閑話 母の願いと騎士の出自
10月のある日、すでに寝たきりになっていたファルレアは、医師たちに「年内を覚悟するように」と言われてしまっていた。しかしここにきて、年内では死ねない事情が浮上してしまった。
王都からきた信頼できるものからの手紙に書かれていた一文。
それを読んだ瞬間、来年の6月までは死ねないと、何とか余命を伸ばさなければと強い憤りを感じたのだった。
そのためにできることは何かと、サンデス先生とジャド魔道師への手紙をキエラに代筆してもらった。
そしてその他にと考えた時に、ファルレアの頭に二人の青年の顔が浮かんだのだった。
「キエラ……手紙を書き終えたら、リュドルクとユリウスをここに呼んで頂戴」
「分かりました」
去年の初めに出会って、6月から領城に勤め始めてくれた二人は子供たちもなついていて、彼女にとってもとても頼りになる存在になっていた。
あの二人の力も借りようと、彼等から安心を貰って力をつけようと、ファルレアは藁にも縋る思いでいた。
キエラが手紙を持って退室してから数分後、呼ばれたリュドとユルがファルレアの寝室を訪れていた。
寝室のベッドの脇に小さなテーブルと椅子が二客すでに置かれていた。
「そこに座って頂戴。お茶やお菓子は自分たちで用意してもらえるかしら」
「はい、わかりました」
「ファルレア様はどうなされますか? 座ったほうが楽なら介助いたしますが」
「お願いするわ」
ユルは持ってきていたお茶とお菓子をセッティングし、リュドは手慣れた手つきで枕を整えファルレアを座らせた。
「楽だわ……上手なのね」
「姉の勤めていた診療所で鍛えられました。冒険者の仕事を終えるとそこに行って、姉の仕事が終わるまで待っていたところ、ぼーっとしているなら手伝えと言われてしまいまして」
「あらあら」
「手伝っても文句ばかり言われるのに嫌気がさし、勉強と実践で頑張って覚えた結果、姉に介助師の資格を取らされまして。当時いい小遣い稼ぎになっておりました」
リュドは多才ねとファルレアがコロコロ笑っているうちに、ユルがお茶の用意を済ませていた。
「ファルレア様のは少しぬるめにしてあります。もしぬる過ぎたら言ってください。温度調節は得意ですので」
「ありがとう。温度は丁度いいわ。ユルも有能ね」
へへっと照れるユルはそのまま自身もお茶とお菓子をたしなんだ。
本当に美味しそうに、楽しそうにティータイムを楽しむユルをファルレアは微笑ましく思った。
対するリュドは、右手でカップの取手をつまむように持ち、姿勢を正してカップを傾けながら紅茶を飲む。つまんで食べるタイプのプチタルトはカップを皿に置いてから左手で食べ、決して右手ではつままない。
王立高等学園に通ったとはいえ、2年間に使用人の基礎が学べる平民コースと騎士コースを取ったものは、必要最低限の礼儀作法しか教わらない。その為にユルの様についカップを落とさないように取手をしっかり握ってしまうものが多い。
しかしリュドの所作は、貴族が家で学ぶ、貴族として基本的な礼儀作法を学んだ者のそれだった。
他の立ち振る舞いや知識からも、リュドはファルレアや家令に貴族の子供のようだと言われていた。しかし出自は平民だと証明されているし、平民用の木の子供札も持っていた。
平民ならいい。でももしも貴族の子だったら?
親や家名に連なるものが現れた時に、子供たちを裏切ったりしないか?
