愛し子の力②
―――話は少し遡る―――
私はメアリから上級の魔物が人間に憑依する。その方法について聞いていた。
「アーティファクト?」
「はい、闇の教団が所持していた秘蔵の品で、サークレットの形をしています」
闇の教団が秘蔵していた品と言うだけで、呪物であろう事は容易に想像がつく。
「サークレット自体が固有の意思を持ち、依り代に相応しい人間を探すのです。私は学院に潜入してからクリスティーナ様とユーフェミア殿下、お二人に強い関心と執着を持つ人物を探しました。しかし、これは魔物を召喚する呪物です。適合する者などそう滅多にはいません。正直な所、私はそのことに安堵すらしていたのですが…」
「ケヴィンにだけ反応したと?」
複雑そうな顔で頷くメアリ。
「突然サークレットは私の手元から消えました。あれは魔力のある呪物です。おそらく彼の身辺、机の上や私物に紛れる形で接触していったと思われます」
ホラー映画にでも出て来そうなアイテムだ。メアリの話では、隠したり捨てたりしても、いつの間にか手元に戻って来る怖い機能も備えているらしい。
それを身に付けると強くなるだとか、何でも願いが叶うだとか、持ち主に都合良く錯覚させ、金や物や人、あらゆる執着心を助長させる。だからこその素養として、何かに執着している人間が選ばれるのだろう。
私は小さくかぶりを振ると、メアリに一番重要な事を問いかけた。
「それで、そのサークレットで魔物になった人間が元に戻る方法はありますか?」
いくら本人に隙があったとは言え、出来る事なら助けてやりたい。メアリは少し逡巡すると言いにくそうに。
「……ありません。上級の魔物に限らず、魔物と一体化して助かったと言う話は、聞いたことがありません」
―――そして時は今に至る―――
上級の魔物、魔神の身体から浮かび上がってきた人間の顔。それは紛れもなく、依り代にされたケヴィン・ウォーロックその人であった。
生気をまるで感じさせない青白い顔に、メアリから聞いた情報の通り、アーティファクトのサークレットを頭に嵌めている。
「……本当に、もう助けられない?」
思わずこぼした言葉に、自分で思った以上の動揺が含まれている。
瞳を閉じた彫像のような顔。特別親しかったわけでも、付き合いが長かったわけでも無い。
それでも、こうして彼が魔神と一体化した確かな証拠を目の当たりにした途端に、どうしようもないほどの大きな迷いが生じた。
……無理だ。私には止めを刺す事が出来ない…。
魔物にも生存本能とやらはあるのだろう。私には前世でも今生でも人を殺めた経験は無い。悔しいが道徳観念に凝り固まった元日本人には効果てきめんだ。
知った人間の顔を前面に出されるだけで、こうも何も出来なくなるなんて…。私はそれでも剣の柄を握り直すと、なんとか状況を変えようと思考を巡らせる。その時―――
「…クリス…ティ………ナ……」
「!?」
今、喋った? かすれ声ではあったが、確かに口が動き、気がつけば目もうっすらと開いている。これ…、生きている?
