二人の聖女②
それがいつからそこにいたのか? 気配を察知し、探っていた私ですら驚きを禁じ得ないほど、それは不意に現れた。
恐ろしいほど存在が希薄なのに、一旦その目に止めると、吸いつけられるように今度はそれから目が離せなくなる。あまりにも不可解で不気味な存在。
身の丈は大猿に僅かに及ばない。横幅は無くひょろ長い印象だ。闇の魔物の例に洩れず全身は黒い。そして所々に残っている衣服の布地、あれは学院生徒の騎士服ではないだろうか?
メアリは確かにケヴィンを依り代に召喚が行われたと言っていた。やはりあれはケヴィンなのか? 衣服の切れ端以外にそれを匂わせる物は無い。確かに人間に似通った外見ではあるが、決定的に人とは異なる異質なモノの証として、それには顔が無かった。
目鼻口、顔を形作るもの全て無く、黒くのっべりとした風貌は余計に不気味に見える。
間違いないなく危険だと全身が訴えてくるのに、身動きが出来ない。
そしてそれは突然動き出した!―――
「―――――!?」
気が付けば、上級の魔物は私の直ぐ横にいた! 魔物の腕が不釣り合いな程に伸びたかと思うと、鞭のようにしなり私に襲いかかる!
「くっ!」
キインッ! 辛うじて剣で弾くと慌てて魔物から距離を取る。恐ろしい程に速い! 今までスピードで引けを取った事はただの一度も無い私だ。まして今は精霊の愛し子の力で身体強化をした状態。それを更に上回るなんて!
しかもそれだけでは無い。ほとんどノーモーションで動くそれは、相手の動きを予測して動く、受け身スタイルの私には相性が悪すぎる。
予備動作無しでいきなり動かれては、カウンターどころか、下手をすれば受け身すら取れない。
「クリス、助太刀するぞ。こいつは新手か?」
「ギルバート! 気を付けてください。上級の魔物です!」
「そいつは結構!」
強敵と聞いてやる気が出たのか、ギルバートが上級の魔物に突っ込んでいく。すると変則的な動きで私を翻弄していた魔物が、不意にその足を止めた。腕をだらりと下げ、がら空きの所をギルバートの斬撃が炸裂する! ズバァッ!!
「―――!? なんだぁー?」
切れていない!? 上級の魔物を袈裟斬りに両断したかに見えたギルバートの剣が、柔らかいものに絡み取られるように魔物の肩にくい込み、そのまま抜けなくなっている。物理攻撃が通用しない!? ふと顔の無い魔物の頭部が笑った気がした―――
「いけないっ、ギルバート!」
ザクッ。
例の予備動作のない無機質な動き。次の瞬間には、ギルバートの左肩を魔物の腕が貫いていた。そのまま黒いもやが彼を包み込む。
「ぐああああぁぁ―――――っ!!!」
ギルバートの絶叫が響いた。くっ、風の結界はもう間に合わない! それにあの黒いもやはもっとまずい!
「光の矢っ!!」
私がとっさに放ったのは、光の矢の三連撃! 雷撃ではギルバートを巻き込んでしまうし、直感だが、あの魔物には光魔法しか効かないと判断したからだ。
ズガガッ!! 私が放った光の矢が、続けざまに魔物の腕に命中する! 魔物は苦し気に腕を振りほどくと、ギルバートが地面に投げ出された。
「雷撃っ!!!」
光魔法が有効と分かったため、続けて雷撃を放つ! しかしこれはあっけなく躱されてしまう。そのまま距離を取る上級の魔物には構わず、私は慌ててギルバートに駆け寄る。
「ギルバート!」
呼び掛けながら、上半身を抱え起こすが反応が全くない。左肩の傷口は出血して、肌がどす黒く変色している。見るからに危険な状態だ。しかも傷口だけではなく、全身に生気が感じられない。
だめだ、私では光魔法は使えても回復魔法の経験が足りない!
