皇王の悩み事
セントラル皇国の中央、支柱神タリスの柱に寄り添うようにそびえ立つ皇城ホワイトパレス。その奥にある皇王の執務室で、この部屋の主である皇王マクシミリアンの声が響いた。
「死者はいないだと!?」
声を荒らげているが、特に怒っているわけではない。元々がこのよう声で、単純に驚いているだけだ。
「はっ、恐らくあのまま上級の魔物との戦いが推移していますれば、死者や怪我人の数は数百と言う単位ではきかなかった事でしょう。ですが、その全てをお二人が見事に解決なさいました」
「二人の聖女か…」
これは慶事なのか、厄介事なのか皇王は考えに窮する。
一つの時代に精霊の愛し子は一人だけ。本来は存在しない筈の二人目の聖女の出現は、滅多な事では動じぬ皇王を大いに困惑させた。
あれほどの規模の魔物の襲撃など、過去数百年単位まで遡らねば記録にも残ってはいまい。それを一人の死者も出さずに殲滅せしめたのは真に喜ばしい事だ。それをほぼ一人で為し遂げたのが、うら若き一人の乙女でなければの話だが。
「皮肉な話ですが、此度はあの魔物の特性に助けられました。即座に致命傷を与えずに獲物の生命力を奪い取る。まったくおぞましい限りの習性ですが、とにもかくにも生きてはいたのです。その怪我人全てを、聖女様お二人が癒してしまったのですから」
それは皇王自身がこの目で確認している。自身の娘である皇女ユーフェミアと、ラピス王国からの留学生、クリスティーナ・ラピス公爵令嬢が起こした奇跡。その一部始終を。
「まさか、あれほどの存在とはな…」
「皇都中、いえ皇国中が二人の聖女を称えてのお祭り騒ぎです。本来なら、闘技大会が中止になった事への不満で、別の騒ぎに発展するところですからね。いやはや聖女様々ですな」
皇国宰相キルギス侯爵の口振りに含みは一切無い。純粋に二人目の聖女を歓迎しているようだ。皇王はため息をつきながら、自国の宰相に問いかける。
「して、そなたは件の公爵令嬢をどう見る?」
「おそらく、いえ、間違いないなく本物でしょう。そうでなければ説明出来ない事が多すぎます。まして精霊の愛し子の名で神の力まで使ったのですから」
その新たな聖女は、自らを精霊の愛し子であると天に訴え、あろうことかルーンの力を行使したのだ。もはや疑いようがない。
「聖女教の連中が、さぞや、うるさかろうな」
「それはもう大騒ぎでございますとも。もろ手を挙げて二人目の聖女を歓迎するようです。皇都のお祭り騒ぎの中心にいるのは間違いなく信者達でしょう」
聖女教とは、文字通り聖女を信仰の対象とする宗教で、ここセントラル皇国においてはタリス教、ルーン教の二大宗教を凌ぐ規模を誇る。まだ幼かったユーフェミアを早々に聖女に認定したのもこの教団だ。
さすがに国政にまで口を出す事はしないが、その影響力は大きく、皇王と言えど無視出来るものではない。
「すでに何人かの司祭から、新たな聖女の事で謁見をしたいとの要望が出ております」
「厄介な事だな、そもそも精霊の愛し子とは、神や精霊が定めし稀有な存在ではないか? ユーフェミアの時もそうであったが、教団が与える聖女のお墨付きに、いったいどれ程の価値がある?」
たとえ高位の司祭であっても、所詮は人間の選んだ聖女だ。民心をまとめ、国政にも上手く利用出来るから黙認してはいるが、皇王自身は、その教義に懐疑的な思いを持っている。
それにしても、突然現れた二人目の聖女。しかも他国の高位貴族の令嬢である。皇国としてどう扱うべきか、その判断には慎重の上にも慎重を重ねる必要がある。
実際あの少女には、開会式の時から注目していた。
決して親バカの贔屓目ではなく、娘のユーフェミアほど美しい娘をこれまで見た事がなかったのだ。それに勝るとも劣らぬ美少女が、魔闘技大会の選手の列に並んでいる。これはいったい何の冗談だと思ったものだ。さては大会運営の余興で、早々にネタばらしがあるのだろう。そう勝手に解釈したのも無理はない。
