波乱の闘技場
あのケヴィンに上級の魔物が憑依する!?―――
「め、メアリさん、さすがに理解が追い付きません。人間に魔物が憑依するって?」
闇の魔物についてある程度の知識はあるつもりだが、さすがに知らない情報だ。そもそも上級の魔物自体、確認事例が少なく、その存在すら疑われているのだから。
「闇の魔物は位が高いほど人型に近くなるのをご存知ですか?」
「ええ、書物で読んだことがあります」
七歳の時に戦った中級上位の大猿も人型と言えなくもない。
「上級の魔物は、ほぼ人間と同じ外見だそうです。その形状から人間の依り代を使う事でようやく召喚が叶うのです。ただ誰でも良いという訳でもなく適性が必要なのですが…」
「先ほど言っていた豊富な魔力と、頑強な肉体。そして異常な執着心でしたか?」
最後の異常な執着心と言うのが気になる。
「彼は貴族ですので魔力はお持ちです。さらに騎士として鍛えた肉体。そして執着の対象はあなたです。クリスティーナ様」
やっぱりそうなるか~、男から執着されるって何!? 上級の魔物よりよっぽどショックだよ!
「お分かりの通り教団の標的は、クリスティーナ様とユーフェミア殿下、二人の聖女候補です」
いつの間にか世間には私も聖女候補として認知されているらしい。私はため息をつきながらメアリにこぼす。
「すでに光の聖女として認められているのはユフィですよ」
「ディアナ王都襲撃が失敗した時から、既にあなたは疑われてました。たとえ聖女でなかったとしても、教団にとっての脅威であることは、この大会であなた自身が証明されています」
はい、やり過ぎました。まあ聖女ではないにしても、精霊の愛し子である事には変わりない。
「上級の魔物は、あなた様でも太刀打ち出来る存在ではありません。どうか早くお逃げ下さい」
「教団の標的が私なら、それを逃がしたあなたはどうなるのですか?」
この期に及んで自分の心配をされると思わなかったのか、メアリは私から視線を逸らすと、寂しそうに俯いた。
「………私は捨てゴマなんです…。もうすぐ上級の魔物で皇都は壊滅するでしょう。私はここで皇都と運命を共にするのです。口封じのためにも生き残る事は許されません」
「それなのに情報を漏らしたのですね」
「……学院に通って、よく分からなくなりました。異教徒なのに、クリスティーナ様も、みんな優しくて……、あの…クリスティーナ様、何で私の事を黙っていてくれたのですか?」
ずっと聞きたかったのだろう。さも不思議そうにメアリが問いかける。
「私には人の隠し事を吹聴する趣味はありません。それに、あの時助けてもらって素直にお礼を言うあなたも、申し訳なさそうに恥じらうあなたも、とても好感を持ちました。あと―――」
私は一旦、言葉を区切ると、メアリに向かって微笑んだ。
「あなたの魔法、とっても綺麗なんですよ。見れなくなるなんて勿体ないじゃないですか」
メアリは目を見開いて驚くと、ここでようやく笑顔を見せた。
「クリスティーナ様、ありがとうございます。せめて皆さんが闘技場を離れる間の時間稼ぎぐらいはして見せます。どうかお元気で」
「ちょ、ちょっとメアリさん! 勝手に終わらせないでください! あなたにはユフィに伝言を頼みたいのですから!」
「―――伝言? ユーフェミア様にって、まっ、まさかクリスティーナ様お一人で戦うつもりですか!?」
まさかも何も魔物が出る以上、誰かが戦わなければならない。こうと決めた以上、動きは早い方が良い。
「私は私に出来る事をするだけ、それにはどうしてもユフィの力が必要なんです。あなたもどうか手伝って下さい。大丈夫、皆んな守って見せますから!」
人を安心させる為には、多少の嘘も許してもらおう。上級の魔物と聞いて、万全の自信の持てる者がいる訳がない。少しでも生き残る確率を上げるだけだ。
ディアナ王都での戦いから五年。私にとって久しぶりの実戦が始まろうとしていた。
観客席からクリスの戦いを観戦しつつ、私は隣に座る隣国の王女に愚痴をこぼす。
「ねえプリシラ、あの娘の人気がとんでもない事になってるけど?」
「ええ、クリス姉様がカッコいいのは分かりきっていましたが、増えてゆくライバルが多すぎますわ」
ぎりっと下唇を噛む様子から、彼女も相当焦っているようだ。そう、気が付けばクリスの人気はアイドル並みに高まっている。ミラー王子を倒した時の、凛々しく貴公子然とした振る舞いは、どちらが王子様か分からない程で、観客席は男女を問わず大いに盛り上がった。
普段の完璧な美少女から、騎士服に身を包んだ姿は中性的であり、乙女漫画の王子様のような印象を与えた。これはズルイ!
