百合の願い(三)
それから数日間、端花は宣言通りに胴国神代主から依頼の取り消しを打診されても断り、胴国で浄化士の役目を果たした。神戴国であっても、生前の端花の行いにより源泉が枯れた元小国の地からの依頼がある。神代主としても神子のことを気遣う端花は好ましかったのか、端花が胴国に残ることを許してくれた。
誠也は囲山家としての仕事もあり、時々右脚の任務をこなしに自国へ戻ることがあるものの、端花に付き合うように胴国に戻っていた。
半月が経とうとする頃、神子付きの侍女が端花の客室へとやって来た。
「右脚国囲山家預かり、清様。神子様がお呼びでございます」
「わかった。直ぐに参ろう」
端花は布で包んだ精霊剣を腰にさした。
端花が精霊剣を鞘から抜いて解放したことにより、元は白かったその鞘も柄も刀身も真っ黒に染まったのである。全てが黒い剣はないこともないが、邪を寄せると嫌われることが多い。珍しい黒の剣をよく見れば、妖端花の愛用する剣であることはすぐに知れてしまう。地の色が黒になったことで、白い飾り模様が浮き上がってしまったのだ。
誠也が自分の忠告を聞きいれたのだと感動していたが、別に佩剣していることを無礼に思って剣を隠すために布を巻いたわけではない。
(そういえば誠也は右脚か。都合がいいな)
誠也は生前の端花を知る人物である。一目見ればこの剣が精霊剣であることにはすぐに気づくだろう。
(都合がいい?知られても問題ないだろう)
頭ではそう考えているものの、端花の心の隅には小さな不安が生まれる。もし「清」が妖端花であると知れば、彼はどう思うのだろうか。
騙していたと怒るだろうか、罪人を前にして捕らえたいと思うだろうか、いまだ端花を愛していると言った彼は――。
(考えても詮無いことだ)
端花は思考を振り切って、侍女の後に続いた。
「神子様、清様をお連れいたしました」
「ご苦労。下がりなさい」
神子言葉に、侍女はほっとしたように部屋の外へと出て行く。
初めて部屋に来た時も思ったが、神子の部屋には生活の世話をする侍女がいない。怨邪が扉の前にいては恐怖を感じるのも確かだろうが、神子を守ろうとする気概ぐらい見せて欲しい。
「神子様、お久しぶりでございます」
「久しぶりね。今日は誠也は一緒ではないの?」
「誠也は右脚での仕事がありますので」
「そう……」
神子は机の上で組んだ手を解いたが、はっとしてまた組み直した。
「ごめんなさいね、本当ならお茶でも用意した方がいいのだけれど」
「いいえ、お構いなく。浄化士としては立っていた方が楽なこともございます」
変事が起きにくい宮では警戒して剣や弓を持つことはないが、端花は例外で佩剣していたので丁度よい言い訳となった。
「もし彼女なら、たとえ怨邪が部屋の中にいようと一緒にいてくれたのでしょう」
神子は端花を通り越して、扉の前にいるであろう元侍女を見やった。
「とてもよい侍女だったのですね」
「ええ。私は彼女以上に信頼できる人を知りません」
疲れた表情の神子の瞳に、明るい色が浮かぶ。しかしそれもすぐに消え、真面目な表情になった神子が口を開く。
「清、今日あなたを呼んだのはあなたに話しておくべきことがあるからよ」
「話しておくべきこと、ですか?」
「ええ。本当に迷ったのだけれど、あなたが私の元侍女を救おうと奮闘しているのはよく伝わってきたわ。だからあなたなら、きっと彼女を救ってくれると信じます」
はっきりと伝えられた言葉とは逆に、神子の手はきつく握られ、わずかに震えていた。
「一つ、約束してください。私がこれから言うことをどう受け止めようと、私をどうしようと構いません。けれど絶対に彼女を浄化すると」
元より端花の過失で生まれてしまったのだ。
「もちろんです」
「本当に彼女を救えるのね?方法があるのね?」
「はい」
端花の言葉に神子は握っていた手を解き、端花を手招く。
「誰も聞いてはいないと思うけれど、あまり大声で話すことではないの」
端花はそれに従い、部屋の奥へと進む。ちょうど机から一歩離れたところまで進むと、神子が机に身を乗り出すようにして顔を近づけた。端花も一歩進み、そっと耳を差し出すようにして顔を近づける。誠也がいれば目を剝いていたかもしれない。
「実はね、私――彼女と愛し合っていたの」
その言葉に端花は大きく目を見開いた。
わざわざ内緒話のように言うのは大っぴらにはできないことだからで、これは友人としての話ではないことはすぐにわかる。
固まってしまった端花をどう捉えたのか、神子は端花の肩を軽く押して姿勢を戻させると寂しげな笑みを見せた。
「ふふ、言ってしまったわ。誰にも言ったことはなかったのに」
端花はまず驚いた。
自分以外にも、女性を愛する女性がいたことに。
そして次に、目の前が暗くなった。
(愛し合っていたのであれば、侍女も邪道を進んだのか?そうであれば私のように天界に受け入れられないんじゃないだろうか)
約束した手前、この事実を知っても元侍女を浄化しないわけにはいかない。
