二人の聖女①
―――クリスがきっかけの言葉を口にした―――
ほど無くしてクリスの身体がほんのりと光を帯びるのが見える。淡く光を放つその姿は正しく聖女そのもの。しかし今はそれどころではない。先ほどの大猿との接触がトリガーになったのか、闇の魔物達が一斉に動き出したからだ。
先ず動き出したのは空を舞う数十匹に及ぶ人面鳥。そのあまりの不気味さに観客の何人かが悲鳴を上げた。これはいけない!
周囲を見回すと、私が危惧した通り人々の恐怖は瞬く間に広がっていく。あれほど賑わっていた闘技場はパニックの様相を呈してきた。
次々と観客に襲い掛かろうとする人面鳥。その内の一体が観客の一人に牙を剥こうとしたその時―――
キイイイィィン!!
人面鳥が空中で何かの壁に阻まれて止まった。虚しく暴れる闇の魔物。それも此処だけではない。気が付けば、おそろしく巨大な風魔法の結界が闘技場の上空に展開されている。
クリス自身と後ろの選手を守る結界もそのままに、同時にこれ程の魔法を発動し得るとは。しかも上空の大きな結界は守りの物ではない。数十匹はいる人面鳥のことごとくが結界の中に封じ込められている。一拍の間の後―――
「風よ渦巻け!!」
クリスが大きく叫んだ瞬間。巨大な結界の中に風の嵐が巻き起った! 結界の外、その影響が無いにもかかわらず、内部の凄い風圧が伝わって来るようで、思わず私は目を細める。
しばらくして荒れ狂う風が収まったかと思うと、巨大な風魔法の結界が突然その姿を消した。おそらくクリスが結界を解除したのだろう。
それと同時に、数十匹の人面鳥が力無く落下してゆき、闘技場の地面に叩きつけられた。風の刃に切り裂かれ絶命した憐れな骸が、その魔法のとてつもない威力を証明している。
20や30ではきかない数の人面鳥が、瞬く間に全滅してしまった。クリスが精霊の愛し子としての力を振るうところは初めて見るが、あまりの規格外っぷりに身震いがする。
隣のプリシラですら言葉を失っているところを見ると、おそらく五年前のディアナ王都の時とも比べ物にならないのだろう。
言葉を失っていたのは私達だけではない。パニックに陥っていた観客達も、目の前の光景に言葉を失くし唖然としている。その時、聞き慣れた声が闘技場に響き渡った―――
「皇国の民達よ! セントラル皇王マクシミリアン・ヴァン・セントラルである! よくぞ落ち着きを取り戻した!」
我が父であるセントラル皇王が、威厳ある声で観客達に訴えかけ始めた。ともすれば大パニックの果てに最悪の事態も考えられただけに、この時点での呼び掛けは、絶妙のタイミングと思えた。
「皇国の民達よ、皇都に魔物の侵入を許した事は言い訳のしようもない。皇王として詫びよう。そしてこの事態に対する指示を急ぎ伝える。先ず速やかにこの闘技場から移動するのだ。各自の帰路で魔物の出現を皇都中に伝え、安全が確認されるまで自宅に立て籠ること。兵籍にある者は剣を取り再びこの地に参じるがよい。すでに皇国第一軍がこちらに向かっている。魔物の殲滅は容易く実現されるであろう。皇国の民よ! 聖女の末裔よ! 我が指示に従うのだ!」
大雑把だが的確に指示を出す皇王。ふとロイヤルボックスの皇王と私の視線が重なった。私は目線に力を込め頷き返す。
「さらに、直ちにこれだけの観客が闘技場を出る事は叶わぬ。よってこの場での指揮を我が娘、光の聖女であるユーフェミアに委ねるものとする。よいなユーフェミア!」
クリスからも頼まれた事だ。皇王のお墨付きがもらえるなら願ってもない。
「謹んで皇王陛下の御意に従います!」
私はその場から立ち上がると、音声強化の魔法を使い周囲に向けて声を張り上げる。