普通に女の子の装いだけなら、男の声援を浴びるだけで済んだだろう。しかし、騎士服に身を包んで剣を振るう姿は凛々しくも可憐で、いわゆる女の子の理想の王子様像そのものだ。
某歌劇団の人気役者も霞む程のルックスで、戦えばでたらめに強いときている。これは人気の出ない方がおかしい。
「次の試合の勝者が、クリス姉様と三回戦で戦うのよね?」
「まあ、よほどの事がない限りはケヴィンで決まりでしょう」
問題児ではあるが実力はある。気になるのはその鬼気迫る戦いぶりだ。
予選の時も、続く本戦の一回戦の時も、自分より実力の劣っている相手に、まるで余裕の無い戦い方をしている。獅子がウサギ相手に全力を出すように、計算も何もお構い無しに相手を蹂躙する様は、有り体に言えば不気味に見えた。
クリスの方がはるかに強い事は分かっているが、出来れば戦ってほしくない。
『さあ、二回戦もいよいよ最後の試合になりました! 特にこの試合の勝者は、次の三回戦であのクリスティーナ選手と戦うことになります!』
すっかりクリス贔屓になった司会が、試合開始前のアナウンスを始めた。
しかし、既に待ち構えている対戦相手に対して、肝心のケヴィンがいつまで経っても姿を見せない。ふとその時―――
「―――!?」
突然、今まで感じた事もないような悪寒が私の全身を駆け巡った。 何これ? 私はたまらずに自分の肩を抱いてうずくまった。
「…うそ………」
数瞬の遅れでプリシラが漏らした言葉に、私は屈み込んでいた上半身を上げて会場に目を向けた。選手入場口から何かが入って来るのが見える。しかし、それはケヴィンでも、ましてや人ですら無かった。
選手入場口から姿を見せたのは、禍々しいかろうじて犬か狼のように見える獣。大人二人分の背丈はある異形の大猿。頭に人の顔を貼り付けたような人面の大鳥。皆、一様に黒く禍々しい空気をまとって、粛々と会場に陣を連ねてゆく。
気が付けば司会のアナウンスも声を失っていた。
「あ…、あれ、ディアナ王都でお姉様が戦った魔物……」
5年前のディアナ王都での魔物襲撃事件、その渦中にプリシラもいたと聞いている。その魔物をクリスが倒した事も。では、あれが闇の魔物?
明らかに異様な事態に周りの観客達もザワつき始めた。運営側の演出と勘違いしている者もいる。これパニックになる!?
「ユーフェミア殿下!」
横合いから声を掛けられて振り向くと、メアリがそこに立っていた。おそらく走って来たのだろう。息を切らせて足取りも危うい。
「ユーフェミア殿下、クリスティーナ様からの伝言をお伝えします」
「クリスの?」
「クリス姉様はご無事なのね?」
軽く頷いて彼女が見せたのは指輪だ。中央にラピス公爵家の印章が彫ってある。クリスの使いだと疑い無く信じるために、わざわざ持たせたのだろう。それだけ事態が切迫しているのだ。
私は即座に範囲指定で遮音の結界を張ると、メアリに発言を促した。
「先ず今回の魔物騒動の全ての元凶が私である事をお伝えします。今この場でも、騒ぎが収まった後にでも、いかようにも御処分下さい」
「クリスはそれを聞いた上であなたを使わせたのでしょう? なら私もあなたの処分は望みません。それよりも今この場でこそ役に立ちなさい。時間が無いわ、クリスは何と?」
メアリは目を見張ると僅かに頷き、口を開いた。
「クリスティーナ様は単身で魔物達に当たられます。ユーフェミア殿下には観客の避難誘導と、自身が最善と考える行動を取って欲しいと」
やはり観客の被害を危惧しているようだ。魔物を見て少し混乱していたが、こうして方向を示されると自分のやるべき事に意識を向けられる。それにしても…。
「クリスは本当に一人であの魔物達と戦うと言ったのですね?」
「はい。ですが、クリスティーナ様だけに戦わせる訳にはいきません。今直ぐに私も…」
「お止めなさい!」
自分も戦うとのメアリの言葉を私はあっさりと切り捨てる。
「少し魔力が高いからと調子にのらないで! あの規模の魔物には軍隊で当たらなければ犬死にするだけよ。あの娘は普通ではないの。中途半端な実力では足手まといだわ!」
おそらくクリスは精霊の愛し子の力を使うつもりなのだろう。自在に操る事が叶えば、神にも等しいと言われるその力を。
尚も言いつのろうとするメアリに、横からプリシラが声をかける。
「大丈夫です! クリス姉様はあんな魔物なんかに負けません! お姉様が観客の安全をお望みなら、今度こそお役に立って見せますわ!」
この頼もしい言葉にメアリも強く頷いた。今は僅かな躊躇いの時間すら惜しい。
この間にも闘技場には次々と闇の魔物が押し寄せて来ている。憐れなのはケヴィンの対戦相手だ。目の前の信じ難い状況に、完全に我を失っている。
とうとう半狂乱に剣を振り回しながら、魔物の群れに駆け出してしまった。
いけない! 今はまだ魔物を刺激するべきではない!
それまで微動だにしなかった先頭の大猿が、その体格に不似合いなほどの長い腕を振り上げ、目の前に飛び込んで来た憐れな獲物に振り下ろした!
ガシイイィィ―――ン!!
獲物が切り裂かれるでも潰される音でも無い。何か固いものに爪が弾かれる音が闘技場に響き渡った。砂煙の中、いつの間にか張られた風の結界の中で見事な金髪が揺れる。
「ふう、まだ誰も傷ついていませんね? それにしても…、この大猿を見るのは5年ぶりですか? 何度も見たい顔ではありません。よりにもよって団体様で来なくても… とにかく、ここには私の大事な人がたくさんいるのだから―」
ため息をつきながら軽口を言うクリスが意味深に言葉を区切ると―――
「あまりぼくを怒らせるなよ」
―――その言葉を口にした―――




