゃれ合いをしている内に、なんとなくいつもの調子も取り戻したようで、このやり取りさえも懐かしく思える。あとはクリスさえ目覚めてくれれば全て元通り。
しかし、ここでアンナが躊躇いがちに口を開いた。
「姫様、病み上がりのところ申し訳ありません。お父君、皇王陛下から、もし姫様かクリスティーナ様、いずれかが目覚めたなら可能な限り早く、御前に参上するよう言付かっております」
「お父様が?」
「病み上がりの体調を考慮してとはありますが、もし参上が可能なら先触れも不要と」
「それって…」
格式と儀礼を重んじる皇室にあって、先触れを不要とするなどあり得ない。ましてやその頂点足る皇王の命じる事では断じて無い。
事を収める為になりふりなど構っていられない。それ程の重大事があったと言う事だ。
「実は数日前、国境付近に魔物の軍が現れたそうにございます。おそらくその件かと」
「魔物の軍? 本当なの!?」
「はい、かつて無い規模との事で、それを迎え討つべく、昨日ラルゴ元帥が皇国軍全軍を率いて出陣なされました」
「皇国軍全軍って、総力戦じゃない!」
皇国軍5万が全軍で出陣する規模の魔物の軍団! 戦慄すると共に皇王の意図が、そして皇国の置かれている状況がわかった。
この戦は危うい?
アンナ達二人から詳しく話を聞いてみると、やはり私達が聖女熱で臥せっている事には箝口令が敷かれていたらしい。 そして、皇国全軍の出陣式は大々的に行なわれ、演説こそないものの、私達二人の替え玉らしき姿が式典では確認されたそうだ。
派手なイベントで聖女不在を隠し、なんとしても戦いを有利に進める思惑が見て取れる。
あの父の事だ。不在とは言え、私達二人を上手く利用しようとするだろう。戦いを有利に進める為にも、聖女不在を悟らせず、旗頭として兵達の士気を高める。おそらくその替え玉も複数人用意しているに違いない。
それでも戦に勝てない程、敵が強大だとしたら…。
皇国軍の敗北はそのまま皇国の敗北だ。そしてそれは皇国が守護する神の柱の崩壊をも意味する。
このままではクリスも、アンナ達も死んでしまう!?
「アンナ!」
「は、はいっ!」
「お父様に、陛下に謁見します。急ぎ支度を」
「かしこまりました!」
もはや迷うべき何ものも無い。いつもいつもクリスに助けてもらってばかりではいられないのだ。さいわい今の私には聖女としての力がある。それですらクリスにもらったようなものだけど、それでクリスを守れるのなら本望だ。
「クリスも、この世界も、私が守ってみせるわ」
誰に聞かせるでもなく、私は一人呟いた。