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百合の願い(四)

「神子様、岩小国のご子息があなたを脅すためにあなたの侍女を邪にした。それは確かですか?」


 胸の内にふつふつと湧き上がる怒りを抑えて端花が言うと、神子は泣きそうな顔で頷いた。


「私が、我儘を言ったのがいけなかったのです。私は彼女以外と共にあると誓うことなどできません。

 彼女は私が誰と一緒になっても、ずっと傍にいてくれると言ったのに」


 耐えきれず、神子は涙を零した。

 止めようと上を向くも、涙は止まることなく彼女の顔を濡らした。

 ずっと後悔しながら過ごしてきたのだ。誰にも話せず、胸の内に全ての感情を仕舞って。


 作られた邪は作ったものにしか浄化できない。

 自分の愛する者を邪としておきたいものなど存在しない。

 侍女の邪を浄化することを条件に、彼女は結婚を受け入れたのだろう。


「こんなことになるなら、最初から、私が大人しく縁談に納得すればよかった。そうすれば紅石こうせきは邪になどならなかった!」


 彼女の侍女、紅石が死ぬ瞬間を神子はこの目で見ている。

 真っ黒な短剣が彼女の心臓あたりを刺したかと思うと、短剣についた赤い石が光り、見る間に紅石は力を失った。倒れた紅石に駆け寄るも、彼女の拍動は聞こえなかった。

 神代主の宮では人が死ぬことも、ましてや傷つけられることもない。特に神戴国常国であればなおさら。

 行き遅れと言われる神子に真面目に仕える者は少なく、彼女は紅石を信頼していた。だから彼女以外の胴国の者はその場を目撃していない。

 人を殺しておいて楽しそうに笑う岩小国子息とその臣下に、神子は怒りよりも恐怖を抱いた。


「神子様、人の命を奪う者が悪いのです。あなたに落ち度はありません」


 神子を慰めながら、端花は胸がずきりと痛んだ。

 源泉を涸らした時、何も思わなかった。源泉を涸らしたからと言って人が死ぬわけではない。

 けれど、端花が源泉を涸らしたことにより大勢の者が死んだ。放っておいても大丈夫な害意のない怨邪でさえ凶暴化し、人を殺し、殺された者も浄化されず新たな怨邪となる。

 結果的に端花は大勢を殺したのだ。その時にはそのことにすら気づかなかった。

 そして生死にかかわらず彼女を捕えようとした者には、持てる全ての術で抵抗し、殺意のある者は徹底的に排除した。


(これでは到底、天になど昇れまい)


「清、あなたが今彼女の意志を聞けるのであれば、私のことをどう思っているか、聞いてもらってもいいかしら」

「神子様?」

「ここを出る覚悟が欲しいの。

 清も気づいていると思うけれど、紅石が怨邪としてあり続けることで、結婚の儀は執り行われていない。当然このことは岩小国の緑礬ろうは様には想定外の事態なの。

 彼は私が婚約を受けれた時、約束通り紅石を浄化しようとした。でもできなかったの。

 緑礬様はおっしゃったわ。作られた怨邪に意志はない。普通は作った者に従うと。

 紅石が彼に従わないのは、彼女が強い怨みを持って、本来のように怨邪になってしまったからだと」


 だから岩小国子息は『発生が特殊』だと神代主に報告したらしい。

 作られた怨邪でありながら、作られた怨邪の性質ではない。普通の怨邪ならば名がわかればどうにかなったものを、作られた怨邪であるが故に作った者以外には浄化できない。しかし作った緑礬にも予想外の所で意志を持ち、恐らく彼が浄化士として強くないが故に紅石を浄化できない。

 邪気を扱う岩石国の預泉ならば端花のように浄化できるかもしれないが、神戴国が小国に頼るわけにはいかず、浄化が進まない。


「緑礬様は父がそのうち岩小国の預泉に頼るだろうと思っているみたいなの。もちろんそんなことはできないから、繫留神けいりゅうしん様に相談したのだけれど」

「そうですね。実際、神子様がこうしてお話ししてくださったおかげで浄化できそうです」

「私?」

「ええ。神子様はどうやら紅石が神子様を怨んでいると考えているようですけれど、それは違います」


 神子は何を言われているかわからない、という表情で涙を拭う。


「神子様を大事に思うが故に、こうして怨邪として神子様を守っているのです」


 端花が初めて怨邪を見た時、作られた怨邪であることがわかって動揺したが、違和感があったのだ。

 じっと動かず扉に背を向けて佇む怨邪は、まるで門番のようだった。

 いったい何を警戒しているのかわからなかった上に、誰が作ったのかということに意識が行きがちだったが、怨邪の成り立ちを知ればそれは岩小国神代主が子息、緑礬を警戒してのことだとわかる。

 彼が浄化を諦めたのは思うように作った怨邪を操れなかったのも一つだが、身動きが取れなかったのもあるだろう。怨邪に警戒されている緑礬は神子の部屋に入ることができず、彼女に父を説得するように言うこともできない。神子自身も部屋から出ないままで、それ以上何も行動できなかったのだ。

 一度部屋の前から動かそうとしたのも神子の部屋に入るためだろう。彼女は扉越しにその様子を知っていたと思われる。


「そんなはず……」

「ではご自身で確かめられますか?」

「え?」


 邪気が少なかった端花だが、それなりに浄化士として働いた結果、ある程度の邪気は得た。怨邪の名前も得た今、他人の怨邪を操れるほどではないが、怨邪を降ろすことならできる。


