ファナの称号
―――クリスティーナ公爵令嬢に、ファナの称号と、名誉将軍の位を与える―――
この驚きの発表に対して、謁見の間は大いにざわついた。他国の貴族令嬢に、皇族と同じ称号どころか、将軍位を与えるなど、前代未聞である。
「陛下、私は他国の人間にございます! どうか、お考え直し下さい!」
このとんでもない話に、私はすぐさま反論した。
「まあ、聞くがよい。いくら他国の貴族とは言え、聖女を皇族の下に置く事は出来んのだ。勘違いして、聖女を利用しようとする輩がおるやもしれんからな」
この発言に対して、僅かに動揺の色を見せたのは、キスリング皇太子と、聖女教の司祭達だ。ユフィからの情報が確かなら、皇太子は私を娶ることで、皇位継承を有利にする目的がある。あの様子では、司祭達も何か含むところがありそうだ。
「ファナの称号があれば、この国において、そなたは皇族と同等の立場となる。それこそ大貴族や、高位の司祭でも自由に出来るものではない。どうだ?」
隣に立つユフィから、小声で話しかけられる。
「私は、賛成よ。さっきの聖女教の司祭みたいなのが、まだ、わんさかいるわ。虫除けにはうってつけかも」
「あの司祭は、私もいやだけど…」
熱病患者のような目で、私とユフィをねめつけてくる。聖女教の信者が全てそうとは思わないが、出来れば関わりたくはない。
「……国元に、無断でそれらを賜る事は出来ません。エメロード陛下に仔細を報告した後、ご返答させて頂きます」
ユフィの言葉で、私の心は大きく傾いたが、私は他国の貴族令嬢で、ディアナ国王の臣下だ。陛下に無断で勝手なことは出来ない。
「安心するがよい。既にディアナ王には、魔道通話で伝えてある。かなり面食らっておったが、了承済みだ。後日、そなたの方にも書状が届こう」
「…………」
なんだろう…… めっちゃ手の平で転がされてる感がある。
「では、名誉将軍の位について、お聞きしとうございます。他国の人間に兵権を与えるどころか、将軍位を賜るなど、聞いた事がございません」
「であろうな。余も聞いた事がない」
そうでしょうとも! 私は心の中で盛大につっこんだ。
「我が軍は、第一から第五までの大きな軍団で構成されている。一つの軍団の人員が一万人。全軍の総数は五万人となる。それぞれを五人の将軍が率いて、それら全てを元帥が束ねる。名誉将軍のそなたは、実質、元帥に次ぐNo.2となるな」
さも何でもない事のように言わないでほしい! とんでもない地位ではないか!
「他国の、しかも、一兵も指揮した経験もない小娘には、到底つとまらぬ地位です! 率いられる兵が気の毒ではありませんか!」
「しかし、実戦の経験は豊富だ」
私の抗弁などお構い無しで、皇王は続ける。
「5年前であったか、ディアナの王城が魔物に襲われた事件。公にこそされていないが、そこで中級、下級の魔物を見事に倒し、王太子と第一王女を救ったのは、わずか七歳の少女であったとの噂がある。そなたであろう?」
さて、それは一体なんの事でしょう? 会場は大いにざわついたが、私は鉄壁の淑女スマイルでスルーする。
「……まあよい。とにかく、将軍として、我が国に仕官しろと言う訳ではない。そなたが必要とする時に、我が国の兵を自由に使う事が出来る。言わば、特権のようなものだ」
なんと物騒な特権もあったものである。
「その特権は、使いたくなければ、使わなくともよいと言うことですか?」
「もちろんだとも。そなたは、皇国に対して、なんら義務も責任も持たずともよい」
「……そこまでしていただく真意が知りとうございます」
皇王のペテン師のような口調に、どうしても警戒心は増す。
「ふむ、では同じ論法で問おうか、先の魔物との戦い、そなたには戦場に立つ何の義務も責任も無かったはず。学生のそなたは、本来守られる立場だからな。しかし、そなたは戦った。何故だ?」
皇王からの意外な問い。改めてその事を問われると、私も少し戸惑う。
「……それは…、あそこには、私の大切な友達がいたからです」
「違うな。そこに友人や家族がいなくとも、そなたは剣を振るったであろう。目の前の事をただ見ている事は出来ん。そなたはそういう人間だ」
反論は出来ない。何となく、そんな自覚はあったからだ。
「結果、そなたは、隠していた聖女の身を明かし、命の危険にさらされながらも戦い抜き、その心労で数日の間、寝込んでいたわけだ。きらびやかな褒美が目当てなら納得も出来るが、そなたは、それを拒んでいる。違うか?」
「……仰せの通りにございます」
「正に聖女の鏡よな」
当たり前のように、聖女、聖女と連呼される私。本当に男に戻れる日は来るのだろうか?
「損得を考えずに、ただ民の為に力を振るう聖女。そのような者に兵権を委ねたところで、どんな不利益が生じると言うのだ? それに、これはそなたの為でもある」
「私の?」
他国の兵権を得ることが、どう自分の為になるのだろう?