そんな心配がいつしかファルレアの中に生まれていた。
「リュド、あなたの所作は本当に奇麗ね」
「ありがとうございます」
「立ち姿と言い、対応の仕方と言い、騎士というよりは生まれながらの貴族のようだわ」
そのやんわりとした問いに驚くことなく、リュドは笑顔のまま「光栄です」とだけ答えてそれ以上は何も言わなかった。
「そのごまかし方もフォルトにそっくりだわ。リュド、正直に答えてもらえないかしら?」
「何をでしょうか?」
「あなたは貴族の息子よね」
リュドは笑顔を崩さなかったが、視線を一度右下に落としてからファルレアに問いを返してきた。
「私が貴族の子供かどうか気になさるのは何故なのか、伺ってもよろしいでしょうか?」
「親御さんが現れた時に懐かしさのあまり心揺らぐのが心配だからと言ったら?」
問いに問いで返すやんわりとした貴族の会話。
それを不快に思わず、詳しく聞き返しもしないあたりも貴族のセオリーを知る子爵以上の教育を受けているのではと思わせた。
ほんのわずか降り立った沈黙を破ったのはリュドだった。
「ユル。お守りを貸してくれるか?」
「……わかった」
「お守りって、もしかしてフィオラが『ユルが中を見せてくれないの』とこぼしていたお守り袋?」
「はい、そうです。でもこれ、ボクにも開けられないので」
「私」
「私にも開けられ……ませんので」
こんな時にも言い直しをさせる・する関係の二人が可愛くて、ファルレアはくすくす笑うことができた。
そうしているうちにリュドが袋に魔力を流すと口が空き、中から二枚の札が出てきた。
一枚は少し汚れて角が欠けた木の札で、もう一枚は金属プレートだった。
「ファルレア様。どうぞこちらをご覧ください」
金属プレートには聖竜様の欠片とも言われている貴石レッドジャスパーが一つ埋め込まれていた。これは典型的な貴族の子供札だった。
上の段の両親の名前の欄には「ランダウ・ディマス/セシリア・ソラリウモ」と書かれていた。そして子供のフルネームと生年月日が書かれている下の段には。
「リュドルク・ドラメスブロ……あなたは」
「私の両親はあのどうしようもないドラメスブロ子爵です」
「ではあなたは、あなたとラフィリ先生は11年前の悲劇の姉弟なの?」
「その通りです」
11年前、社交界の話題をさらったのが『ドラコメサ伯爵に仕えるドラメスブロ子爵家の長子の姉と幼い次男が、迷い出た森の中で魔獣に襲われて亡くなった』という悲劇だった。
そのショックで子爵夫人はあまり華やかな場には出てこなくなったというのも話題をさらう原因になっていた。
「ご存じかどうかわかりませんが、悲劇の姉弟の血まみれの服と姉の子供札を届けたという冒険者兄弟が、姉夫婦と私です。死の偽装は私がしました。そしてこの話を知るのは、幼馴染の3人だけです」
下の子供は当時6才だったはず。そんな子供がどうやってとも思ったが、フォルト同様『行き過ぎた教育』を受けていたのだとしたら、それくらい簡単にこなすだろうとファルレアは納得できた。
「そうだったの。これ、ありがとう」
自身の子供札を受け取ると、リュドは再び袋にそれを入れ、口を閉じた。魔力を通して簡単に開かないようにしてから再びユルに渡していた。
「フィオラ様フォルト様がドラメスブロ子爵に会いに行った話はお聞き及びですか?」
「ええ。二人から聞いているわ」
ドラコメサ伯爵家には傍系子爵家が4つある。
街道整備を任せているドラメスブロ家。
農地・生産物・農民の管理をしているドラカンパロ家。
牧場・家畜・牧童の管理をしているドラランコ家。
デマロの実家で、港や漁業について采配を振るっているドラハヴェルボ家。
その4子爵家のトップでもあるドラメスブロ家がろくに仕事をしていないのは街道を見れば一目瞭然だった。
ファルレアたちは引っ越しの時にも疑問に思ったが、新婚旅行から帰ったキエラにも道の整備が他と比べてなされていない、西の山の街のエリアでも王都付近と同様に整っていたと言われてしまった。
そのため姉弟で、ドラメスブロ子爵に直接文句を言いに行ったのだった。
何故しっかり整備しないのかと問うてもうだうだと言い訳を並べるだけだったので、「ではこちらで整備をさせていただくけど、その分の費用は払ってもらいますね」と切れたフィオラが一方的に依頼という名の命令をし、フォルトが払わなければドラメスブロの名を取り上げると警告したので、しぶしぶここ5年分の街道整備費用を払ってくれた。
「こちらで整備する以上、子爵家に渡すお金は当分0にできると嬉しそうに教えてくれたわ」
「はい、あの時のお二人は立派な領主様でしたと言っておきます」
「あらあら」
ふふふと笑った後にファルレアは吐息を一つ漏らしてから気づいた事実を突き付けた。
「そう。ドラメスブロ子爵はあなたが誰だか気が付かなかったのね」
「はい」
フィオラの護衛であるリュドは姉弟が子爵家に突撃した時も、同じくフォルトの護衛であるガルシオとともに二人の席の横に立っていた。
