お姉さまと呼ばせて!
その夜、王城にて華々しく夜会が催された。
会場となる大広間には1階と2階があり、2階の中心は吹き抜けの為、そこから大広間全体を見渡せるようになっている。絶え間なく音楽が流れ、紳士淑女がきらびやかに躍り談笑するその場は、前世で馴染みのない非日常が詰まっていた。
大人達が様々な社交やダンスに興じている間。デビュタントも済ませていないお子様の私は、王太子と第一王女と共に、大広間の2階に特別に用意されたスペースで子供だけの夜会を楽しんでいた。
ちなみにこの夜会には特別にマチルダを伴う事を許してもらっている。今も後ろで静かに控えているが、心強さが半端ない。王太子のフラグを折るためにも助けは多い方がいい。
「クリスティーナお姉様!」
「お ね い さ ま?」
元気いっぱいに私をそう呼んだのは、プリシラ・ディアナ。この国の第一王女殿下その人だ。
「ぜひ、クリスティーナ様を、お姉様と呼ばせてください!」
呼ばせてくださいって、もう呼んでるよね?
この自由な話の持って行き方は、前世の彼女を彷彿とさせる。しかし、数回言葉を交わしただけで、私の中で答えは出ていた。この娘は彼女ではない――
たとえ姿かたちが変わっても、ちょっとした仕草や癖など、その人がまとっている空気で何となく分かるものだ。謁見の間で見た時からそうではないかと思ったが、やはり王女殿下は彼女ではなかった。
「先ほどのお父様への挨拶。格好良かったです! 私と同じ歳なのにとっても大人で、きれいで、賢くて! 私、お姉様を尊敬します!」
私の手を取り、瞳をキラキラさせながら迫って来る王女様。顔が近いです。
「あ、あの王女殿下? いくら公爵家とは言え、私は臣下です。いくら何でも…」
「プ リ シ ラ と、お呼びください! それにラピス公爵家は王家とは血縁ではありませんか。なんの不都合もありません。ねえ、お姉様?」
私の困惑などお構い無しでぐいぐい攻めて来る自由過ぎる王女。困り果てた私は、アレクシス王太子に目線で助けを求めるが、何故かポッと顔を赤くして目を逸らされる。
やりにくいなあ、もう!
「――い、妹の言うことももっともです。確か僕の大叔母が公爵家に嫁がれていますよね。姉妹のようにとはいかないでしょうが、仲良くしてやってください」
確かに私の亡くなった祖母は、王籍から降嫁された方だった。それよりも、お姉様呼びの逃げ道が無いのですけど!
「わかりました。ではプリシラ様とお呼びします」
「やったあ! ありがとうございます。お姉様!」
私は早々に匙を投げることにした。謁見の間での乙女の秘密発言と言い、このお姉様呼びと言い、男として大切なものが、ことごとく崩れ去っていく気がする…… なんでこうなった?
私のアイデンティティの揺らぎなどお構いなしでプリシラ様からは次の爆弾が降ってくる。
「それで、お姉様の好きな人って、どんな方ですか?」
「―――!?」
カシャーンッ! 私と王太子のお皿の上で、ナイフとフォークが同時に跳ねた。
さっきから発言に一切のためらいの無いプリシラ様! 誰かお目付け役はいないのだろうか? プリシラ様の後ろに控えている側使えは、無言で顔をぷるぷる振っている。あっ、ダメだこれ、このままプリシラ無双を続けさせるしかないらしい…… 恐ろしい娘!
