再び戦いへ
「大言壮語の割に、出してきたのが大猿ですか…。まあ、かえって安心しました」
魔物召喚のアーティファクトを使って姿を現したのは、これまでも散々戦って来た中級上位の大猿だった。
あえて軽口を言って挑発してはいるが、おそらくただの大猿ではないだろう。闇の気配に敏感な私は、心の中で警戒のレベルを上げる。今まで見た大猿よりも色が黒く、上背もある。何よりも禍々しさが段違いだ。
「ヘ、ヘラズグヂモ、ソゴマデダ…ダッブリトコウガイスルガイイ…」
「驚きました! その体でも人語を解せるのですね。まあ、頭が良くなった訳でも無さそうですが」
「クリス! 油断しないで!」
私と同じように闇の気配に敏感なユフィが、心配して声をかけてきた。
「ありがとう。大丈夫だから少し下がっていて。直ぐに終わらせるから」
「―――ッ! セイジョ、ゴロスゥ!!」
私の挑発に乗せられた大猿が、猛然と突進して来た。通常の個体よりも明らかに速い。しかし―――
キィィンッ!
鞘走りの音と共に剣閃が閃く!
大猿の前にいた筈の私は、いつの間にかその背後に立ち、静かに愛用の剣を振るう。銀色の刃にこびり付いた血糊が地面を濡らした。
「…? ヴァ? イ、イヅノマニウシロニ?」
状況を上手く飲み込めない大猿は、ゆっくりと後ろを振り向こうとするが、次の瞬間――― ズリッ…
大猿の首元、胴体から頭がゆっくりスライドしたかと思うと、そのままドサッと地面に落下した。続いて首を失った胴体もグシャリと崩れるように膝をつき、そのまま地面に突っ伏すように倒れ、横倒しの巨体と共に土煙が辺りを舞う。
実際に私の実戦を見た者は少ない。信じられない顔で固まっている騎士達をよそに、私は涼やかな顔でカーテーシーを終える。そこにユフィが駆け寄ってきた。
「クリス、怪我はない?」
「ありがとう。大丈夫よ。それにしても、出来ればさっきの奴から情報を取りたかったのに…」
多少の知能は残っていたようだが、魔物となった時点で捕獲はできない。それに一瞬で倒しはしたが、今の一振りは私の全力だ。それほどに強力な魔物であったのは疑いない。どのみち生かしておくわけにはいかなかっただろう。
「ギレン、マックス、両隊長は前に!」
「「はっ」」
私の前に両隊長がかしこまって膝をつく。2人共明らかに顔色が悪い。
「両小隊の中で、目撃情報は?」
「はっ、交戦したのは閣下が遊撃隊とした騎士3名。相手は怪し気な魔法を使う賊が5人、ふ、不覚にも全員倒されました。皇女殿下のお陰で命に別状はありませんが、賊は閣下が倒された者以外は全て取り逃し、は、伯爵令嬢の手掛かりも……」
申し訳の無さからだろう、報告するギレン隊長の顔はますます青くなっていく。
「こ、此度の失態の原因は我らにあります! いかようにもご処分下さい!」
そのまま、地面に頭を付ける勢いで平伏する2人。それに向け私は静かに口を開く。
「失態の責任は全て私にあります」
「か、閣下!?」
「先ず、明らかに遊撃隊の数は足りていませんでした。これは間違いなく私のミスです。この事あるならば、3個小隊の動員も視野に入れて然るべきでした。全て私の見通しの甘さが原因、この上で両隊長の責任を問うことはしません。いいですね?」
「…そ、それではあまりにも!」
尚も言いつのろうとするギレン達。
「今は時間が惜しいの! グダグダ言ってないで働きなさい! それとも職務を放棄して、小隊の指揮を私に押し付ける気ですか? 今、現場指揮官に抜けられると困るんです! 反論は一切受付けません! い い で す ね!」
「はっ、はぁ―――っ!!」
再び打たれたように平伏する2人。だが、やる気は出たようだ。
「急ぎ指示を伝えます、先ずケヴィン。キスリング皇太子とその護衛騎士をここに呼んで来て」
「わかった!」
勢い良く返事をしたケヴィンは、直ぐに行動に移る。
「今回の首謀者が闇の教団である事は間違いありません。ギレン、マックス両小隊は事件の目撃者と、教団についての情報を集めて下さい。それとギレン隊長」
「はっ!」
「ホワイトパレスのラルゴ元帥及び、ダールトン伯爵家に事の一部始終を報告。伯爵には私が必ずセシリア嬢を助けると伝えて下さい。ラルゴ元帥には念の為、大隊規模の動員準備をお願いするように」
「はっ! 直ちに双方に使いを。私も聞き込みの陣頭指揮に移ります」
ギレン、マックス両隊長が部下を率いて踵を返す。それと入れ違いにキスリング皇太子が護衛騎士を連れて姿を見せる。
「ラピス公爵令嬢、大変な事になっているようだが」