「……ケヴィン?」
「……」
たった一言、言葉を発するのが限界だったのか、ケヴィンはそのまま苦しそうに沈黙する。しかし、瞳は開いたままだ。彼特有の苛立ちを含んだ視線。その瞳に諦めの色は無い。
その視線の意味を正確に理解出来たわけではない。それでも彼が生きることを諦めていないとわかった時点で、私の決心は固まった。
私は高々と両手を天にかざすと、空に向かってある名前を口にする。
「ルーンよ!!」
大きく叫んだ私の声に、事の成り行きを見守っていた地上の人々がざわついた。あろうことか太陽神その人の名を口にしたのだから無理もない。
神々は全ての精霊の父とされ、ルーンは太陽神であり光の最高神だ。光の精霊の愛し子である私の呼び掛けで、その力を少しでも借りる事が出来ればあるいは―――
「数多の精霊の父よ! 光の最高神よ! 光の精霊の愛し子が伏してお願い申し上げる!」
祈りの口上が進むと同時に、身体中からごっそりと魔力が吸い上げられていく。全開放に近い状態でありながら、精霊からの魔力供給が追い付かず、私自身のなけなしの魔力すら容赦なく奪われる。
「われが願うは地上の安寧。この邪悪な魔物を滅し、魔に呑まれし哀れな存在の開放を切に願う!」
魔力の枯渇と、大量の魔力を制御する為の頭痛に耐えなががらも、私は懸命に祈りの口上を唱え続ける。私が放っていた光は更にその輝きを増し、比例して上空にとんでもない規模の魔力の波動を感じる。
やがて薄暗い雲の切れ間から、一条の光が射し込んできた。
「ルーンよ! 地上に裁きの光を!!」
私は高らかに最後の言葉を叫んだ。
次の瞬間、世界は圧倒的な光に包まれる!―――
雲間から差し込んだ一条の光は、正確に魔神に突き刺さると、瞬く間に巨大な光の柱と化した。魔神は光の中で苦し気にもがくが、みるみる輝きを増す光の柱に、あっという間に呑み込まれてしまう。光の中でなおも抵抗する魔神だが、もはや黒い影にしか見えず、それも次第に姿を消していった。
あの強力な魔神が為す術もなく消滅していく様を、私はもちろん、地上の人々も声もなく見つめていた。
やがて光の柱は、元の細い一条の光に戻ると、静かに天に吸い込まれていく。上級の魔物、魔神は影も形も無く、闇の魔物特有の嫌な気配も感じられない。
戦いはおわったのだ。
ふと地上を見ると、光の柱が消えた地面の上、そこに静かに横たわるケヴィンの姿が見えた。
「ケヴィン!?」
私はすぐに視力強化で彼の様子を確認する。
壊れたサークレットの破片が散らばる中、死んだように横たわるケヴィン。ばっと見では怪我をしている様子はない。落ち着いて目を凝らすと、胸の辺りが僅かに上下しているのが見えた。
「良かった、生きている」
私がほっと息を吐いた瞬間だった。安心したせいか急に身体中の力が抜けていく。それと同時に私の身体は静かに落下を始めた。
―――へ?
しまった、飛翔魔法を保てない!? 先ほどの大魔法で私の魔力は尽きかけている。
「きゃあああああぁぁ―――――っ!!」
この非常時に発した女子のような悲鳴に自分でがっかりした。
って言うか、誰か助けてえぇ―――!!
「クリス―――――っ!!」
地上すれすれ、横合いから声をかけられた次の瞬間、細い華奢な腕に抱き止められた。
「良かった、間に合ったわ!」
「ユフィ!?」
風のように颯爽と現れたのはユフィだった。
「これ、身体強化魔法? いつの間に」
「前にクリスに教えてもらってたのを練習していたのよ。ほんと効率の悪い魔法ね、長く持ちそうにないわ。まだ精霊からの魔力供給は追いつかない?」
「大丈夫。少しづつだけど回復してきてる。ほら、少し光り出した」
ルーンの力を借りてまで行使した大魔法の反動で、私の魔力はすっからかんになった。それでも光の精霊による魔力供給は止むことが無く、順調に私の魔力は回復してきている。それはともかく…。
「……あの、ユフィ」
「なあに?」
「恥ずかしいから、下ろしてもらいたいんだけど…」
助けてもらったのは良いが、私はさっきからユフィにお姫様抱っこされたままである。必然的に私の顔は赤い。それを見たユフィは得意げに。
「う~ん、どうしようかしら? だってこれはとても良い気持ちだし、クリスちゃんは可愛いしー」
どうやら狙ってやっているようだ。変なスイッチも入っているようで、なんか目つきもいやらしい。こうなれば仕方ない。私は腕のふさがったユフィの首に手を回すと、耳元でこう囁く。
