フィオラ6歳 ドラコメサ領へのお引っ越し9
フィオラの鼻孔を美味しそうな匂いがくすぐった。
(お腹がすいたかも……そういえばお昼は馬車の中でパンを食べただけだったっけ……ああ、よだれが出そう……って、え!?)
ガバっと起き上がるとかけられていた布団がソファーから落ち、そして日が少し傾いているのが分かった。
(ここについたのが1時くらいで日が傾いたのが分かるってどれくらい? 1時間で15度日が傾くから……って解るわけないじゃん!)
フィオラは心の中でワタワタしながらも、淑女教育を思い出して表面上は落ち着いた動きで布団を拾うと、緩くたたんでソファーの上にそっと置いた。
どこかに時計があるはずときょろきょろ見回すとソファーのある壁側、つまりフィオラの背中側の壁のへこみに置かれた時計を発見できた。
3時を少し過ぎたくらいを針が指しているということは、2時間ぐらい寝ていたことになる。体はけだるさが残っているけど、頭はすっきりさせることができた。
時計を眺めていたら、同じくフォルトが目を覚ましたようだった。もそもそと起き上がり始めたのでフィオラは近寄り布団をはぐと「おはよう」と声をかけて、自分にかけられていた布団の上にそれを置いた。
「おはようございます、ねえさま。あの、かあさまは?」
「私も今起きたところよ。だから、診察室を覗いてみようと思うの」
「よろしいのですか?」
「良いかどうかは分からないけど、ドアが少し空いてるってことは声をかけてもいいって合図だと思うの」
先ほど部屋を見回したときに気が付いていたが、フォルトが起きたら一緒に行こうと思っていたので、まだ行動に移していなかった。
フォルトと手をつないでゆっくり扉に近寄ると、小さくノックしてから「誰かいますか?」と声をかけた。
「起きたのね、お嬢さま。静かにおはいりなさい」
「こんにちは、ラフィリ先生」
「こんにちは」
二人でそっと入ると、お坊ちゃまも起きたのねと言いながら、ベッドサイドに座ったままのラフィリが二人をおいでと呼び寄せてくれた。
「そこに踏み台が置いてあるから。声をかけずに静かに顔を見るだけよ」
二人は静かにうなずくと、踏み台に上がってベッドに横たわる母を見た。倒れた時より顔色はよくなっていると思うが、生気が無いのは相変わらずだった。ただ、苦しそうではないことにほっとした。
「ありがとうございます」
踏み台を降りてそう感謝を述べると、大きくて柔らかい手でフィオラの頭が撫でられた。
「良い子ね。あなたもね。お母様には私が付いているから、あなたたちはキッチンでお母様の侍女さんと一緒に居なさい。場所はわかる?」
同じく撫でられたフォルトと共にこっくり頷くと、二人は一礼してからそっと診察室を後にした。
キッチンを覗き込むと大きな台の前にキエラとユルが立って作業をしていた。
甘いにおいと肉や野菜を煮込む臭いが漂ってきた。
夢でも思ったけどすごく美味しそうと、フィオラはよだれをたらしそうになった。
フィオラが声をかけようとしたら、キエラが先に気付いてくれた。
「フィオラ様、フォルト様」
「ラフィリ先生にキエラたちとここにいるように言われたの」
「こちらへどうぞ、お嬢様、お坊ちゃま」
話が通っていたらしく、すでに用意された子供用と思われる座面の高い椅子に二人は座らされた。
ユルは細い見た目に寄らず、案外力があるらしい。
座ったことで見えるようになった作業台の上には、プチタルトとクッキーとパウンドケーキと言ったスイーツと、バゲットを薄切りにして作ったような形の小ぶりのサンドイッチが並んでいた。
「もうすぐみんなが休憩に降りてくるからね……と、そのための軽食ですよ」
作り笑いまではいかないけど、余所行きの笑顔でにっこり笑ったユルが教えてくれた。そんな時、じーっと台の上を見つめていたフォルトがプチタルトを指さしながら質問をした。
「これはなんで……なに?」
「これ……ですか? プリンタルトですよ」
「タルト? これが? タルトってもっと大きなものしか見たことがないけど」
「ああ、大きさは特別製ですよ。今日初めて使ったし」
「え!? どういうことですか? あっ」
驚きのあまりフォルトの口調が丁寧なものに戻ってしまっていた。気づいたフォルトは口に両手を添えて、真っ赤になってうつむいてしまった。
「くくっ……姉弟そっくりだね。ボクも貴族向けの口調はまだ苦手だから、今だけはお互いが話しやすい言葉で話そうか?」
「いいんですか?」
「いいわね」
二人の言葉を聞いたフィオラも賛同の意を示したが、本来なら許されることではない為、キエラからそれを制止する言葉が掛けられた。
「なりません、フォルト様、フィオラ様」