「この怨邪があなたの侍女であり、あなたの部屋の前にいた以上、彼女の望みはあなたに関することです」

「彼女の望み?怨邪は怨みを持っているのではなくて?」

「みな勘違いしがちなのですが、怨みはたいていの場合そうであるというだけで、怨邪に必要なのは意志なのです。心残りと言ってもいいでしょうか。死ぬ寸前の想いが強く反映され、殺された者が強い怨みを抱きやすいため誤解されやすいのです。

 意志が強い程強い怨邪となるのですが、大抵の怨みを持たない怨邪は意志が弱く、周囲の思う意志に染められ、それで怨みを抱いているように見えることが多いのです」

「そうなの?清は詳しいのね」

「そうでもないですよ」


 清が怨邪に詳しいのは、彼女の生前が大きく関係している。


(ちょっと話し過ぎたかな)


「とにかく、怨邪の意志が大事なのです。神子様は彼女の怨みを不安に思っていて、できればそうであってほしくないと考えていたので、怨みを持って襲い掛かるような怨邪にはなっていません。

 浄化のために彼女の望みを私が聞くことはできますが、神子様に聞こえなくては心に澱も残るでしょう。一度私に彼女を降ろしますので、直接お訊ねになってください」

「……わかりました。清、お願いいたします」


 僅かな期待を持って、神子は決意した。

 最初に彼女の部屋を訪ねた時からは考えられないほど活力がある。


「承知いたしました。

 紅石、今から私の中にあなたを入れます。神子様とお話してください」

『かしこまりました』


 弱い怨邪なら意志も薄く対話は難しいだろうが、自分を作った者に抗えるほどの力を持っているなら大丈夫だろう。

 端花は正道を用いることもできる。怨邪を身に降ろすのは危険ではあるが正道であり、怨邪に乗っ取られないように意識を保つのが邪道の範囲だ。

 あらかじめ用意した(誠也から拝借した)筆と札を取り出し、泉力せんりょくを使って円を描く。


「創造主が左腕、壁護神へきごしんの盾を我が身に」


 取り出した札に筆を走らせ、札を完成させる。


「創造主が胴体、繫留神のぎょくをわが手に」


 もう一枚の札も完成させると、二枚の札を円心を結んで向かい合うように円に置く。淡く円が光ったところで端花はその円に入る。すると壁護神の札が光り、端花の身体を包んだ。


「繫留神の導きを経て、我が身に御魂を降ろし給え」


 その言葉で繫留神の札が光り、端花の胸にその光と怨邪である紅石が飛び込む。

 自分の体の中を異物が這いずる気持ち悪さに耐え、端花は円内に留まった。


「ああ、神子様、孔雀くじゃく様。私です、紅石です。わかりますか?」


 端花の口から端花のものではない声が響く。

 神子は聞き覚えのある声に、がたりと立ち上がり、端花に走り寄った。


「ああ、紅石。あなたなのね!」

「はい、私です。靄のような意識で、ずっと神子様のお言葉を聞いておりました。

 こうして身体を借りることで、ようやく思考ができます。

 神子様、私は決してあなた様を怨んだりしておりません。神子様を傷つける緑礬様が許せなくて、これ以上神子様を傷つけられるのは許せなくて……。けれど、それで神子様を思い悩ませてしまったのですね」


 危うく神子に駆け寄ろうとした自分の身体を、端花は必死で抑え込んだ。


(紅石、この円から出ればあなたは抜けます)


 端花の思考が通じたようで、紅石はその場に留まった。


「紅石、私を怨んでいないの?

 私のせいであなたは殺されたのに。あなたを殺した人と婚約をしてしまったのに……」

「私が孔雀様を愛することはあっても、怨むことはありません。そんなことはあり得ないのです。

 お辛い思いをさせてしまい、申し訳ありません」

「私――私、誰かに話すこともできたはずだわ。それでもしなかった。あなたの死を病死にされても、何も訴えなかった。あなたが怨邪となってしまったのに、救うために何もできなかった。

 あなたが私を怨んでいるのなら、そのまま命を奪われたかったから。あなたは、そんなこと望んでいなかったのに」

「ご自分を責めないでください。孔雀様が事情を話そうにも目撃者はなく、下手に話せば邪道と誹られる恐れもあります。それも私の望むところではありません。

 あなた様がずっと縁談をお断りなさっていたこと、罪悪感もありましたけれど、大事にされていると感じて、とても嬉しかったのですよ」


 目の前で行われる二人の会話に、端花は泣きそうになった。

 愛し合うということはこれほど美しいのかと。紅石を身に宿しているせいで彼女の意志が流れ込んでくるのも一つ原因ではあるけれど。


(紅石、あまり長く持ちません。名残惜しいでしょうが、早めに終わらせてください)


「神子様、あまりたん――」

(清で!!)

「――清様の身体に留まるわけには参りません。

 私が望むのは神子様の幸せです。緑礬様との婚約さえ解消できれば、私は浄化されます。

 どうか、お幸せに――」


 それが限界だった。端花の身体から紅石の邪気と光が飛び出て、邪気はそのまま怨邪として人の形になり、光は繫留神の札に戻る。その後端花の身体が纏う光が消え、壁護神の札に戻る。

 全てが元の場所に戻ったところで円は消え、札も端から崩れ、消え去った。

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