「キスって意外と簡単に出来ちゃうね?」
効果はてきめん。ユフィの顔も真っ赤に染まった。
不承不承で私を地面に下ろすユフィ。なんだかんだと身体強化魔法が負担だったようで、魔法を解除するとほっと息をついた。
身体強化魔法や、飛翔魔法に使い手がいないのは、その燃費の悪さゆえだ。身体を強化している間は常に魔力を消費する上にコントロールも難しい。精霊から無尽蔵に魔力供給が出来る精霊の愛し子か、元々の魔力総量が多い者でないと扱う事は出来ない。ユフィも充分に規格外だ。
「丁度良かった。ユフィ、力を貸してくれる?」
「いいけど、私、ほとんど魔力が残っていないわよ?」
戦いが終わっても、私のやるべき事はまだ残っている。この戦いで傷つき倒れた者がまだ多く残っているからだ。私はおもむろにユフィの両手を掴む。
「うえ!? な、何? 何か始めるの?」
未だお互いの距離感が掴めていないユフィが、顔を赤くしながら間抜けな声を出す。
「お願い、これから光の精霊の魔力をユフィに渡すから、みんなに大規模な癒しの魔法をかけて」
即座に意味を理解したユフィが僅かな時間考え込む。
「…で、出来るかしら? ううん、迷ってる時間は無いわね。やりましょうクリス!」
私達二人は、お互いの両手を握りながら胸の前で組むと、顔を前に倒しておでこ同士を引っ付ける。そうすると二人の少女が、静かに祈りあっているように見えた。
「……ちょ、ちょっと近いね」
「発案者が文句を言わないの! みんなの前であんな事までしておいて…」
あんな事とはもちろんキスの事だろう。顔を赤らめながら、口をもにょもにょさせるユフィにつられて、私の顔も赤くなる。
実際、顔が赤いのはそれだけが原因ではない。光の精霊の魔力はすでに私の中に満ち溢れ、押さえ込むのに精一杯だ。もう時間がない。
「それじゃ、いくよ?」
「…うん」
私からユフィに魔力を渡し、それを癒しの大規模魔法として発動させる。理屈は簡単だが、やるとなると話は別だ。
「くっ、…すごい、これが愛し子の魔力? あなたよくこんなのを今まで… でも、これなら…」
ユフィが魔法発動のために精神を集中させる。失敗は許されないため、慎重に呪文の詠唱を始めた。
「光の精霊よ、ここに魔と戦い傷つき倒れた者あり、御身の御力で全てを癒す光を賜らん」
詠唱が進む中、ユフィの負担にならないようにぎりぎりのラインで魔力を供給していく。元々の光の適性値の高いユフィは大量の魔力の扱いに苦戦しながらも、何とか大規模魔法を構築していく。
「われ捧ぐは至上の祈り、父なる精霊の慈悲よ、大いなる癒しの光よ、疾く地上に満ちよ!」
ユフィの大規模魔法が完成した!
辺りは眩い光に満ち溢れ、傷ついた皇国騎士達を癒していく。光の中、倒れていた何人かの騎士が立ち上がり、驚きの声を洩らす。
「おお! きっ、傷が癒えていく!」
「立てる、立てるぞぉー!」
「これが聖女様の御力」
「二人の聖女様にこれ程の御力があるとは」
「クリスティーナ様万歳!」
「ユーフェミア殿下万歳!」
「聖女様二人に感謝を!」
闘技場は歓喜の渦に包まれ、気がつけば私とユフィを称える声が響いている。
「終わったわよ、クリス。大丈夫?」
「ありがとう。ちょっと、限界かも…」
神にも等しいと言われる精霊の愛し子の力の乱用。膨大な魔力を処理するためには、私はまだ器として不完全なのだろう。頭痛と目まいでもう立っているのもやっとの状態だ。
「もう少しだけ我慢して、ここで倒れたら秘密がバレちゃうから」
「うん、それは困る…」
ここは他国で、ディアナ王国とは違う。ラピス公爵家の専属医師ではなく、他国の医師の手にかかろうものなら大パニックだ。
私達二人は、周りの歓声に応えながら闘技場の中央に並ぶと、二人同時にカーテシーを披露する。闘技場は一際大きな歓声に包まれた。
そしていつも通り霧散して消えていく精霊の力。つられて私のなけなしの体力も消えていくようだ。 あ、これ… やばいかも…
「…ユフィ、ごめんなさい… 私、もう無理……」
「ちょ、ちょっと、クリス!?」
急速に離れていく意識の端で、ユフィの細い腕に抱き抱えられるのがわかった。これはこれでご褒美なのかなと、割と呑気な事を考えながら、私は今度こそ意識を失った。
これから執筆ペースが遅くなるかもしれません。
気長にお待ちいただけると助かります。




