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百合の願い(二)

 怨邪の気配を辿って姫君の部屋にたどり着くと、話に聞いていた通り怨邪がいた。人の形を取った邪はただ静かに扉に背を向けて立っていた。


(これは……!!)


 中にいる姫君に声をかけるのも忘れて、端花たんかは怨邪の顔に手を当てる。


「おい、清!」


(こんなおぞましいことをするやつがいたなんて!)


「清、いいから一度離れろ」

「けど!」

「その怨邪が妙なことには俺も気づいた。あまり心を乱すな。今騒いで何になる。早く解放してやるために、まずは話を聞かないとだろう」


 珍しく落ち着いている誠也せいやによって、端花は胸の中で暴れていた黒い靄を抑え込んだ。


「ごめん」

「お前が素直とはな。まあいいさ、誰だってこんなの見りゃ気分悪いぜ」


 誠也は端花の肩に手を置いて慰め、改めて扉に向き直った。


胴国どうこく神子みこ様、右脚国うきゃくこく囲山家いさんけれい誠也が参りました」


 張り上げられた声は、色鮮やかな玉の壁に澄み渡って響き、その波が落ち着いたところで扉の向こうから、


「入りなさい」


 弱々しい婦人の声が返ってきた。


「失礼いたします」


 誠也が扉を開けると、陰鬱とした空気がその間から垂れ込んできた。一度動きを止めた誠也だがそれも短い時間のことで、直ぐに入室し端花に扉を閉めさせた。

 姫君の部屋も光をよく通す玉でできており、柔らかな日が窓から差し込んで部屋の中を飛び交てっていたが、明るいのはその光のみで部屋の中の空気は重く沈んでいた。

 入ってすぐの部屋は姫専用の応接間であり、同じく玉で作られた重厚な造りの机を挟んで向こう側の椅子に姫君は座していた。


「右脚からわざわざありがとう」


 姫君は歳の割には若く、神代主しんたいしゅに似て穏やかな顔つきをしていたが、微笑んで細くなった目の下には濃い隈があり、手入れされて艶やかな髪もどこかほつれていた。


「誠也と、そちらの子は清といったかしら。父上は特殊な事例だと仰るけれど、これはただの私事です。もし浄化に成功せずともあまり気にしないで」


 その言葉にはどこか諦めが見えていた。正式に国を通して依頼された以上、私事ではないはずで、明らかに特殊な事例なのだ。


「神子様、私が清でございます。早速お話を伺いたいのですが」


 二人での任務の際、端花が話を進めるのがいつのまにか決まりとなっていた。


「今までの浄化士はどのように申しておりましたか?」

「そうね。この怨邪は私共では決して浄化できません。何かお心当たりはございませんか、と」

「その理由は」

「みな言わなかったわ。神子様のせいではないのです、とだけ念押しされたけれど」

「それでは岩小国の浄化士、神子様の夫となられる方は何と?」


 そこまで諦念の色しか宿していなかった神子の瞳がぐらりと揺らいだのを端花は見逃さなかった。


「そう、ね。父上に発生が特殊だと報告なさったみたいだけれど」


 今度は深い悲しみに塗れた表情となった神子。机の上に置かれた両手は僅かに震えていた。


「では神子様、私は胴国の者ではありませんし、このままでは事態が進みませんのではっきり申し上げますけれど」

「清、礼儀は重んじろ」


 ようやく誠也が止めに入るも、端花は真面目な顔をして首を横に振るだけだった。普段なら不思議そうな顔で誠也を見るか、適当に意地の悪い返事をするというのに。


「神子様、この怨邪は誰かによってつくられた(・・・・・)ものです」


 端花は神子から目を逸らさなかった。神子はぴくりと大きく人差し指を動かし、ゆっくりと目を見開いた。それは驚愕というより疑念の色が強かった。なぜ知っているのか、と。


「神子様、あなたはご存じでしたね?」

「清!」

「浄化士が何度も同じことを言うから何となく察した、というわけではないでしょう。そもそも、浄化できぬ怨邪がいれば何故なのかと気になるはずです。どうにか浄化したいと願うはずです。それもご自身の侍女(・・・・・・)であるならば」

「清、やめろ!」

「どうして諦めていらっしゃるのですか?あなたはこの怨邪の発生を自分のせいだと考えているのですか?あなたがつくれるはずもないのに?」

「清!!」

「んぐ!」


 言葉を続ける端花の口を誠也は物理的に封じた。

 見る間に傷ついた表情に変わっていく神子を見ていられなかった上に、端花の様子もおかしい。


「申し訳ありません!まだ未熟者ゆえ!」


 誠也が端花の頭を押して自分も一緒に礼をすると、神子ははっとして表情を取り繕った。


「いえ、いいのです。そうね、諦めていると言われればそうだもの。けれど、私から言えることは何もないわ。もしこの件について嫌に思ったのなら、本当に気はつかわずに断ってくれていいのよ」