「皇国の民達よ! まずは落ち着いて現在の位置を確認してほしい。そして自分のいる場所から最も近い出口を確認しなさい。出口が確認できた者から焦らずに移動を開始すること。魔力に自信のある者は結界を張って民の移動を助けなさい。さらに腕に覚えのある者は皇国第一軍に加わり、指揮官の支持を待て!」
クリスの派手な魔法と、皇王のおかげで私の指示は正しく伝わっているようだ。あとは最後の仕上げにと付け加える。
「今、闘技場で勇敢に戦っている一人の少女、ディアナ王国ラピス公爵家が長女クリスティーナ・ラピス! 彼女もまた光の聖女であるとこの私、ユーフェミア・ファナ・セントラルが宣言します! 皇国の民よ! 聖女と共にあれ!」
私は両手を広げるとクリスと同じように特大の風の結界を張り、観客席を保護する。丁度、観客席に襲い掛かろうとしていた犬型の魔物が弾かれるのが見えた。私の演説と派手な魔法に観客から歓声が巻き起こる。打てる手はこれで全てだ。当面打つ手は無い。
―――あとは頼むわよクリス!―――
どうしよう。ユフィが、私の彼女がかっこ良すぎる! 見事な演説をかまして、あっと言う間に民心を掌握してしまった。私が聖女だとの余計な情報もあったが、この場での士気を高めるためにはやむを得ない。…かな?
「後ろのあなた動けますか?」
私は後ろの選手に声をかける。正直、後ろを庇いながらだと戦いにくい。動けるものならさっさと逃げて欲しい。
「はっ、はいぃ! かたじけない、クリスティーナ様、御武運を!」
そう言ってさっさと逃げ出す姿は、いっそ清々しい。取りあえず後ろの心配事が無くなった私は、ずっと展開しっぱなしだった風魔法の結界を解除すると、改めて目の前の大猿に向き合った。
私は愛用の剣を正眼に構え、静かに呼吸を整えると、その場から一気に飛び出し、目の前の大猿に向けて剣を振るう!
ズバァッ!! 身体強化された私の剣は大猿の右手を易々と切断する。苦しみにのけ反る大猿に対して、私はすかさず跳躍してその顔面に迫る。
「はあぁ――っ!!」
私は勢いに任せて打突を放ち、剣は大猿の頭蓋を貫いた。絶命して崩れ落ちる大猿を無視してさらに高く跳躍すると、私に群がって来た魔物で足元が埋め尽くされる。
「雷撃!」
もはや狙いを定める必要も無い。私は地面に向けて雷撃の魔法を叩きつけた! ズゴウウゥゥンッ!!! 眩い閃光と共に耳をつんざく轟音が響き渡る。犬型の魔物10数体と大猿が2体巻き込まれたようだが、大猿は雷撃に若干の耐性がある事を私は知っている。
土煙の中、僅かに動く大猿の内一体に狙いを定めた私は、頭上から斬撃を繰り出した! 狙いは違わず鈍い音と共に頭蓋を割られた大猿がそのまま地面に倒れ伏す。
5年前のディアナ王都では、最後まで苦戦を強いられた中級上位の大猿ではあるが、今こうして戦ってみると、あの時の苦戦が嘘のように感じられる。
それだけ私が強くなったことなのだろう。剣の腕を磨き、身体も成長したお陰で光の精霊による負荷もほとんど感じられない。
私が残りの大猿に向き直ると、すでに致命傷を受け絶命する大猿の姿が見えた。
「ギルバート!?」
私に先んじて大猿を仕留めたのは予選で戦ったギルバートだ。あの固い大猿の首を易々と切断するとは、さすがの腕力だ。
「クリスよ、何やら楽しそうな事をしているではないか?」
剣に付いた血糊を振り払いながら、近所のパーティーにでも呼ばれるような気安さで声を掛けてくる。
「この状況を楽しめるのは、あなたぐらいでしょうね」
「おうとも、実戦の機会ほど貴重なものは無いからな。まして闇の魔物が相手とくれば是非もない」
