皇国の聖女
遥か遠くに、白い一筋の線が垂直に空に伸びる。
目の前に広がる青空を左右に分かつそれは、不思議な存在感を見る者に与える。
決して自然の物ではあり得ない。かと言って人の手で成せる業でもない。
ルーンを支える神の柱―――
「あれが支柱神タリスの柱…」
「国境をまたいだばかりなのに、もう見えるんですね」
初めて見る伝説の柱を前に、思わず感嘆の声を洩らす。
三日前に王都を出発した私達は、つい先ほど国境を越え、セントラル皇国内に足を踏み入れた。ここから更に五日をかけてこの国の中央、皇都に移動する予定だ。
馬車での長旅はこれで二度目になるが、前回のように、大勢の護衛を連れての仰々しい移動ではない。闇の領域から遠く、比較的安全な皇国内という事もあって数名の護衛のみでの穏やかな旅である。
入国早々に目にした伝説の柱。その柱の下に目的地の皇都がある。その事実だけでも、タリスの柱がいかに巨大な物であるかが実感できた。
「大丈夫ですか? お嬢様」
「ありがとう。少しだけ緊張してます…」
少しではない。実はかなり緊張している……。
いよいよゲームがスタートしてしまうのだ。BLルート回避のために身体も鍛えたし、性別がバレないように淑女教育も頑張った。それでもいざ本番となると、やはり不安は残る。
「ご安心してください! お嬢様は完璧な淑女です!」
「―――あ、ありがとう。マチルダ」
こうもはっきり明言されると、逆にショックだ。もはや男としての私のアイデンティティは無きに等しいのかもしれない。とは言え、これからは今以上に性別の秘密を守らなくてはいけない。
ゲーム内では幾度も私の秘密はバレているからだ。
早い段階で攻略対象者を特定して、器用に立ち回る必要があるし、出来るだけ味方も増やしておきたい。それに―――
今度こそ彼女に会えるかもしれない―――
それから順調に旅程を重ねた私達は、予定通り5日後に皇都に到着した。
皇都に着いて先ず目につくのは、やはりタリスの柱だ。ぱっと見た感じでは、この巨大な柱を囲むように皇都は形作られている。皇都の中心、柱の麓にある立派な建物が皇城と思われた。
皇王の居城と何よりも神の柱を守る為に、二重の防壁が皇都を囲み、壁に設けられている門では、出入りする人間を入念にチェックしている。
皇都に足を踏み入れると、防壁を一つ通過するごとに、建物や住民の生活水準があからさまに上がっているのに気付く。平民街と貴族街と言った感じだ。ちなみに一番外側の壁を囲むように粗末な建物がひしめき合っている。おそらく貧民街になるのだろう。
民を守るべき防壁の外側に、追いやられている民がいる。セントラル皇国は、この世界で最も古い国であり、過去に聖女を国母に頂いていたことから、聖女の末裔、選ばれし民との気風が強い。外からの移民に対する偏見を国としても放置している現状が窺える。
ディアナ王国では、王都でも公爵領でも、貧民街は存在しない。他国の事とは言え、あまり良い気はしなかった。
「クリス姉様――っ!」
ようやく到着した女子寮で、元気いっぱいの声が響き渡る。女子寮の本館と思われる建物から、自国の第一王女が駆け寄って来た。遅れてアレクシス王太子の姿も見える。
「プリシラ! 先に皇都に着いていたのですね」
「ええ、皇都は昨日からです」
ディアナ王都での出会いから5年。幼なじみと言っても良い関係になった私達は、今ではお互いに、名前を呼び合っている。
「知り合いがいないので、寂しかったです――」
「プリシラ、もう子供ではないのですから、その抱き付き癖は、きゃっ! へ、変なとこ触らないで!」
恒例のタックルで抱き着いてからの濃密なスキンシップ。私の胸に顔をうずめてすりすりするプリシラ。あっこら、臭いを嗅がない! 周りからも不審な目で見られてるし、マジやめてーっ!
「嫌です。お姉様が足りていません!」
魔道具の特製ブラジャーのおかげで、気付かれる事は無いだろうけど、色々な意味でまずい!
私が成長したように、プリシラも成長している。特に胸の発育がヤバいレベルだ。服の上からなのに感触が生々しい! 男です! あなたが抱き付いていろのは男なんです――!
「こらプリシラ! クリスティーナが困っているだろう!」
「ちっ…、 はあい、離れますよ。お兄様」
アレクシス王太子の注意で、しぶしぶ離れるプリシラ。聞き間違えでなければ、舌打ちが聞こえたけど、聞かなかった事にする。うん、淑女。淑女。
「お久しぶりです。アレクシス」
「ああ、僕が王都に里帰りして以来だから、一年ぶりか。そ、その、キレイになったな…」
「ありがとうございます。殿下もお世辞がお上手になりましたね」
「殿下はよしてくれ。それと…世辞ではない…」
一人で甘い雰囲気を醸し出すのは止めて欲しい。そう言うことにしておきますね。と笑顔でかわして改めてアレクシス王太子に向き直った。
少しお坊っちゃま口調だったのが、俺様寄りになって。思春期真っ盛りのアレクシス王太子は、この学院の3年生になる。現生徒会役員で、次期会長の呼び声が高いと聞いている。
「新入生ですので、よろしくお願いしますね。アレクシス先輩」
「!? せ、先輩?」
また胸を押さえて苦しそうな王太子。やっぱり持病持ちなのでは?
「おかしいですか、殿下?」
「お、おかしくない。だから、殿下はよしてくれっ、アレクシスでいい…。そ、そう呼んでくれ」
「わかりました。アレクシス」
「―――――!」
結局、胸を押さえて視線を逸らすアレクシス。君はいったい何がしたいのか?
私達が同郷同士でワチャワチャやっている間に、今度は別の馬車がやって来る。
かなり身分の高い人が乗っているようだ。護衛の数と馬車の装飾から見ても、ただ事ではない。あの紋章は―――
「セントラル皇室の方ですわね」
馬車の装飾の中から、目敏くセントラル皇国の紋章を見つけたプリシラが呟いた。
馬車の扉が開き、一人の貴人が降りてくる。女性だ。護衛騎士の手を借りて馬車から降りる。ただそれだけの動作が目を引くほどに美しい。
私がこの身体に転生して、これ程目を奪われた事があっただろうか? まるで光を纏うかのようなプラチナブロンド。それを風になびかせて静かに佇んでいる様子は絵画のようだ。まだ少女の儚さを残した横顔は、大人の艶やかさも併せ持ち、未完成ゆえの美しさがあった。
「あの方、しゃくですけど、クリス姉様と同じくらいキレイですわ」
「この国の第一皇女、ユーフェミア殿下だ。そう言えば、お前達と同じ学年だったな」
ユーフェミア皇女。その名を聞いたとたん、あまりにも有名な彼女の二つ名が口をついた。
「光の聖女…」
セントラル皇国の光の聖女。建国の皇王に嫁いだ伝説の聖女の再来と言われ、他国にまでその名が知れ渡っている皇国の第一皇女。
「お姉様、お顔が赤くなってますけど、どうかされましたか?」
「え!? そ、そうですか?」
キレイな女の子に見とれて顔を赤くするなんて、ベタすぎるでしょ! 焦りながら今日は少し暑かったからと、苦しい言い訳をする私。ほんと、この赤面症どうにかならないかなあ…。
せっかくの神秘的な光景を、自身の赤面症で台無しにした私。
そんな私達を、少しの動揺を滲ませながら、じっと見つめる聖女の視線に、この時の私は気が付かなかった。
ようやく最重要キャラ登場です。