 何も言えることはない、というのには誠也でさえ驚いた。何かを知っているとは思わないが、少しでも情報は持っているはずである。自分の侍女、それも神代主によれば随分と信頼していたらしいのだから。

 しかしながら神子の優しい笑みは偽物ではなく、気分を害した腹いせでも、何か含みを込めるでもなく、この任を降りてもいいと本心で言っている。つまりは二人に何の期待もしていない、そもそもこの件が解決するはずがないと諦めているようだ。


「神子様!」


 呆気に取られていた誠也の手を払って、端花が叫んだ。


「私は、あなたからの依頼だからではなく、私自身が、あの怨邪を解放したいと思っています。だから、例え誠也がこの任を降りると言っても私だけは残ります。例え胴国神代主がこの件を取り下げても私は残ります」


 人為的に発生した怨邪は、つくった本人にしか浄化できない。だから神戴国である胴国の預泉よせんであっても、浄化ができない。誰がつくったのかを明らかにする術は少なく、正道には存在しない。人工的なものであるとわかっても解決の目処も立たないのに、神代主の娘にそのことを報告して傷つけてまで調査に当たれない。


「神子様!どうか私に知っていることをお話ください。私なら、必ず怨邪を、彼女を救えますから!」


 その時初めて神子の顔に希望が兆した。胸を奮い立たせて、端花に縋るような目を一度、確かに向けた。


「清……、ありがとう。気持ちは嬉しいわ。けれど今日は帰ってちょうだい」


 姫君の心は揺れていた。それでも、諦めの色が完全に消え去ることはなかった。



 *



「お前いったいどういうつもりだ!」


 誠也は姫君に食い下がろうとした端花を無理やり引きずって、取り合えず自分に用意された部屋まで連れ帰った。あのまま放っておいたら、一人で姫君に直談判でもしに行きそうである。


「どうもこうもない。言ったことが全てだ」


 誠也に乱暴に部屋に押し込まれた端花は悪びれた様子もなく、真っすぐ誠也を見上げた。


「たしかにあの怨邪は自然に発生したものではない。誰かに無理やり怨邪にされた。自分の意志のないまま邪として存在するのは苦しいだろうな。浄化されなければ昇天はできても天界に受け入れられない」

「そう、そうだよ。でも、そうじゃない。私は、絶対に彼女を解放しなければならない」


 やはり端花の様子がおかしい。いつもなら事実を並べ立てて誠也を論破するというのに、発言が全く論理的でない。

 それもそのはずである。


(あの術は、私が作り出してしまったのだから)


 意図してではない。単に、死後魂が邪気を残して清らかな気となる際、どうやって魂と邪気が分離されるのか気になった。その研究の過程でできた副産物なのだ。方法論のみで実践はしなかったし、できるとも思っていなかったが現在の状況を見るに、端花の編み出した術は正しかったらしい。そもそもその術を使うためには邪気を扱う必要があり、生前は端花以外にそれができる人物がいなかった。まさか誰かが使うなど思いもしていなかったのである。


(私がいなければ彼女は怨邪にならなかった。私がもし、もっと考えられていたら!)


 死ぬ前のことを嘆いてももう遅い。

 地上に戻されてから、端花は自分の生前の行いを悔やむことが増えた。浄化の力が弱まった土地で苦しむ人々、未だ妖端花ようたんかの存在に怯える人々がいる。それに加えて今回の事件。


「清、落ち着け。気持ちはわかるが、神戴国しんたいこくの神子様にあの言い方はないだろ」

「誠也には絶対わからない」

「はぁ、わかったよ。でもな、あのお方は優しい人だから良かったが、国によっちゃ殺されてもおかしくないんだぞ」


 誠也はこれまで以上に頑なな清に対して不思議と怒りはわかなかった。それでもこれまでずっと一緒にやってきた仲間である。心配くらいして当然だろうと思っていた。


「別に、構わない」

「はぁ?!」


 端花が自分の命がどうなっても構わないと言ったことにカッとなった瞬間、端花が隙のできた誠也を押して部屋を出て行った。


「私は、死ぬことはできないんだから」


 その一言を残して。


「死ぬことが、できない?」


(そういや、何であいつは今ここにいるんだ?生前に邪道の罪を犯した者の魂の浄化を手伝うようにと清麗神せいれいしんはおっしゃられたというが、浄化自体はもうかなり行ってきたはずだ。それほどまでに邪気が強かったのか?それともあいつが地上に戻されたのにはもっと別の理由があるのか?

