フィオラ6歳 ドラコメサ領へのお引っ越し7
「では、こちらに」
ファルレアの願いに応えるために大司教は三人を部屋の左側に、大司教の間に鎮座している聖竜様の像の前に誘導した。屋敷のチャペルに在ったものと材質は同じだがより大きく、台座を含めて2mくらいありそうだった。
翼を軽く閉じた赤い竜がこちらを見下ろし右手を軽く前に差し出すこの姿は、初代国王や初代ドラコメサ伯爵が加護を頂いた時の姿が象られたと言われている。
「あなた様の望みは常に他者にあるのですな、ドラコメサ伯夫人……いえ、ファルレア嬢」
「……懐かしい呼び名ですね」
「今のフィオラ様くらいのあなた様を存じておりますゆえに、私の中ではどうしてもお嬢様であるファルレア様が抜けませんでな」
「もう立派な大人ですわ」
二人はコロコロと笑い合いながら子供たちを聖竜の像の前に跪かせるとファルレアはその後ろに控え、大司教は像の向かって左側に立って胸に下がっていたドラクスを右手のひらで挟むように持ち、牧師から受け取った錫杖を左手に持って祝詞を唱え始めた。
【我が祝福をこの愛しい子らに。子供たちが道に迷いし時も、困難に立ち向かいし時も、聖竜様の炎の灯がお二人を導かんことを我がロドリゴ・ボルジアの名においてお願い申し上げます。我と聖竜様の御心が常にお二人と共にあらんことを、二人の先行きが明るく幸せであるようにと祈りを捧げます】
フィオラは祝詞を聞きながら(意味が分かる)と驚いていた。
(私の幸せ……だったら、一日でも長くかあさまと共に過ごせますように)
きっと他の人にはただの呪文に聞こえているのだろう。フィオラの耳にも聞きなれない言葉として入ってきているのに、頭の中でどんどん翻訳されていた。これも言葉の翻訳という能力に含まれるのだなと、ならば今度古語の本を読んでみよう思いながら聞いていた。
そして【祈りを捧げます】の言葉と共に、ふわりと心と体が少し暖かくなった。
子供二人への祝福の義を終えた大司教は、二人の後ろで同じく跪いていたファルレアの側に歩み寄った。
「結婚式の直前に贈り物をと申せば“辺境伯の娘としての最後の祈りになりますのでノドフォルモント領のみんなが笑って過ごせますように祈ってください”と言われましたな」
「そんなこともありましたわね」
「だからこれは、私があなた様のために贈る最初で最後のプレゼントと思ってください」
そう言うなり、大司教はファルレアの目の前にドラクスを掲げ、祝詞を唱え始めた。
【我が祝福をこの愛し子に。他者を思いやるだけの優しき子が、自身の為の最後の望みをかなえられますようにと、我がロドリゴ・ボルジアの名においてお祈り申し上げます。我と聖竜様の御心が常にこの愛し子と共にあらんことを、最後の時が心安らかであるようにと祈りを捧げます】
「大司教様」
「一度くらいはファルレア嬢の為に祈らせていただきませんとな」
「……ありがとうございます」
大司教の思いやりに感極まったのか、ファルレアの目には涙が浮かんでいた。そして差し出された手を取って立ち上がろうとしたが、そのまま意識を失い、床に静かに崩れ落ちた。
「ファルレア嬢!」
「かあさま!」
部屋の中を悲鳴が包み込み、幼い子供たち二人はその異様な雰囲気に固まってしまった。
先ほど触れた母の手の冷たさ、横たわる顔の白さ、倒れた時の音の軽さ。
まだ大丈夫のはずという希望ともしかしてという絶望から動けなくなっていた。
目の前で起きていることなのに、まるで映画を見ているかの様に遠くで速く動いていた。
母に寄り添うキエラと司祭たち、大司教とセティオが手をかざし癒しの光魔法を使っているようだ。誰かが何か叫んでる、ユルが騎士と共に部屋を駆け出していく。子供二人は互いに助けを求めるように抱き合い、その様子を眺めるしかなかった。
「大丈夫ですよ、ファルレア様はまだ頑張っておられます」
「奥様と大司教様たちを信じましょう」
幼い二人の脇にはそれぞれの従者が、エリサといつの間にか戻っていたカルスが控えていた。
互いの体温とエリサたちの言葉にフィオラは現実に戻ってこられた感じがした。その時だ、母の側にいたセティオが机の脇で板に手をかざして何か話していたリュドに声をかけた。
「リュド」
「どうした?」
「光の癒しではこれが限界だ。あとは闇の癒しの力が必要だ」
「……ということなんだけど、どうだろう」
最後の「どうだろう」は、手に持っているものに向かって話しかけていた。
『はぁ~。ドラコメサ夫人には恩を売っておきたいし、お腹の子も闇属性があるらしくて力を使っても大丈夫そうだから、今すぐ連れていらっしゃい。ただし力仕事はしてもらうから』
「それは了承してもらった」
『じゃあ診察室の用意もしておくから。あなた達も一緒に来るのよね?』
「うん。これから移動する。【終了】」
『待ってるわ。【終了】』
話の内容からして、声だけ聞こえた女の人の所に行くらしい。移動ということは距離があるのだろう。遠くの距離にいる人と話す通信魔道具なのだろうが、前世の記憶に引きずられて「スマホみたい」とフィオラが呟いてしまったのは仕方がないだろう。
そしてバタバタと大司教とリュドの指示で皆が入ってきたのとは違う扉からファルレアを運び出し始めた。フィオラとフォルトもそれぞれ支えられながら後を追った。
位置的に来た時の廊下と平行に走っている裏の通路を通るようだった。天井が教会内より低いので、表の廊下にあったステンドグラスの部分に影が入り込まないようになっているのだろう。
そんな余計なことを考えながらフィオラは速足で歩いていた。何か考えていないと不安で叫びだしそうだったのだ。その証拠に、母が通路から外に運び出されて姿が見えなくなった途端、エリサの手を振り払って駆け出してしまった。
「かあさま!」
「フィオラ様!!」
突然のことにエリサはフィオラを止めることがかなわず、駆け出したフィオラは通路と地面に段差があることを知らなかった。
勢い余ったフィオラの体は、階段五段分下がった空間に飛び出してしまった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
暑さが戻り、熱中症に注意しながら日々生活しております。
皆様もお気を付けください。
水分と塩分の捕球を忘れずに><
これから迎える夏本番を乗り切りましょう♪