「そなた自身が言っていた事だ。自分の力のみで、皇都を守れたのではないと。にも関わらず、そなたは単身で事に当たろうとして、必要以上に傷付く事となった」
「それは…」
全て自分の甘さが招いた事だ。愛し子の力でなんとかなると思い上がり、結果、自分自身と多くの人々を危険に晒す事となった。
「もし事の始めから、そなたの手に十分な兵力があれば、結果はおのずと変わっていたのではないか?」
確かに、私があの時に出来た事は、メアリにユフィへの伝言を頼んだ事だけ。ほんの数人でも騎士の助力があれば、少なくとも観客の避難は、もっと迅速に行えただろう。
「そなたは、確かに強い。しかし、個人の武勇だけではどうにもならん事も、またあるのだ。そなたは、もう少し周りを頼る事も学んだ方がよかろうよ。いくら強くとも、そなたはまだ子供なのだ」
「陛下……」
皇王の言い分は理解出来る。それでも、その未熟な子供に与えるのが、将軍位だと言うのが納得出来ない。
「聖女様、某からもよろしいですかな?」
「あなたは?」
皇王の横に並ぶ重臣の列から、いかにも武人という装いの男が、声をかけてきた。
「聖女様には、お初にお目にかかる。某、皇国元帥のラルゴ・マルクスと申す者。過日の戦いでは、不甲斐ない部下達の命を救って頂き、御礼申し上げる」
先ほどの話で出た皇国軍のトップが、この方なのだろう。いかにも歴戦を思わせる老騎士だ。親しみの持てる笑顔を浮かべているが、目の鋭さは隠しようがない。
元帥の挨拶に私もすぐに礼を返した。
「その名誉将軍のお話、某からも、お願い申し上げる。それと言いますのも、あなた様の人気で我が軍はえらい事になっていましてな」
「え?」
間の抜けた返事をした私が、嫌な流れを感じ取るのも無理はないと思う。このバターンは…
「我が軍での、あなた様の人気が凄まじく、信奉者が急増したのです。そやつらが聖女様の親衛隊だの、護衛隊だのを作れと騒ぎ立て、まあ、うるさいのなんの。気が付けば、軍を二分する大騒ぎでして」
「わ、私はいりませんよ! 親衛隊なんて!」
全力で拒否する私。その反発が予想以上だったのか、会場の騎士の何人かが肩を落とした。
「はっはっは、承知しておりますとも。あなた様に護衛など必要あるわけがない。また、ユーフェミア殿下ともごく近しい間柄ですとか、でしたら、殿下にも護衛の必要はないでしょう」
「では、名誉将軍の話も…」
「ただ、国と軍が大恩ある聖女様に対して、何もしない訳にはいかんのです」
正直、何もしないで欲しい!
「あなた様が名誉将軍となれば、一応の体裁は立ちます。さらに聖女様お二人の信奉者の不満も押さえられるでしょう。それに、あなた様ご自身にもある程度の権力は必要です」
皇王陛下や、ラルゴ元帥の言わんとする事はわかる。言葉を尽くして頂いてありがたいとも思う。私にとって悪い話でないとわかっていても、やはり、迷うものは迷うのだ。
なかなか決心のつかないまま、ユフィの方を向くと、すぐに目が合った。私の事が心配で、ずっと見ていてくれたのだろう。
「えっと……、やっぱりクリスには、傷付いてほしくない…かな?」
「ユフィ…」
くしゃりとした笑顔で、そう呟いたユフィ。
私が、目立つ事を嫌いなのを知ってる彼女は、決して無理強いはしない。ただこうあって欲しいと、控えめに言ってくれるだけだ。
それでも私の決心は固まった。
ほんの少しだけ息を吐き、ゆっくりと視線を玉座に戻す。
「皇王陛下、ファナの称号と、名誉将軍の位、ありがたく頂戴したいと存じます」
「おお、ようやく決心がついたか」
意外と頑固な私の反応に、ずっとやきもきしていたのだろう。陛下はほっと息を吐いた。
「名誉将軍については、基本、予備役扱いとするが、そなたの一声で皇国軍五万は直ぐに動く。どう扱うかはそなたの自由だ。まあ、そなたにそのつもりは無かろうから、しばらくは学院生活を楽しむが良い」
おそらく、私が名誉将軍の特権を行使する機会は、ほぼ無いであろう。予備役イコールお飾りのようなものだ。ただ私の性格上、無責任なふるまいは絶対に出来ない。与えられた位に見合う自分にはなる必要がある。
何よりも、ユフィの隣にふさわしい自分であるために。
私は改めて居住まいを正して、皇王陛下に一礼をする。
「他国者の私に、身に余るご厚情。我がディアナ王国に次いで、私の剣は皇国の為にこそ振るわれましょう」
私の言葉に思わず破顔した皇王陛下。すぐに得たりと大きく頷くと、玉座から立ち上がり、託宣のように声を張り上げた。
「よかろう、これからも励むが良い! クリスティーナ・ファナ・ラピスよ!」
これで第二章は完結です。
もう、色々と私の考えていた事とは違った展開になっていますが、何とか軟着陸を目指して頑張ります。第三章の開始までしばらくお待ちください。