「ユフィ――――っ!」
私は思わず彼女の名前を叫んだ。今は光の属性値が高く、回復系魔法の得意な彼女に頼るしかない。観客達の避難誘導の終わったユフィは、直ぐに反応して駆け寄ってくれる。
「クリス! あんたはまた無茶をして!」
「お説教は後で! 今は彼をお願い!」
ユフィは私を軽くにらむと、直ぐにギルバートに向かい手をかざす。
「何これ? 傷口もだけど、生命力が枯渇している? こんな事って…」
治療を開始する前から顔色を悪くするユフィ。薄々は感じられた事だが、相当やばい状況のようだ。
「彼は助かるの?」
「わかんない…けど…いいわ! この聖女様が治して見せますとも!」
「ユーフェミア殿下、私も手伝います!」
あえて負けん気を見せてくれるのが彼女らしい。遅れて来たメアリもサポートを買って出てくれる。後ろを見ると、プリシラの駆け寄ってくる姿も見えた。
ギルバートをユフィ達に任せた私は、直ぐに上級の魔物に向き直る。
ギルバートのあの様子、それに魔物の動きも不可解だ。私の攻撃は躱すのに、ギルバートの攻撃はわざと受けていた? それに、あいつ少し大きくなってないか?
さっきまで大猿より低かった身体が、今は頭一つ高くなっている!? 気のせいでなければ、魔物の禍々しさも増してる気がする。
「聖女様ぁ―――っ!」
現役聖女様の公認を得た私は、もう普通に聖女扱いされるようだ。私を聖女呼びした銀色の甲冑の一団が視界を遮る。私と魔物の間に割って入って来たのは、皇国第一軍の精鋭達だ。
「聖女様をお守りしろ!」
「第5小隊、横列展開!」
「聖女様方お下がり下さい! ここは我々が!」
見事な連携で隊列を組み、上級の魔物と向かい合う皇国第一軍の精鋭達。長大なランスを携え堅牢な槍ぶすまを形作ると、声を上げ勢いよく魔物に突撃してゆく。
「いけないっ! 上級の魔物には物理攻撃が」
私が言い終えるより前に動き出した騎士達は、横一列で一斉に上級の魔物に襲い掛かる! 次々と手にしたランスを突き刺し、あっという間に魔物を串刺しにしてしまった。だめだ、あれでは倒せない!
「逃げてえぇ―――――っ!!!」
私は叫びながら、風の結界を騎士達の前面に展開する! 次の瞬間―――
ザシュッ!ザシュッ!ザシュッ!
魔物に突っ込んで行った騎士は十数人。その鋭いランスは見事に上級の魔物の身体を串刺しにした。しかし、とてもダメージを負っているようには見えない。
逆に半数近くの騎士が上級の魔物の長く伸びた腕に体を貫かれている。魔物の両腕は槍状に何本も枝分かれして鋭く伸び、風の結界ごと騎士達を貫いた。防護結界が効かないなんて!
「「「ぎやああああぁ――――っ!!!」」」
惨状の中、騎士達の絶叫が闘技場に響き、あの黒いもやが騎士達を包み込んでいく。やはり気のせいでは無く、魔物の身体はその大きさを増している。
闇の魔法にエナジードレインと言う生命力を奪う魔法がある。先程からわざと急所を外しているのは、即死させるよりも効率良く力を奪うためか。いかにも闇属性らしい魔法だが、このままではまずい!