「お願い、キエラ。私もフォルも彼と色々話したいし、色々なことをたくさん聞いてみたいの。でも言葉使いを気にしてたら、まだ上手に話せないの。だからお願い」
フィオラは必殺「うるんだ瞳の上目遣い」と共に手を組んで拝むようにキエラを見た。フォルトもその向こうで無表情のままフィオラの真似をしていた。
そんな姿にキエラは根負けしてしまった。
「今だけですよ」
「ありがとう!」
母親であるファルレアが倒れて辛そうだった二人が、これだけ楽しそうな笑顔を浮かべているのだからと、ついつい甘やかしたくなったもあった。
同じようにユルも笑顔が自然なものに変わり始めてた。
「それで、初めて使ったって何をですか?」
「実物を見せた方が早いよね。これだよ」
ユルは背後の、魔石コンロの側に置いてあった板状のものを手に取って見せてくれた。
「小さなへこみがたくさん有る板?」
「あ、この小さいタルトと同じ大きさじゃない?」
「その通り。タルトをいちいち細くたくさんの数に切ると型崩れしやすいし、何より面倒くさいんだよね。だったら一口大のタルト型を作ればいいかなーって」
必要は発明の母というか、わずらわしさは発想の友というか、やはり『楽をしたい』という心から便利なものが生まれるのねとフィオラは感心した。
「ユル、すごい! あ、でもこれ、誰かにまねされたら……」
「商業ギルドには登録しましたか?」
「……やっぱりしないとだめかなあ」
「はい。利益は考案者本人の所にも入らねば駄目です。次に何かを考えるときの資金は必要ですから」
(この世界にも特許庁みたいなものはあるのね。商業ギルドってファンタジー小説で読んだものと同じかな?)
と、フィオラは二人の会話を聞いていた。
どうやらユルも登録手続きはしたほうがいいかと思ったが、その手間が面倒くさくて作ってくれたなじみの鍛冶屋に権利ごと全部任せようとした。しかし、俺も面倒くさいと言った鍛冶屋の親父と共に、リュドにたいそう怒られたらしい。
仕方がないので手続書類はリュドが作成し、二人はそれにサインだけして提出したそうだ。
それ用のメニューもいくつか登録済だとも。分量を量るのもリュドがやってくれたからレシピを書いたと。リュドはユルを甘やかしすぎなんじゃないかとフィオラはちょっと思った。
「プリンタルトってことは、乗っているのはプリン? 別に作って乗せたの?」
「うん、プリンだよ。別に作ったことに関してはNO。試しに適当に作ったらうまくいったんだよね」
「え?」
「焼く前のタルト生地にプリン液を流し入れたりして、上手く固まるのかってジャドには言われたけど、やってみないと分からないって作ったら、きちんと作れたんだ」
「すごい! ユル、天才!」
「ありがとう、もっと褒めて♪」
適当にって分量はちゃんと計ったんだろうかという心配がフィオラの頭をよぎったが、とりあえず素直に褒めたら、ユルの機嫌はかなり良くなった。
「試してみようって、材料費はかかりますよね? その思い切りはすごいと思います」
「あー……材料費は賭けに負けたジャド持ちだったんだよねー」
それは止めるわと三人の心の言葉は一致したが、だれも口には出さなかった。
「こっちのケーキはどんな味なの?」
「人参とほうれん草」
「え? お野菜のケーキですか?」
「うん。細かく切った人参とほうれん草入りパウンドケーキだよ」
擦り下ろした人参と細かく切ったほうれん草に砂糖を振りかけて、軽くオーブンで焼いて水分を飛ばしたものを生地に練りこんであるそうだ。昔、野菜嫌いのジャドに野菜を食べさせたいとセティオが零したのを聞いたユルが、これも適当に作ったものだそうだ。
適当に作って上手くいくなんてユルは本当に天才だとフィオラは感心してしまった。
「クッキーは、丸い方は普通に甘いやつだけど、四角い方は生姜とシナモン入りの甘さ控えめクッキーで、リュドの好物なんだ」
パウンドケーキやジンジャークッキーはすでにこの世界に存在していたらしい。
あるものとないものがランダムで分かり辛いとフィオラは思いつつも、前世に会って今世でも作れそうなものをどんどんユルに言えばいいかと、すでにあるものなら簡単に作ってくれそうだろうとにんまりした。
「そんなクッキーは初めて聞きました。味見をしてもいいですか?」
「うーん、子供には少し辛いかも? フィオラ様と半分ずつにしてみる?」
「食べたい!」
「フィオラ様」
さすがに令嬢としてあり得ない言葉遣いには注意が入った。
「……私も食べたいわ」
「くすくす。お貴族様は大変だね。はい、どうぞ」
前世で食べたことがあったので大丈夫だろうと食べたクッキーは、子供の口には刺激が強すぎて、二人は目を白黒させてしまったが、「これが大人の味なのね」とつぶやいたことで、ユルを大爆笑させてしまった。
「ユルさん」
「ごめん、キエラさん。二人が面白過ぎて」