よほど私の恋バナが気になって仕方ないのか、今も瞳をキラキラさせて私を見つめている。圧がすごい…
「……プ、プリシラ様、恥ずかしながら、あれはお父様の事なんです。」
「えー? そうなんですかー?」
「考えてもみて下さい。私はこれまで公爵領から一歩も出たことが無かったのです。殿方との出会いがあるはずがありません。」
正真正銘、夢見る乙女には申し訳ないが、ここは早めに訂正しておこう。
「お父様は、常に私の事を気にかけて下さいますし、お母様をとても大切にしています。二人とも本当に仲が良いのですよ」
「私のお父様も、公爵夫妻の仲睦まじさを褒めてましたわ!」
嬉しそうに話すプリシラ様。どうやら、すんなり信じてくれそうだ。
実際、謁見の間で私が語ったイクメン像はそっくりそのままお父様に当てはまる。私が二人の仲の良さに憧れているのも本当の事だ。
「理想の男性がお父様と言うのが恥ずかしくて、つい赤くなってしまいました」
内緒ですよ、と可愛くお願いポーズを添える事も忘れない。我ながら上手い言い逃れだと思う。ちなみに、全く同じ言い訳をお父様とお母様にも話して納得してもらっている。
プリシラ様は、その後も興味の赴くまま私に色々な事を聞いてきたが、特に問題もなく、いつの間にか普通の女子会めいてきた。気が付けば、アレクシス王太子はすっかり蚊帳の外だ。
まずい! フラグは折りたいが、機嫌を損ねるのはよろしくない。少なくとも同じ男として、女子会で疎外されるのがつらい仕打ちであることはよく分かる。
そもそもが女子会ではない。
「私、今日の夜会でお二人に会えるのが、とても楽しみだったのですよ。マチルダ、あれを出してちょうだい」
「かしこまりました。お嬢様」
マチルダに出してもらったのは、昨日、王都に着いてから急いで作った焼き菓子だ。パウンドケーキとクッキーに今回はマドレーヌも用意してある。初対面同士で話が続かなくなった時の為に備えていたものだけど、特に王太子殿下は甘いものがお好きだと聞いたので、話のタネにはちょうど良いだろう。
「私が作ったお菓子で、お恥ずかしいのですが、よろしければどうぞ」
「え? すごい美味しそう! これをお姉様が作られたのですか?」
マチルダに協力してもらって可愛らしくバスケットの中に並べられたお菓子に、早くも興味津々なプリシラ様と王太子殿下。
「わあ! お姉様これ、すっごく美味しいです!」
早速パウンドケーキを口に運んだプリシラ様が、満面の笑顔で褒めてくれる。王太子殿下もさすがの上品さでクッキーを口にすると、思わずと言った様子で表情を緩める。
「これは、城の料理人よりも美味しいのでは? クリスティーナ嬢。これを本当にあなたが?」
歳のわりに大人びて見える王太子だが、こうして甘いものを摘まんでいる様子は、年相応の子供らしく見えた。
「お二人ともありがとうございます。淑女教育の一環なのですが、つたない物でも話題の一つになればとお持ちいたしました」
作った者としては、褒めてもらうと素直に嬉しい。味見した限りでも、出来過ぎなくらいに美味しいのだ。
それにしても、私が作った料理は2割増しで美味しくなるヒロイン補正疑惑は、たぶん当たっている。料理をしていないブランクを考えると、こんなに美味しく出来るわけがないのだから。
場が和み、王族二人の相手も上手くやれている。ふと、吹き抜けになっている下の大広間に目を向けてみた。
ここからは、夜会の会場である大広間の全体が見渡せる。国王夫妻は列席者からの挨拶で忙しそうだ。あの様子なら、この2階席まで足を運ぶのは難しいに違いない。国王と王妃を交えた王室包囲網を危惧していた私は、密かに安堵する。
ちょうど、お父様とお母様の目線とぶつかった。王族二人の相手で気が付かなかったけど、時折こちらを見守ってくれていたのだろう。私は軽く手を振って心配いらないと伝える。
「クリスティーナ嬢。バルコニーで夜風に当たりませんか?」
急に王太子殿下に声をかけられ、私は我に返った。え? 今何と?
「抜け駆けですか? お兄様」
「先程まで、彼女を独占していたのはお前だろう。今度は僕の番だ」
油断している隙に、王太子が攻めに転じてきた。七歳の幼女(♂)を取り合っても何も良い事はありませんよ!
「どうでしょう、お嫌ですか?」
「――じ、侍女を伴っても良いのであれば…」
二人きりを避けるために、私はマチルダに助けを求める。もっとも、王太子殿下にも近衛兵が数人付き従うので、その意味では安心なのだが。
「侍女…ですか…」
私が二人きりを避けた事が気に触ったのか、王太子がここで初めて、不機嫌さを滲ませた。
「失礼ながら、その侍女は平民でしょう? 公爵家の令嬢である貴女にはふさわしいとは思えません」
え? この人ってこうゆう人だっけ? あまりに予想外の言葉に、とっさに声が出てこない。
「高貴な身は、それにふさわしい者にかしずかれるべきです。私の周りは、全て子爵家以上の家柄の者を召し抱えています。貴女もご自身の立場を理解するべきだ」
あまりにもお粗末な持論を展開する王太子。突然、矢面に立たされたマチルダは、気の毒なくらい顔色が悪く、いたたまれない様子だ。自由な発言の出来ない彼女はただ耐えるしかない。
「殿下。そのお考えは、国王陛下のお考えと同じものですか?」
「いえ、私の教育係が常々言っている事です」
それを聞いて少し安堵する。どう考えても陛下のご意志とは思えない。
「ならば、その者は早々に遠ざけた方がよろしいかと。そのような選民思想を殿下に吹き込まれては、国の将来に関わります」
「なっ? クリスティーナ嬢、いくら貴女でも言葉が過ぎます」
「お言葉ですが殿下。このマチルダは侍女の身ではありますが、私の腹心として最も信頼している者にございます。彼女を貶めることは、たとえ殿下でも許せません」
「たかが平民の侍女ではありませんか」
たかが? マチルダの優秀さも知らずに好き勝手言われて、さすがに腹が立ってきた。 王太子の教育係が何処の誰かは知らないけど、ろくでもない奴なのは間違いない!