その軽口に半ば呆れながらも、ギルバート程の手練れの助太刀は正直ありがたい。背中合わせで会話を続けながらも、魔物はひっきりなしに襲って来るからだ。
「それにしてもそれ程の力を隠し持っていたとはな」
「悪く思わないでください。これは普段自由にできる力ではないのです。予選の時の私はあれで精一杯でしたよ」
「それは残念。後で手合わせをと思ったがな」
魔物を切り伏せながら話すギルバートは、本当に残念そうだ。
「これが終わった後では、そんな体力も無いでしょうに」
もはや何体目か分からないが、魔物に剣を振るいながら周りを見回す。
ユフィの指示の下、観客の避難は順調に進んでいる。この間にも魔物の数は増え続け、ゆうに100体は超えているものと思われた。
「ギルバート、少し大掛かりな魔法を使うので、後ろを頼みます」
「承知した。どうせなら派手なのをぶちかましてくれ」
ギルバートに背中を任せた私は、前方の魔物の群れに意識を集中する。
「火の精霊よ!」
火の精霊に呼び掛けて空中に展開したのは、ファイアーボールの魔法だ。瞬く間に30個の火球が空を埋め尽くす。それもただの火球ではない。一つ一つに大猿をも一撃で倒せる程の魔力を込めたファイアーボールだ。
威力が段違いなだけに外すと闘技場の被害が大きい。細心の注意をはらって狙いを定めると、一斉に前に放つ。次々と魔物に襲い掛かる火球たち!
ドゴゴゴゴオオオオオオオォォォ――――――ッ!!!!!
轟音と共に業火が荒れ狂う! 私の放った火球は狙いを外すことなく全て標的に着弾し、次々と魔物をその業火で焼き尽くした。
「おおーっ、これは確かに派手だ。お前さんがいたら皇国第一軍も要らんのじゃないか?」
燃え盛る業火を眺めながら、呆れがちにギルバートとが口にするが、冗談ではない。いくらほぼ無詠唱とは言え、今のはギルバートのサポートがあればこそだ。見た目ほど余裕があるわけではない。
「茶化さないでください。それよりも、その第一軍が間に合ったようですよ」
突然、闘技場内に鬨の声が響き渡った。すると複数ある出入口の内二ヶ所から騎士の一団が流れ込んで来る。皇国が誇る第一軍その精鋭達の姿だ。
皇国軍は、五つの大きな軍団で構成されている。その中でも第一軍は最精鋭の呼び声も高く、この緊急の際に、即座にその精鋭部隊に出動を命じた皇王の判断力と、それに対応しうる軍組織には舌を巻く他ない。
おそらく全軍では無く、足の早い先行部隊のみであろうが、それでも中隊規模の数だ。不意を突かれた魔物達は総崩れになる。
「あ、ひでえ! 俺の獲物が持ってかれちまう!」
次々と倒される魔物達を見て、ギルバートが悲鳴をあげ、慌てて魔物の群れに突っ込んでいく。忙しい男だ。
危機的な状況は脱しつつある。観客達は大方、避難を完了しつつあり、傷付き倒れている者とて一人もいない。それなのに何だろう?
―――中級、下級の群れを上級が率います―――
ふと、メアリの言葉が頭をよぎる。
もはや大勢が決したかに見える状況で、私一人だけ、拭いきれぬ不安を抱え、魔物の侵入の止んだ選手入場口を見つめていた。何だろうこの感じは?
何かよくないものが近づいて来る―――
初めて闇の魔物を見た時の言いようのない不快感、今直ぐにでも足元が崩れてしまうような焦燥感。真の力に遠く満たないとは言え、光の精霊力を身に纏ったこの状態でさえどうにもならない脅威がすぐそこまで来ている。そんな気がした。
その気配を感じて近づいて来るまで、僅かなはずの時間が永劫のように感じる中で。
それは現れた―――
すみません。あらすじよりも早い回で聖女と呼ばれてしまいました。
聖女と呼ばれてからもお話は続きます。