「殿下、わざわざお呼びして申し訳ありません」
「よい、そなたと私の仲だ。私に出来る事があれば協力する」
あなたとそんな仲になった覚えは無いのだが? 口に出かかった言葉を何とか飲み込むと、私は話を続ける。
「話が早くて助かります。殿下の護衛騎士の御力をお借りできればと思いまして」
「護衛騎士?」
「私はこれから、ダールトン伯爵令嬢捜索の陣頭指揮に当たります。しかし、この会場には、殿下を始め、ディアナ王国の第一王女や他の貴人も多くいらっしゃいます。殿下の護衛騎士には、殿下ご自身を含めて、寮に帰宅するまでの警護をお願いしたいのです」
「し、しかしそれでは! 私もそれなりに戦える! 女性のあなたに責任を押し付ける訳には…」
自分の護衛騎士に守られて、大人しく帰って下さいと言う私の提案は、お気に召さなかったようだ。
「この場で軍における最高責任者は、名誉将軍である私です。恐れながら殿下は非戦闘員であり、私にはあなたの安全を守る義務があります。この場は私に任せて殿下はお下がり下さい」
と言いはしたが、皇王陛下が言明した通り、名誉将軍とは元帥に次ぐ大きな権力を持つ反面、それに対して一切の義務や責任を負わない異例のものだ。極端な話、この場をギレン達に丸投げして寮に帰ったとしても私が責任に問われる事は無い。
しかし、今回の事態を招いた原因は明らかに自分の失敗にある。友人であるセシリアの救出を他者に丸投げする選択肢などあってはならない。自分の手でセシリアの救出する。それが最優先だ。
「キスリング殿下、公爵令嬢の言い分が正しい」
不意に声をかけて来たのは、心配して様子を見に来たアレクシスだ。待ったをかけるように、キスリング皇太子の肩に手を置き、真剣な表情で話を続ける。
「アレクシス殿!?」
「学院で多少の剣術を習っただけの我らでは、足手まといになるだけでしょう。ギルバート殿のような実力者ならいざ知らず」
正直に見積もっても、キスリング皇太子の実力は、せいぜい下級の魔物一匹の相手がせいぜいで、単独で中級上位の大猿と戦えるギルバートでは、比べるべくもない。
「なまじ地位が高い分、下手をすれば新兵よりも質が悪くなりましょう。その点、ご理解いただけますね?」
口調こそ丁寧だが、新兵以下と言われては立つ瀬が無い。しかしアレクシスはキスリング皇太子を貶めるのでなく、自分も含めての言葉として伝えている。説得力としては十分だろう。
「くっ…、わ、わかった…」
屈辱に震えながら、絞り出すように口にしたキスリング皇太子。背を向けると、そのまま歩き去って行く。
「口惜しいのは私も同じだが仕方ない。護衛は私も連れている。妹を含め皆の安全は任せてくれ。君は思う通りにやるといい」
寂しそうに話すアレクシスだが、卑屈になった様子もなく、なんとなく貫禄のようなものも伺える。本当に彼が成長したんだと実感した。
「感謝します、アレクシス。あなたは素敵になりましたね」
「!」
本心からぽろりと口にした言葉だったが、アレクシスが固まってしまった。気がつけば顔が耳まで真っ赤になっている。
「いや、君に、クリスティーナに褒められたのは初めてだったかな? 婚約話が無くなって今更だけれど、君は私の初恋だったよ」
アレクシスの爆弾発言。意外なのは落ち着いて聞いている私だろうか? 今までだったら、男からの告白など身震いするほど嫌悪した筈だが、不思議と嫌な感じはしなかった。
「それは実らなくて幸いでした。こう見えて、私はあなたが腰を抜かす程の秘密を抱えていますからね。あなたにはいずれ白状しますから、学院卒業後はお酒にでも付き合って下さい」
予想外の言葉に面食らった顔のアレクシス。
「お酒に?」
「ええ、お酒です」
その時は男同士で。私は言外におまけを付けて、そう返した。
「ふっ、それはいい。その時は喜んで」
他愛のないやり取りにほんの少し頬が緩む。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょおっと――っ! 距離が近いぃ! じゃなくて、急がないとでしょう!?」
「ゆ、ユフィ!? そ、そうね、ごめんなさい」
私とアレクシスが笑い合っているところに、たまらず割って入ってきたのはユフィだ。アレクシスは苦笑しながら興味深げにそれを見ている。
「違いない。私はこれで失礼しよう。殿下、クリスを頼みます」
「…え、ええ、もちろん」
今度はユフィが、戸惑いながらも返事を返す。アレクシスはそれに軽く頷くと、軽快に走り去って行った。
毎度お待たせして申し訳ありません。