「殿下。貴方は働いたことがおありですか?」
「あ、あるわけがありません。僕はまだ子供なのですから…」
突然の質問に、意味が分からない様子の王太子だが、戸惑いながらも答えてくれる。根は真面目なのだろう。
「そうですね。私も淑女教育だけです。殿下も私も教えを乞う身で、平たく言って役立たずです」
「なっ!?」
怒りで顔を赤くする皇太子。その平民の子供ですら働いている現実を思えば、私達など王族だ貴族だと言う前にお子様でしかない。
「殿下が暮らすこのお城も、飾ってある調度品も、着ているお召し物も、下着ですらたかが平民の作った物です。それとも選ばれし高貴な方達が、手ずから石を切り、積み上げたお城とでも思いましたか?」
私の迫力に気圧されて、言葉の出ない王太子。それでも私は口を閉じない。
「このマチルダは、侍女としての務めを立派に果たしてくれています。今着ている侍女のお仕着せこそ、公爵家からの支給品ですが、それ以外の彼女の持ち物は、彼女自身が働いて手に入れた物です。ただ親から与えられるだけの殿下や私とは違うのですよ!」
言い過ぎだとは思うけど、言ってやらないと気がすまない。私はそのまま王太子をにらみつける。
「お姉様は、お菓子をお作りになって私達に振る舞って下さいました。役立たずは私とお兄様だけのようですわね」
今まで事の成り行きを見守っていたプリシラ様が、口を挟む。顔を真っ赤にして立ち尽くす王太子は、うつ向いて何も話さない。
クリスティーナと同じで、ずいぶん甘やかされて来たのだろう。顔が赤いのは怒っているのか、恥じ入っているのか。
王太子のフラグは、穏便に折ってしまいたかったのに、まさかこんな事になるとは…。もはやため息しかない。
私は姿勢を正して王太子に向き直る。
「貴き御身に対し、大変失礼な事を申しました。このまま公爵邸に戻り、しばらく謹慎させていただきます。後の処分はいかようにも」
この場に留まるのは得策ではない。私は冷ややかに辞去の挨拶をする。
「お姉様が公爵邸にいらっしゃるなら、私、遊びに行きますね!」
「もちろん、歓迎いたします。プリシラ様」
何かと自由な王女様だけど、憧れですと慕われて悪い気がするわけもない。途中からは本当に妹が出来たようで楽しかった。約束ですよと言葉を交わして、私は大広間を後にした。
王太子は、最後まで言葉を発せずに立ち尽くしたままだった。
「マチルダ、大丈夫ですか?」
「はい。お嬢様が庇って下さいましたから」
専属侍女とは言え、まだ子供と言ってよい年齢の彼女に、さっきの件はつらかったと思う。幸い今は落ち着いて笑顔を見せてくれている。しかし、この後どうしよう……
大広間を出た後、公爵家にあてがわれた控え室で、私はさっきのやらかし案件について頭を抱えた。事もあろうに、王太子その人と事を構えた上に、お父様とお母様に何も言わずに会場を飛び出してしまった。
「お嬢様、私が会場に戻って旦那様と奥様にご報告してきます」
「お願いできますか? そ、その出来れば…反省してると…」
ばつが悪そうに目を逸らす小心者な私。
「はい。お嬢様のお心に沿うように」
クスッと笑って頷いてくれるマチルダ。出来る侍女は違う。あのお子様王太子にはわかるまい。
私がマチルダにお礼を言いかけたその時――
―――――――――― !?
覚えのある悪寒が、背中を走った!
「お嬢様!?」
ただ事ではない私の様子に、マチルダが駆け寄ってくる。私は椅子の上で自分の両肩を抱いてかがみ込んだ。この言い様の無い感覚には覚えがあった。
――近くに闇の魔物がいる!?――
次回からシリアス回に突入?