(とりあえず邪の状態からは解放されるとは思うけど)
「清、約束は守ってくれるのでしょう?」
黙ってしまった端花に不安を感じたのか、神子は両手を握りしめる。
「ええ、もちろんです。そう心配しないでください」
端花にだって神子の気持ちはわかるつもりだ。思いを受け入れてもらえた神子を羨ましくは思うけれど、それを世間から受け入れてもらえるかはわからない。
「神子様、怨邪を中に招き入れてもいいでしょうか?」
「そんなことができるの?構わないけれど、彼女は嫌がるかも知れないわ」
「何故です?愛し合っていたのでしょう?」
さらりと言った端花に、神子は軽く目を見開いて、わずかに生気の戻った顔で微笑んだ。
「ええ、そうよ。でも、彼女は私を恨んでいるかも知れないから……」
「何かあったのは確かなのでしょうが、それは本人に訊ねてみなければわかりません」
端花は腰の帯から精霊剣を抜き、柄の部分の布を外して、刀身をわずかに引き出した。
神子は身構えたが、端花が襲い掛かって来ないのを見て力を抜いた。
「清、いきなり刀を抜くのはだめよ」
「すみません。いつもは誠也が注意してくれるので……」
誠也がいなくて好都合ではあるが、不都合なこともあったようだ。
双結を顕現させるわけにはいかず、わずかに邪気を抜くだけにして、端花は立ち上がる。
扉の前まで歩き、その扉を開くと、じっと立ったままだった怨邪がこちらを振り返った。
双結が操っているので、怨邪は大人しく部屋の中へと足を踏み入れた。再び扉を閉める。
「清?何をしたの?」
「彼女を部屋に招き入れました」
「まさか本当にできるだなんて!」
がたり、と立ち上がった神子ははっとして口を押さえた。
胴国の浄化士は彼女が作られた怨邪であるとわかった時点で、彼女を動かそうなどという試みはしなかったはずだ。神子に心当たりがないか訊くぐらいだ、先につくった人物を探し出そうとしていた。では一体誰が彼女を動かそうとしたのか。諦めていた彼女自身ではあるまい。
「神子様、まだ隠していることがおありのようですね」
「ごめんなさい。けれど、私の口からは決して言えるようなものではないのです」
端花は彼女から聞き出すことを諦めた。せっかく怨邪を操れるようになったのだ。こちらに聞いた方がはやい。
「では神子様、私が怨邪に話を聞きますから、もし意見の相違があればお知らせください」
神子が頷いたのを確認してから、端花は精霊剣の邪気をふっと飛ばす。
黒い邪気は侍女の怨邪の口の中に吸い込まれた。
その途端、人の形を取っていただけの怨邪は霧が晴れたかのようにくっきりと生前の姿を映し出した。
神代主と同じ年頃の女性で、侍女の服を身につけている。端花がこの怨邪を神子の元侍女だとわかったのは、ぼんやりとした姿の時に、侍女の服を着ていることがわかったからであり、神子や神代主の様子から適当にあたりをつけただけであった。しかしこうして実際の姿を見てみると、美しさと意志の強さを兼ね備えた美人で、神子の侍女として近くに立つに十分な人材であった。
「双結、頼む」
『承知した』
端花がぼそりと言うと、双結の答える声が聞こえた。
彼の声も、今から怨邪が語る声も神子には聞こえないし姿も見えない。
『端花に従え』
「ではまず、どうしてあなたが邪になったのか、お聞かせ願いたい」
『はい、かしこまりました』
神子が見えない自身の侍女を見るように、じっと目を凝らした。
『私は神子様と幼少より共に過ごし、主従を越えた関係になりました。神子様は私を大事に思ってくださり、見合いの話が出てもお断りされました。神代主様は困っておりましたが、神子様に無理を言うことなく、私は罪悪感を感じながらも穏やかに神子様と過ごしておりました。
しかしある日、岩小国の神代主ご子息との縁談が持ち上がりました。岩小国は独自に邪を使った浄化を開発し、荒れた元小国を次々に浄化し、周囲からの評価が非常に高い小国です。今胴国がお預かりしている旧心国を任せる話も出るくらいです』
かたり、と刀身がわずかに出ている精霊剣が揺れた。
『その岩小国の神代主ご子息は、我が姫君が断っているにも関わらず、しつこく胴国に訪問し、何の約束もなく部屋まで押しかけてくることもありました。神代主様も神子様を託す先が欲しく、あまり厳しく言うこともなかったのです』
そこまで聞いて、誠也に対する無礼にも納得がいった。
好き勝手してもあまり咎められなかったのだ。
(咎められても気づかなさそうだけど)
『それでも神子様がお断りし続けると、痺れを切らしたのか、元よりそのつもりだったのか、彼は私を使って神子様に結婚に同意するように仕向けました。私を邪にしたのです』
なんと、神子の侍女を邪にしたのは神子の婚約者である岩小国神代主子息だった。
(ふざけるな。自分の意見を通すための手段として邪気分離を行うなんて!)
人の魂から邪気が離れるのは、その人が死ぬときだけだ。つまり、岩小国神代主子息は意図的に同国の姫君の侍女を殺したのだ。