フィオラ6歳 ドラコメサ領へのお引っ越し6
三人の挨拶練習が終わったところで、ジャドは再びファルレアに声をかけた。
「ところでファルレア様、こちらには直接いらしたのですか?」
「ええ、午前の礼拝に間に合わないのは分かっておりましたけど、大司教様にお時間があるようなら祝福を賜りたくて」
「では、先触れとして大司教様に確認してまいりましょう。ジャドは大司教様の執務室までご家族を案内してください」
二人の会話を聞いていたセティオはそう言い残すと階段を上り大教会の扉の向こうに消えていった。その所作はやはり聖職者らしく、早歩きなのに急いでいるように見えない、足音も立てない歩き方だった。
あの動きはマネしたいなとフィオラが眺めていたら、ジャドに手を取られて移動するファルレアが視界に入った。隣を見ればリュドがフォルトと話しながら手を差し出していた。
じゃあ一人で母を追うかと思っていたら、
「お手をどうぞ、お嬢様」
と、ユリウスが手を差し出してきた。ならばとフィオラはその手を素直に取った。
「ありがとう。ユリウス……よね?」
「はい、ユリウス・エウスカと申します。どうぞユルとお呼びください」
その時、前を歩くファルレアが振り向きかけたのをフィオラは目の端でとらえていた。ユルの向こうに見えていたフォルトも息をのんでいた。
(ジャド先生が名前を教えてくれた時は何もなかったってことは、エウスカの名前に何かあるって事? あとで聞かないと)
そう思いながらフィオラは子供らしい笑顔でユルに答えた。
「よろしく、ユル」
「……さあ、まいりましょう」
更に答えたユルの作り笑いを見た瞬間に、フィオラの頭の中に大学時代の黒歴史彼氏の顔が浮かび、彼に関することを一気に思い出した。
唐突に、一瞬にして。
フィオラは立ち眩みを起こしてしまったが、何とか倒れずに済んだ。
「どうかしましたか?」
「……大丈夫よ。立ち止まってしまってごめんなさい」
ユルの手をしっかり握り直すと、フィオラは誘導されるがまま大教会の中に入って行った。
美しい教会内部を通りながらも、フィオラにはそれを見る余裕は一切なかった。当たり障りのない世間話とユルが料理人だという話を聞くので精いっぱいだった。
頭の中は前世の大学時代に一か月だけ付き合っていた一つ年上の同じ学部の先輩で、バイトでホストをしていた男の情報が渦巻いていた。
彼氏にカウントしていいのだろうか?
彼は『私』以外に大学内に4人、学外に6人も彼女がいた11股男だった。まあ、学外の6人はホストの客だから恋人だとは認めていなかったが。
当時は分からなかったけれど、働き始めて『自分の感情を隠す為の笑顔』を彼がしていたことに気が付いた。
ホストとしての営業スマイルだったのだろう。今のユルの笑顔はそれと同じだった。
それも気になるけれど、何より『前世の記憶のこと』の方が気になった。
前世の記憶は明確なものと、なんとなく覚えているものがあった。
この差は何だろうと思っていたが、パソコンのファイルのようだと漸く把握できた。
産まれてきた時、記憶は圧縮されたファイルをたくさん内包した『隠しファイル』として存在していた。だがあの5歳の事件の時にプロパティの属性から隠しファイルのチェックが外され、フィオラとしての人生に重要なファイルは一気に解凍されて、幼い脳内に全部展開された。
だから発熱したし5日も寝込んでしまったのだろう。
なんとなく覚えているものは圧縮ファイルのサムネイルが見えている状態なんだと思う。
『私』の名前は出てこないのに『綾瀬』の名前が出てくるのは、綾瀬がゲームに深くかかわっていた為にゲームの付属品扱いになっているのだろう。
そして今回、黒歴史彼氏のことを思い出したのは『作り笑いを見抜くこと』がこの先重要になるから、フィオラが初めて見たタイミングで展開されたのだろう。
ということは、これからも同じようなことが度々あるということだ。
対処法として、立ち眩みを我慢するのは無理だろう。思い出すデータ量が大きければ失神をする可能性だってある。