戦えずともあの美貌は十分に利用価値がある。高位の貴族であれば尚さら都合が良い。皇太子に見合わせる事を考えていたところを、あの娘は、予想を遥かに超える実力で予選を勝ち抜いてしまった。
あのギルバートと互角に戦い抜いた時など、我が目を疑ったほどだ。
あの若さにして、ギルバートは騎士団の隊長レベルの実力があり、同年代では敵無しのはずだった。いや同年代どころか正規の騎士でも、彼の相手になる強者が果たして何人いることか? それをあの細腕で互角以上に渡り合ったのだ。
この時点でもはや皇妃などと言う考えは消し飛んだ。あれは傑物だ。皇妃だの皇后だので大人しく収まる訳がない。
司会が理想の花嫁ナンバー1だのほざいているが、いくら見目麗しくあろうが、こやつは持って生まれた運命が常人とは違うのだ。
「ユーフェミアはどうしている?」
「はっ、付きっきりで看病に当たられています。なんでも親しいご友人であるとか」
「親しい…か」
不可解なところがあるとすれば、娘の態度と行動も大いに気になるところだ。
今まで他人にまったく興味と関心を示さなかったあの娘が、何故かクリスティーナ嬢にはいたくご執心だ。
あの戦いの後、崩れるように倒れたクリスティーナ嬢を素早く保護すると、医師にすら触れさせずに、寮の自室に連れ帰ってしまった。
聖女の事は聖女にしか分からぬと言われてしまえば従う他なく、それに聖女であるユーフェミア以上の癒し手もいないとあっては、それ以上手出しなど出来るはずもない。
皇王である我にすらろくな説明をせずに、クリスティーナ嬢の自室に籠っては、甲斐甲斐しく看病をしている。
そう言えば、ユーフェミアがあの様に取り乱したのも初めて見たな。
クリスティーナ嬢が、上級の魔物に一方的に攻めたてられ、あわやと言う時に泣きながら魔物との間に割って入りおった。
あやつはいつも冷静沈着で、悪く言えば面白味のない娘であったが、親しい友のためとは言え、あそこまで後先を考えぬ行動を取るとは思わなんだ。
学院入学まで接点があろう筈もないから、知り合ってまだ数ヶ月といったところか、それであそこまで友誼を深められるものなのか?
そして、あの口づけだ。
ユーフェミアの話では、あれは聖女の力を解放するための儀式的なものだと言う。確かにあの後の戦いぶりを見れば納得はできる。神にも等しいとされる愛し子の力とは、かくも凄まじいものかと驚嘆したものだ。
とは言え、それを説明する時のあの者の顔。父である余の顔も見ずに、耳まで真っ赤にして説明されては、どうしてもそれ以外の感情があったと思わざるを得ん。
あの者に懸想しておるのではないか?
皇室の長い歴史の中で、同性同士で結ばれる者がいなかったわけではない。大半は内密な形で決して公にはされないが、同性婚をした皇族は確かに存在する。
中には後継の理由であったりと、泣く泣く諦めた例もあるが、今回はそれにはあたらないだろう。
とは言え、皇女であり、それ以上に聖女であるユーフェミアの婚姻は非常にデリケートな問題だ。
兄皇子がれっきとした皇太子の位についてすら、聖女である第一皇女に次の皇位をとの声は高いのだ。この国にとって聖女の存在は、それほどまでに重い。
仮に皇太子が順当に皇位を継ぎ、ユーフェミアも結婚したとする。それでも、ユーフェミアの産んだ子を次代の皇王にと望む声は必ず出るであろう。
いっそのこと、生涯未婚でもよいと思っていたほどだ。ならば女同士の婚姻の方が都合が良いやもしれん。
「宰相、その二人目の聖女。クリスティーナ嬢をホワイトパレスに招く。もちろん体調が回復してからの事とするが、その旨、先方に使いを出しておくように」
「はっ、直ちに手配いたします」
慇懃に頷く宰相を見ながら、皇王は一つ付け加える。
「その場には、ユーフェミアも同席させるように」
「はっ」
降ってわいた慶事か、新たな悩みの種か、見極めなければなるまいて。
そう思いつつも、何かを期待してしまいたくなるのは、あの二人目の聖女の人徳なのだろうか? 皇王は口の端をわずかに緩めながら宰相との密談を終えた。
意外と早く文面がまとまりましたので投稿させていただきます。