私の王都行きと母の想い
ここに来てとんでもない爆弾が降って来たよ―! シナリオかぁ――――!? シナリオなのか――――!?
「―――お、王太子妃ですか? すみません。少し…びっくりしました……」
慌てて取り繕うが、頭の中ではエマージェンシーが鳴り響いて止まらない。まさかまさかの急展開だ。
予想では学院入学がゲームスタートだと考えていたが、どうも甘かったようだ。ひょっとして、剣術の訓練を始めた事でシナリオが変わったのだろうか?
この国の王太子が攻略対象者である可能性は極めて高い。と言うか、間違いなくそうだろう。ん? 妹姫? それって……!
「やはり気が乗らないか…そうだな」
「あなた。クリスのためにもお断りを」
「うむ、今回は仕方ないだろう」
私の沈黙を、否定の意思表示と捉えた両親は、断る方向に話を進める。
しかし――
「……いえ、お父様。私、行きます!」
「クリス!?」
「む、無理はしなくて良いのですよ」
私が承知するとは思わなかったのだろう。お父様とお母様の慌てた反応から、初めからこの話を断るつもりであったことが窺える。
「もちろん王太子妃など、私に務まる筈もありません。ですが、陛下の要望を全てお断りするのは不敬でありましょう。御前には出向いた上で、私からお断りをさせていただきます」
はっきりとした意思を示した私に、両親が驚く。これまでのクリスティーナは、おおよそ自己主張と呼べるものはやったことがない。心配げにお父様が口を開いた。
「私は王太子妃の話はもちろん、お前を登城させることすら気が進まないのだ。もし、公爵家の立場を気にしているのであれば、それは要らぬ気遣いだよ。子供はまだ親に甘えていなさい」
自分で話を振っておきながら、子供を理由に丸め込もうとするいけない父親。過ぎた過保護は反抗期の元ですよ。お父様。
「いいえ、お父様。公爵家に生まれた以上、王家と関わりを持たずにいることは不可能です。私はこの機会に王家や王都の事を知っておきたいのです」
意思を曲げない私をを見て、お父様は考え込んだ。
「まあ、確かに頃合いではあるのだが……元々王太子妃の話はお受けできるものではない。公爵家には公爵家の事情もあるしな。だから、クリスが心配する事は何もないのだよ」
その事情には、間違いなく私が男である事も含まれるだろう。
王家を偽ることがどれ程の罪となるのかは想像もつかないが、王家の血統の維持を考えるならば、男同士の婚約など許されることではない。
「クリスにも得がたい経験となるのであれば、良いではありませんか。大丈夫ですよクリス。この母も登城するのです。何があっても守ってあげます」
「お母様! ありがとうございます!」
どうやらお母様は背中を押してくれるようだ。乗っからない手はない。
「それを言うのであればこの父もいるのだがね。うむ、確かにクリス1人で謁見するわけではない。何かあっても助けてやる事はできる」
「お父様、ありがとうございます。大好きです!」
「これこれ、まだ許したわけでは………まあ、仕方ない。もともと私からクリスにお願いした事だしね」
お父様にダメ押しが効いた。こう言う言葉がさっと頭に浮かぶ自分が怖い。淑女教育の染み付いたこの身体はとんでもないね。
恐るべし女子力チート!
ともかくお母様のフォローのおかげで、上手くいきそうだ。
婚約話は御免こうむるが、王太子とその妹姫には会う必要がある。
もし彼女がこの世界に転生しているとして、その転生先はどこの誰か――?
腐女子であった彼女が、憧れの世界で望む転生先として真っ先に思い浮かぶのは、推しの攻略対象者逹だ。しかし、私は早々にその可能性を切り捨てた。
自らが推す攻略対象者に転生する選択肢は、腐女子には魅力的に見えるかもしれないが、彼女に限ってそれは無い。なんなら断言したっていい。
彼女にとって魅力的なのは攻略対象者ではなく、その近親者に転生することだ。
――彼女はBLをやりたいのではなく、見たいのだから――
直ぐそばで見守る。陰ながら見守る。なんなら応援だってしてしまう。けれど、決して干渉はしない。自分がキャラクター本人になるなど言語道断だろう。
直ぐそばで見守りながら、……尊い……と呟く様が簡単に想像出来る……。
なんだかなぁ。
もちろん王太子その人の可能性も否定は出来ないが、それよりも妹姫の可能性が高い。そうだ。王都に行けば、転生した彼女に会えるかもしれない――
こうして、私の王都行きが決まった。
「あなた。最近のクリスをどう思います?」
「ふむ、さっきの会話には驚いたよ。随分としっかりとしたものだ。まあ相変わらずの甘えん坊ではあるがね」
「あの不安定な時の事を仰ってるのですか? あれは、私達を安心させるために、わざと甘えてくれたのですよ。あの子は優しい子です」
夫と話ながら、私は我が子の事を考える。