ならばそれをごまかす方法が何かないかと、そしてユルの出身地である「エウスカ」のことを母に聞かなければと、フィオラは頭の中にメモをした。
その結論が出たころに、大きな両開きの扉の前にたどり着いた。
ドラコメサのエンブレムにも描かれている聖竜のマーク――横向きの赤色の竜の頭から胸元までとたたまれた翼のイラスト――が向かい合わせに描かれた両開きの白いドアの前には、護衛騎士とセティオが佇んでいた。
「大司教様もドラコメサ伯爵夫人にぜひお会いしたいということですので、どうぞ」
招かれた部屋の奥には大きな机があり、その手前に年老いた男性が、大司教が両手を広げてドラコメサ一行を出迎えてくれていた。
大司教の祭服はおおむね赤色をしていた。赤いコウイカのような帽子に、短めのポンチョのような上着。その下は裾に緑の唐草模様の入った白くて長いワンピースのような服を着ていた。
フィオラはたまたまフォルトの授業を又聞きしたときに知ったのだが、帽子は聖竜様の鱗を表しており、同じ形のドラクスが胸に下がっている。ドラクスはキリスト教のロザリオにあたるもので、そこには扉に描かれたのと同じ右向きの聖竜のマークが浮き彫られている。
上着には刺繍が施されており、何らかの意図のあるものだろうが、フィオラはそこまでは知らなかった。
他にも赤いチュニックを着た人と、ケープのついた灰色の神父服に赤い布ベルトを装着している人が2人ほどいた。司教と牧師なのだろう。
聖ドラゴン教会の末位の教役者は牧師と訳されている。たぶん妻帯が許されているからだろう。
そんなことを考えつつ、フィオラ達は定番の挨拶を交わした。先ほど練習をしておいてよかったとフィオラがほっとすると大司教の顔が緩み、優し気な笑顔でファルレアと話し始めた。
「お久しぶりですな、ファルレア様。事情は漏れ聞こえておりますが、お体の具合はいかがですかな?」
「どうにかこうにかといったところですが、子供たちのためにももう少し頑張ろうと思っています」
「そうですか。ではファルレア様の命の灯が、可能な限り長く点りますようにとお祈り申し上げましょう」
「いえ、わたくしのことよりもこの子たちのことをお願いしたいのです」
その言葉に姉弟は二人そろって驚いた。
「この子たちはわたくしが死んだあとはとても苦労すると思います。その道行に聖竜様のご加護があるように、大司教様の祝福を頂きたいのです」
ファルレアが言い終わるとキエラが金貨が入っているだろう献納用の袋を側にいた牧師に渡していた。
祝福に対する献納の金額は相場がほぼ決まっている。母が用意していた金額は大司教にお願いするには一人分の金額だと、中身をこっそりのぞいたフォルトが教えてくれた。だから母の分だと二人は思いこんでいた。
しかし二人は知らなかったのだが、子供に対する祝福の金額は大人の半分。つまり袋の中身は子供二人分の献納金だったのだ。
「かあさまの分は?」
「私はいいの。分かっているでしょう?」
そう言いながら、母親の冷たく細い手が、温かく滑らかな娘の頬に添えられた。
分かっている。すでに母に祝福は不要だと、数年で命の灯が消えると決まっている人間に祝福は無意味だと分かっていた。母の寿命のことを考えるとフィオラは悲しみに押しつぶされそうになる。
でも、それでもフィオラは母に自身を優先してもらいたかった。
「……はい。でも」
「私の一番の心残りはあなた達のことよ」
そう言いながら母親の手は、今度は息子の頬を優しくなでた。
「あなたたちが幸せになることだけが、私の唯一の望みよ」
そしてファルレアは大司教に向き直った。母親の顔で。心からの笑顔を湛えて。
「どうかこの子たちに祝福を」
ここに来て叶えたかった、たった一つの願いを口にした
いつもお読みいただきありがとうございます。
設定を考えるのが大好きな人間が描いているので、どうもうんちく臭いかなとちょっと反省しております。
でもやめられないので、今後もうんちくが展開すると思いますが、なるべく軽く分かり易くを念頭に書きますので、よろしくお願いいたします。
聖竜のマークが右を向いていたら教会関係、左を向いていたらドラコメサ関係と分かり易くなっております。