 死ぬことができないって、何だよ)


 そこそこ長く共に過ごしてきたというのに、誠也は端花のことを全く知らないことに気づいた。

 何故か無意識のうちに深く探るのを避けている自覚はあったが、これには向き合っていく必要がありそうだ。


(あいつはいったい何の罪を犯して、何のために現世にいるかを明らかにしないと)



 *



 誠也の客室を出た端花は、姫君の部屋に押しかけることはなく自身に与えられた部屋に戻った。


双結そうけつ……」


 腰に差していた剣を抜き、鞘ごと胸に抱えてつるりとした玉の床に座り込む。剣は独りでに小さく揺れ、端花は諦めたようにその柄に手をかけ、地上に落とされて初めてその刀身を鞘から抜き出した。


「端花、久しいな」


 剣は光輝き、その光から一人の人間が生まれた。真っ黒な衣に包まれた二十歳ほどの見た目をしている男性である。

 生前から端花が愛用していた精霊剣に宿っていた双結である。


「双結、ごめん。私が死ねば解放されるのだと思ってたのに」

「端花が謝ることではない。俺は俺の意志でこの剣に宿っている。お前が死んだところで俺は何も変わらないよ」


 端花が師匠である妖優妃ようゆうひに出会うまで、この双結が端花を支えてくれた。優妃に拾われてからも剣として、よき友として片時も離れることなく過ごした。

 端花が小国の源泉を涸らして回るようになった時、源泉の核を破壊したのが精霊剣であり、その存在は端花の悪評と共に広まっていった。


「そうか、それで俺を呼ばなかったんだな。俺は端花が刀身を引き出してくれないと顕現できないというのに」

「ごめん。双結は私の事情を知ってるの?」

「ああ、それはまあ、一応な」


 双結は苦笑した。


「けれど俺はお前の友人として、そして剣としての役目しか果たせない」

「いいよ。双結は私の友で、剣なのだから。それ以外のことは求めてない」


 精霊剣に宿る以前の双結の話をしているのだろうが、端花にとって双結はそれ以上でもそれ以下でもなかったのだ。


「そうだったな。それで、どうして俺を呼んだんだ?」

「私が邪気分離の方法を見つけたの、覚えてる?」

「ああ。公表当時は優妃以外誰も取り合わなかった」

「それが今、かなり広がっている。今回胴国の神子の侍女を怨邪にするために使用した者もいるし、それを見た浄化士もみなその怨邪が作られたものであると認識し、誰も特別騒ぎ立ててはいない」

「お前の遺した研究資料は、優妃のものと共に二人の処刑後すべて回収された。危険物として燃やされた物も多いが、各国の宮付きの研究者達が善悪関係なく価値あるものだと反対して広く共有されたものもある。邪気分離のものもそうだったんだろう」

「そうか……」


 どうして危険なものとして燃やしてくれなかったのかと思うが、各国の研究者達だって、まさかそれを実際に行える者がいるとは思わなかったのだろう。邪道を進むものは当時、端花以外いなかったのだから。


「双結、作られた怨邪を操作するには、私の邪気が足りない。浄化先で集めた邪気も少なくはないが、生前ほどの量じゃない。私の代わりに怨邪に働きかけてくれる?」


 人為的な怨邪は、つくった本人にしか浄化できない。誰がつくったのかを明らかにする術は少なく、正道には存在しない。しかし邪道においては存在する。


「端花が望むのであれば。だがいいのか?お前があの妖端花であると露見する可能性もあるぞ?」

「いい。別に無理に隠す必要はないでしょ。そんなことより、私は自分がしたことの責任を取らないといけない。あの怨邪は、必ず浄化する」

「あいわかった。直ぐ行くか?」

「いや、今日はきっと取り合ってくれない。けど、神子様の心は揺らいでいたはずだ。帰らずに留まっていれば向こうから連絡が来る。その時動く」

「そうだな。では一先ず休もう。お前も疲労しているはずだ」


 双結は自分で剣を鞘に戻してから端花を引き起こす。そして端花を玉で作られた寝台まで歩かせた。


「こちらに来てから横になって寝ていないだろう。今は俺がいるのだから、安心して眠れ」


 端花は誠也の屋敷にある私室では常に壁に凭れ掛かって眠っていた。

 端花は士服、上衣、下衣を脱いで畳んで近くの椅子に置いた。

 神代主の宮ともなれば用意されている寝具も高価で、綿の詰められた分厚い敷布団に絹の敷布が重ねられていた。袖なしの下着一枚で寝台に乗り上げると肌触りのいい敷布に柔らかい敷布団が体を受け止めてくれる。その上から双結が掛け布団を掛けた。

 久し振りに横になったことで直ぐに眠気が襲ってきた。


「おやすみ、端花。いい夢を」


 双結の声を最後に、端花の意識は途切れた。

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