路地裏を抜けて
セシリアの誘拐が判明してしばらく、時刻はすでに夕暮れとなり、辺りは薄暗くなってきた。この上夜ともなれば、捜索活動は更に絶望的になるだろう。
闇の教団の関与がわかった以上、セシリアが連れて行かれたのは貧民街の可能性が高い。問題はどこから皇都の壁を抜けたかだが、皇都の外周を囲む壁の規模は尋常なものではない。
しかも人の通れる隙間の数は予想以上に多いらしく、怪しい場所を見つけたとしても、それが本命に続く道か判断に迷う始末だ。
このままでは手遅れになる。私が捜索に充てる騎士の増員を考え始めた時、コツンと足元に何か当たった感触がした。
小石? 私が辺を見回すと、細い路地の暗がりに子供が数人立っている。
「あなた達は…」
よく見ると、孤児院のバザーでお菓子をあげたあの貧民街の子達だ。
リーダーらしい男の子と目が合うと、視線と身振りで私について来るように訴えている。
「……案内してくれるの?」
「ちょ、ちょっと、クリス、大丈夫なの? 罠の可能性だって…」
私の隣で事の成り行きを見守っていたユフィだったが、ここでたまらず待ったをかけた。
「教団と接触出来るのなら、この際罠でもかまわない。それに少々の罠でどうにもなるもんですか」
「自信があるのは良いことだけど、あなた、これまでに何回死にかけたかわかってる?」
「わかってる! けど、後悔もしたくない!」
二人で見つめ合うこと数秒、ユフィがため息をつきながら頭をかく。
「ふぅ、言い争っている時間も勿体無いわね…」
「…あ、ありがとう、ユフィ」
「行っておくけど、私も付いていくからね」
「ユフィ!?」
「絶対に付いていくの!」
頑固なのはお互い様のようで、ユフィも引くつもりはないのだろう。聖女二人の子供のような言い合いに、捜索に追従する騎士の何人かは、驚きを隠せないようだ。実際、12歳そこらなんて子供も同然なのだけど。
「…わかった。くれぐれも慎重にね」
私の言葉に頷くユフィ。こちらの意思がまとまったと分かると、貧民街の子供達は移動を開始した。
移動を始めた子供達は薄暗い路地裏をぐんぐんと進んで行く。中には大人が通るのにギリギリな細い横道もあったが、幸い軽装の騎士達は何とか通る事が出来た。
そして辿り着いた巨大な壁。皇都の内と外を隔てる頑丈な壁に一筋の亀裂が走っている。
「……よく、こんな所が…」
その亀裂は巧妙に周りの民家の壁に隠され、普通に捜索していたのではまず見つからないであろう。まさに抜け穴であった。貧民街の子供達は迷う事なくそこに入って行く。
私は付き従う騎士達を集めると、急ぎ指示を出す。
「誰か一人はこの場所で待機。2時間以上動きが無ければ、上に報告して指示を仰ぎなさい。もう一人はホワイトパレスのラルゴ元帥に経過報告を。残りは私と共に中に突入します」
「「「はっ!!」」」
訓練された騎士の動きは早い。出された指示は速やかに実行され、私達は大人一人がかろうじてくぐれるその隙間に足を踏み入れた。
細い通路の先を急ぎ、亀裂のトンネルが終わると、ようやく壁の外に出る事が出来た。
「ここが貧民街…」
目の前には、無秩序に建てられた家屋がぎっしり建ち並ぶ異様な光景が広がっている。
最低限の居住性と安全性だけが確保されたと言えば聞こえは良いが、それすら疑われる。いわゆる掘っ立て小屋が無計画に増築され、アメーバーのように拡がっていった結果が目の前の光景であった。
基礎工事すらされていないのか、どの小屋も皇都の壁にもたれ掛かるように傾いていて、ドミノ倒しを誘発しそうな危うさすらある。
「…こ、これ、よくバランスが取れているものね?」
「………まったく、お父様が手を付けたがらない理由も解るわ…」
ユフィの呆れた声に私も小さく頷いた。正確な数は分からないものの、貧民街の人口は、下手をすると壁の内部の皇都民をも上回る可能性があるらしい。だからこそ闇の教団の拠点としても重宝され、教団を完全に排除したい皇国側としても、手が付けられない状況と言う訳だ。
しかし、今はそれどころでは無い。いずれ皇国側が解決すべき問題だろうが、こちらは現在進行形で誘拐事件が起きているのだ。
「今はセシリアさんの安否が最優先です。先を急ぎましょう」
私が貧民街の子供達に視線を向けると、リーダー格の子が小さく頷き返し、そのまま駆け出し始めた。
壁を抜けて直ぐの場所に教団の拠点があるわけも無い。子供達は人の少ない路地を、さらに奥へ奥へと進んで行く。
いったいどれほど移動しただろう? 複雑に入り組んだ道の先に怪し気な建物を目にした時には、辺りはすっかり暗くなっていた。
子供達はあからさまに緊張して、その建物を見つめている。貧民街の比較的小さな建物が多い中で、明らかに大きな建物だ。ぱっと見では巨大な倉庫のような風貌だが、ここからでは中の様子を窺い知ることはできない。
しかし光の精霊の愛し子である私には、中にある禍々しい気配を敏感に感じ取ることが出来た。それはユフィも同じだったようで、不安気に声をかけてくる。
「クリス、これって…」
「うん、ここで間違いないと思う」
セシリアは間違いなくここにいる。まだまだ油断出来る状況ではないが、私はほんの少しだけ息をついた。
「あなた達ありがとう。ここは危なくなるから、逃げた方が良いわ」
私は貧民街の子供達の前で膝をつくと、左手の小指から指輪を外す。指輪にはラビス侯爵家の紋章が彫り込まれていて、私が印章として普段使いしている物だ。
「これ、何か困った時は私が力になるから頼って、いらなければ売ってお金にしてもいいから」
そう言ってリーダー格の男の子の手に指輪を握らせた。びっくりしたように顔を上げる男の子は、慌てて手を引っ込めようとするが、私はその手を強く掴んでしっかりと指輪を握らせる。
「私はこの国の人間じゃないし、大人ですら無い。そもそも聖女でもないし…。それでもね、何とかしたいって思うんだ。な、なんか上手く言えなくてごめんね。でも、待ってて!」
意中の女の子にも、ましてや、こんな小さな子供相手にすら私の口はまともに動いてくれない。それでも何かしらは伝わったようで、男の子は真剣な顔で頷いてくれた。
貧民街の子供達は、時折こちらを振り返りながらも家路につき、そのまま路地の暗がりに消えて行った。それを静かに見送った私は、今度は闇の教団のアジトであろう建物を睨み静かに息を吐く。そして静かに行動を開始するのであった。