「光の矢! 連撃!」
私は文字通り矢継ぎ早に光の矢を放ち、騎士達を解放してゆく。やはり急所は外されているが状況はかなり悪い。あまりの凄惨さとむせ返る血の臭いに、一瞬気が遠くなる。
「あなた達、怪我人を後ろに! クリスに負担をかけないで!」
「はっ! 聖女様!」
冷静なユフィの声で我に返った。
怪我人ばかり増える状況でありながら、ユフィは常に落ち着いている。そもそもユフィ以外は光の属性を持っていない。光属性はそれほど貴重なのだ。癒し手が足りない中、的確な指示を出して出来得る最善の処置を続けている。
「大丈夫よ、プリシラもメアリも水属性はあったわよね? 傷口を部分的に凍らせてもらえれば、止血になるし、悪化も抑えられるわ」
今のは転生前の現在医学の知識だ。メアリとプリシラも落ち着いて対応している。ギルバートの応急処置は終わったようで、直ぐに騎士達の治療を始めた。
自分の知識と、光魔法を駆使して懸命に治療する姿は、まさしく聖女そのもの。戦場経験も無い女の子達が頑張っているのに、私だけがへこんでられない。
騎士達は下がり、私は再び上級の魔物と対峙する。風の防御結界が効かず、魔物の方がパワーもスピードも上とあっては打てる手は少ない。
取りあえず、牽制の意味も込めて魔法を連発する。火球、水球、石弾、風刃、やはり全て効果が無い。さらに物理攻撃も通用しないとあっては、光の大規模魔法しか手段が無い。
私は精神を集中させて光の精霊力を高めていく。ようやく魔法を発動させようとした瞬間、魔物の姿が掻き消えた! 闇の気配がするのは私の背後―――
「―――――っな!?」
魔物の両腕が振り下ろされる! 私はとっさに剣で防ぐが、とても威力を削ぎきれない――――――
10数メートル吹っ飛ばされて、ようやく体勢を立て直す。しかし目の前には既に上級の魔物、速い! 間髪入れずに次の攻撃が来る!
「――くっ、雷撃!」
苦し紛れに雷撃の魔法を放つも、横にあっさり躱される。魔物はそのまま鞭のように腕を振り、それは私の横っ腹にまともに入った!
「――――――っ!!!」
受け身も取れず、地面に強か叩きつけられる! 瞬間、息もできない。
「けはっ…」
少し口の中に砂が入った。何とか立ち上がったが意識が朦朧としている。身体強化してなければ終わってたかもしれない。
「クリス―――――――っ!!!」
ユフィが青ざめた顔で駆け寄って来るのが見える。だめっ、 今来たら巻き込まれる! 頭が警鐘を鳴らすのに、自分の身体が他人の物ように言う事を聞いてくれない。
「聖女様達を守れぇ―――っ!!」
「第3、第6小隊突撃!!」
「壁を作れ! 命を惜しむなぁ―!」
「聖女様お下がりを――――!」
動きの止まった私を守るために、次々と騎士達がその身を投げ出し倒れていく。命を惜しむなとの声に、大声でやめてくれと叫び出したくなる。葛藤と諦念がせめぎ合う中、ユフィの声が響いた。
「クリス! いやだこんなの!」
足をもつれさせながら、ようやく私の前にたどり着いたユフィは、もう涙目だった。
「待ってて! すぐに回復魔法をかけるから!」
さっきまでの冷静沈着ぶりが嘘のように取り乱している彼女。美しく整った顔も、風になびくプラチナブロンドも、流している涙にさえ目を奪われる。
本当にきれい……私の好きな人―――
こんな時でさえ、思考が乙女なことに我ながら呆れてしまう。前世で事故に遭う前も見惚れていたっけ? こんなにあっさり終わってしまうものなのか………
終わる? ユフィが? 彼女が? また死んでしまう? またぼくのせいで!?
いや、あの時とは違う。まだぼくには出来る事が残っている―――
「ユフィ…」
「…なあに?」
「後でしっかり怒られるから、今だけ……」
そう言って、ぼくは泣きじゃくるユフィの両肩を軽く掴んだ。ほんの少しだけ落ち着きを取り戻すユフィ。
「クリス?」
「今だけ…ごめんなさい……」
ユフィの両肩から頬に優しく手を添えると、ゆっくりと顔を近付けていく、鼓動の音さえ伝わりそうな距離と触れる前髪、唇と唇がゆっくりと重なり合って、ぼくは彼女に初めてのくちづけをした―――
少し時間が空いてしまいました。すみません。
イラストを間に合わせるために時間を取ってしまいました。
キスシーンって、書くのも描くのも初めてです(笑)。