夫婦の寝室で話す事は、子供の話が常であった。
あの子は本当に変わった。
「そう言えば、騎士団の中であの子の人気が大変な事になっているらしい。若い騎士が集まって、あの子の親衛隊まで作りかねないと、騎士団長がぼやいていた」
そう言いながらも、夫の顔はまんざらでもない笑みを浮かべている。クリスが可愛くて仕方がないのだ。
「その話は私も聞きましたが、にわかには信じられません。あの大人しい子に剣術の才能があるなんて…」
あんなに剣術の訓練を避けてきた子が、突然やりたいと言ってきたのだ。男の子として育てられない代わりに、せめて、それらしい事をとは思っていたが、あまりの変わり様に驚いた。
「剣が上手いからってだけじゃないらしい。まだ小さいのに努力を厭わないとか、貴族らしくない気遣いだとか、見た目の可愛さも相まって、若い騎士逹はメロメロらしい」
「あなたも、お顔がデレデレしておいでですよ」
大貴族らしからぬ、満面の笑みを浮かべる夫にあきれつつも、私も内心では大いに賛同する。うん。うちの子は可愛い。
「ははっ、勘弁しておくれ。我が子が誉められるのが嬉しいのだよ」
「ふふ、そうでしょうとも」
「騎士団長からは、男子でないのが残念だとも言われた」
「それは…」
「そろそろクリス本人にも伝えるべきだろう。また不安定にならなければいいが…… 陛下にも、いつまでも隠し通せるものでもない。偽っているが故の今回の騒動だ。まあ、事が精霊の愛し子が絡んでの事だから、納得はして下さるだろうがね」
「……私としては、精霊様に文句の一つも言いたくなります…」
精霊の愛し子。我が子に授けられし光の精霊の加護。ある者は国を守り、ある者は国を富ませた。
男性であれば、光の勇者。女性であれば、光の聖女とも呼ばれる。この世界の至宝とも言うべき存在。
生まれた直後の我が子に降りかかった事を思えば、喜べるはずもなく、聞き分けの良い、優しいあの子が不憫であった。
過去の精霊の愛し子逹にしてみても、クリスと同様の魔力暴走や、早すぎる覚醒により命を失う事が多く、総じて短命の者が多い。生涯を全う出来たのは、セントラル皇国建国の皇王に嫁いだ聖女くらいではないだろうか。
そう言えば、セントラル皇国の第一皇女は、光の魔力が強く、聖女と噂されていると伝え聞いた。
一時に複数の精霊の愛し子が確認された例は歴史に無い。
神は我々に、あの子に何をさせたいのか?
何よりも気になるのは、やはり我が子の事。
ここ最近の変化に驚きはしたが、特に悪いものではないと思っている。しかし、あまりにも急激な変わり様には戸惑うばかりだ。マチルダの話では、中級の魔法まで操って見せたらしい。剣術の事と言い、理解が追い付かない。
それとも、私が知らなかっただけで、本来男の子とはこうなのだろうか?
不自然なほどの積極性。唐突にあの子の中に現れたそれは、まるで忘れていた何かを思い出したかのように、劇的な変化をあの子にもたらした。
おそらく一番混乱したのは、あの子自身だったのだろう。そして不安定な状態になり、私逹に甘えて来た。
とは言え、それは私逹を心配させまいと気遣ってのことでもある。自分自身の変化に戸惑いながら、それでも自分は何も変わらない。心配しなくても良いと、私逹を気遣ってくれている。いつもの優しいあの子のままだ。どんなに変わっても魂のあり様は変わらない。
今はあの子の変化が、良い結果に結びつくよう祈るだけ……。
「あの子が心配かい? マリア」
考えに浸っていた私を心配して、夫が声をかけてくれる。
「ええ。もちろん。考え出したらきりがないわ」
「まだ決まってもいない未来に想いを馳せるのは、あまり良い事ではない。せっかくの機会だ。親子で王都観光でも楽しもうじゃないか」
「ふふ、それもそうね」
心配事の沼にはまって脱け出せなくなるのは、私の悪い癖だ。そんな時は決まって、夫が引っ張り上げてくれる。あの子の優しい性格は父親譲りだろう。
「せっかくだから、クリスと2人でお買い物でも楽しむわ。王都の流行りのドレスは、きっとあの子に似合ってよ」
「おいおい、ひどいな。私は仲間外れかい?」
意外そうな物言いだが、これには私も言い分がある。
「クリスが男の子に戻ったら、どうせ男同士の付き合いとやらに連れ出すのでしょう? 今は女の子なのですから、女同士の楽しみに付き合ってもらいます」
「やれやれ。父親にも娘との触れ合いが必要なのだけどね」
降参とばかりに、両手をひらひらさせて夫はベッドに潜り込む。へそを曲げてしまったかしら? 後で慰めてあげようと思いながら、私はふと思う。
男の子に戻ったクリスは、どんなに凛々しくかっこ良いだろう。あの子にエスコートされながらお出かけするのも楽しそうだ。
将来の孝行息子に想いを馳せながら、私もベッドに入り横になる。
今日は良い夢が見られそうだ
遅筆ですみません。