けらけらと笑うユルの笑顔は心の底からの、本当の笑顔のようで、フィオラもフォルトも嬉しかった。
「サンドイッチには何が挟まってるの?」
「レタスと鴨肉で作ったハムだよ」
「鴨って、あの鳥の鴨ですか?」
「うん、そう。スモークするんじゃなくて煮て作る簡単ハムだけどねー」
「その作り方は一般的なんですか?」
「……ジンジャークッキーも野菜のパウンドケーキも簡単鴨肉のハムも、全部登録させられたよ……きちんとしたレシピになるまで試して、リュドの監視の下で……」
「お疲れさまでした」
「ユル。あなたは本物の天才なのね」
フィオラは(リュド、グッジョブ)と心の中で親指を立てながらも、とにかくユルに感心してしまった。
色々な料理を思いつく人は案外いるだろう。でもそれを実際に作ろうとする人はどれくらいいるだろう。そしてそれを成功するまで試せる根気のある人はそれほどいないはずだ。
そういう意味でもユルは料理に関しては天才的なスキルを持っていると言えよう。
「この良いにおいのするスープもですか?」
「ううん。あれは貧乏人の知恵だからボクのレシピじゃないよ」
「貴族の料理人には作れないものなの?」
「お貴族様に『野菜くずを煮込んだスープ』なんて出せないよね?」
どういうことか聞いたら、一緒に食事の仕込みをしていたキエラが答えてくれた。
「いま煮込まれているシチューの素は、鴨や牛の骨と共に、むいた野菜の皮や捨てる端っこなどの野菜くずが一緒に煮込まれているのです」
「野菜からもいい味が出るからね。肉や骨が手に入らない時は、庶民は野菜くずを煮込んでだしを取るんだよ」
「そうなのね……味見をしてもいい?」
「本当に好奇心旺盛な姉弟だね。持ってくるよ」
くすくす笑いながらユルは味見用の小さなお皿に汁を注いでくれた。それはすでに琥珀色をしており、見た目も香りもおいしそうだった。
具材を入れる前なのでまだ薄味だと言われたスープは、確かに薄味だけど深みのある美味しいお出汁になっていた。
「美味しい……」
「これを使ってシチューを作るんですか? とても楽しみです」
「期待してて。もう少ししたら根菜類やトマトや牛肉を入れてゆっくり煮込み、その後でドラコメサの食糧箱の中にあったデミグラスソース缶の中身を入れれば、ビーフシチューが出来上がるから」
瓶詰だけじゃなくすでに缶詰もあるんだとフィオラの知識がどんどん増えていった。自力での勉強は興味のあるものを中心にしていた為、この世界の常識としてあるもの・ないものがいまだによくわかっていない。それらは生活していく中で知って行けばいいと思って後回しにしたのだが、よく考えたら領地経営で温泉街を何とかするには料理の知識は必須になるだろう。
料理の知識と腕と天才的なセンス。
それを持ち合わせるユルが、フィオラはどうしても欲しくなった。
「ねえ、ユル。ユルはスイーツとか料理とか、創作するのが得意なの?」
「うん、そうだよ」
「ユルは卒業後の就職先は決まってるの?」
「え?」
「もしもまだ決まっていないなら、うちに来ない? ドラコメサの領城に勤めて一緒に新しい料理を考えて欲しいの。ドラコメサの主な収入は農産物と観光だって聞いたわ。観光にはグルメが付きものよ。みんな『そこでしか食べられない料理』も求めると思うの。だから一緒に新しくて珍しい料理を作って、料理で避暑地を盛り上げて欲しいの」
うっかり熱弁をふるったフィオラの瞳は今までになく輝いていた。
ユルが来てくれたら今までにない料理やスイーツをたくさん作って、それを出すレストランやお店、カフェや屋台を出してもいいだろう。それまでに温泉も掘り当てておけば、夏も冬も観光客が来てくれることになる。
初期投資はかなりかかりそうだけど、宣伝を上手くやれば温泉もだけど、ユルの料理なら人は絶対に呼べると確信していた。だからどうしてもユルの腕が欲しいとフィオラは必死だった。
だがそこでハタと気が付いた。もしも決まっていたら?
「あ、もし決まってるなら諦めるわ。でも、もしもそこが肌が合わないようなら、いつでもうちに声をかけてね!」
支離滅裂気味だが、フィオラの必死さは十分ユルに伝わっていた。
「まだ決まってないよ。でも即答はできないかな」
「ええ、答えはいつでも大丈夫よ。もちろん私たちがここを離れる前に教えてもらえたら嬉しいけど……」
「リュドたちに相談してからでいい?」
「もちろんよ!」
希望の光が見えたことで、フィオラの笑顔はさらにキラキラしたものになっていた
いつもお読みいただきありがとうございます。
漸くグルメを出すことができて、ほくほくしています。
個人的に料理を作ったり食べたりするシーンは大好きなので、これからもちょこっとずつ入れていけたらなと思っています。