つまり、とても近い距離で子爵と、実の父親と対面したことになる。
たかが護衛と侮ったとしても、普通だったら自分の息子くらい分かりそうなものだが、ドラメスブロ子爵はすぐそばで立っている騎士が誰か全く気づけなかったのだ。
その事実がある以上、たとえ子爵が今後リュドが末息子のリュドルク・ドラメスブロだと気付いたとしても、親であると宣言するのはほぼ不可能となった。
「フィオラ様とフォルト様は幸せ者です。母親に愛されているのですから」
リュドは寂しさ交じりの笑顔で吐露し始めた。
「私の父は先代ドラコメサ伯の様に領地領民を省みず、跡取りの長男にしか興味が無く。母は子供に一切興味のない、自分の利益だけを追求する女性でした。名を付けるのも面倒と、姉が上げた昔の英雄の名前を付け、貴族の子ならば常識のセカンドネームすら付けませんでした。姉の名前に至っては乳母に考えさせたという話です」
姉と私の平民用の子供札はその方が、姉が母と慕っていた今は亡き乳母が用意しておいてくれたものでしたと話すリュドの顔は少しだけ柔らかさがあった。
そしてそれをもう一度引き締めて、ファルレアに真摯な表情を向けた。
「私の……血のつながりもある家族は姉だけで、私たちに両親という存在はすでにありません。ですから私が子爵家に利用されることは絶対にあり得ません。だからご安心ください」
その大きく力強い言葉に、ファルレアは心の底から安心できたのだった。
これで懸念材料が減った。ならばあとは依頼をするだけだった。
「では、お願いがあるわ。これはドラコメサ伯夫人からの命令ではなく、母親としての願いです。フィオラとフォルトを守ってください。フィオラはフィオラを守ってくれる頼りがいのある人が現れるまででいいわ。でもフォルトのことは終生守ってほしいの。お願いできるかしら?」
命が尽きるファルレアのたった一つの願いは、子供たちが平和に幸せに生き続けることだった。
そのためには聖竜の騎士であるリュドの協力がなくてはならなかった。
「命に代えても」
「それはだめよ……ちゃんと生き残って、末永く守ってくれないと」
「そうでしたね。ちゃんと生きてお守り致します」
「ボクは命は守れませんけど、食事による健康管理とお金儲けのお手伝いはずっとします」
「ええ、お願いね。それとユルにも頼みたいことがあるの」
「? なんでしょう?」
「私の寿命を可能な限り伸ばすために、食事を今まで以上に管理して欲しいの。できればもう8ヶ月……来年の6月までは生きなければならないの」
ファルレアは何故という理由を聞かれても答えるつもりはなかったが、ユルもリュドも一切聞いてくる気配はなかった。
「分かりました。精いっぱい頑張ります。だから、一緒に頑張りましょう」
「ええ、よろしくお願いね、ユル」
「はい」
「では私も、薬師として協力いたします」
「薬師? リュド、あなた、いったい幾つ資格を持っているの?」
「まあ、色々と。もともと冒険者時代に薬草学に興味をもって独学で学んではいたのですが、その話を教師にしたら2年の後期に授業に引きずりこまれまして。気が付けば資格が取れていました」
「あらあら。才能のある人は大変ね。でも私には幸運だったわ……じゃあ、私用の薬を作ってくれるかしら?」
「はい。お任せください。飲みやすい薬湯として出しますよ、このように」
そういいながらリュドは武骨な手で、けれど優雅な手つきで、紅茶のカップを持ち上げ指さした。
「ふふっ……もうすでにお世話になっていたのね。ありがとう」
「どういたしまして。それより眠くなってきたのではありませんか?」
「ええ、そうね。お茶にそういう成分が入っているのかしら?」
「さあ、どうでしょう」
リュドは「失礼します」と一言かけてベッドに近づくと、枕を整え、ゆったり寝られるようにファルレアの体勢を整えた。
「キエラさんが戻ってくるまでついておりますので、どうかゆっくりお休みください」
ありがとうと言いながらも、ファルレアはすでにうとうととし始めていた。
けれど眠りに落ちる前にファルレアは二人に、もう一度願い事を口にした。
「リュドルク、ユリウス。二人とも後8ヶ月、私の延命に努めてね」
「「はい。お任せください」」
綺麗にそろった二人の言葉にファルレアはふふっと笑いながらまどろんでいった。
お読みいただきありがとうございます。
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とても励みになりますし、頑張る気力にもなります。
この話をどこに挟もうか悩みましたが、時系列に沿う場所ということで今回上げました。
時期としてはフィオラが7歳の10月になります。
ファルレアとリュドユルがこんな約束をしていたのを念頭に置いて、8歳の最初の話を読んでいただければと思います。
これからもよろしくお願いいたします。