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桔梗の瞑目

次で終わります。

 洞窟には端花たんか誠也せいや双結そうけつの三人になった。


「端花」


 声をかけようか迷っている端花を、双結が呼んだ。端花が反応すると、双結はそっとその身体を包み込む。


「すまなかった」

「双結?」

「お前の人生は俺が最初に霊剣れいけんに宿ってしまったことで大きく傾いた」

「双結、そのことは――」


 双結は反論しようとする端花の後頭部に手を当て、自分の胸に強く抱き留めた。


「ああ。お前は俺を受け入れてくれてた。だが、その後については今でも考える時がある。

 俺は優妃にお前を頼んだが、優妃のことを気遣ってやれなかった。優妃がなぜ地上に降りて来たのかを深く考えることはなかった。俺は神の役目を捨て、お前と共にいられればそれでよかったから」


 双結は端花の剣となり、共にあり続けた。


「優妃が小国の源泉を涸らすと言った時には流石に止めねばと思ったが、幼いお前に選択を委ねた。人道に悖るとわかっていながら、何も言わなかった。お前に罪を重ねさせてしまった」


 結果は変わらない。今更何を悔いたところで過去には戻れないし、双結はまた同じ選択をするかもしれない。それでも、このことに関しては端花に謝っておきたかったのだ。


「そして覚えておいてくれ。俺は、いつまででもお前の剣であり友だ。

 愛しているよ、端花」

「私も、愛してる」


 端花は双結の背中に手を回して、力強く抱きしめた。

 端花には見えない双結の表情はどこか暗かった。端花を引き留めることができないからではない。彼は自分自身の感情を隠していたのだ。


(端花はきっと、優妃に向けるような愛に近い好意を抱いているのだろうな)


 彼自身は端花を深く愛していた。だが誠也と同じかと言われれば違う。幼い頃から端花を見てきた双結には親愛も大きい。執着に近いものもあるが、人間ではないせいか、誠也ほどの烈しさはない。

 左脚さきゃく虎耳こじのように、自分に目が向けられなくても真っ直ぐに愛することはできないし、端花が優妃への感情に気づいた時も憐れみと歓喜がない交ぜになっていた。


(端花は、知らなくてもいいことだ)


 ようやく愛を学んだばかりの端花に、自分の想いは負担が強すぎるだろうと考えていた。悪い方向へ進みそうな時に諫めることもしなかった自分にその資格があるとは思えなかったし、双結は一生端花の友であり続けることも喜ばしかった。


「端花、お前が嫌でなければ、俺にお前の人生の幕引きをさせてくれないか?俺では直接お前を死に導くことはできないが、その一端は担えるだろう」


 双結は誠也のような烈しい執着心はないが、元神であるが故か、全てに寄り添いたい気持ちは強い。どの国の神も、自国の民の一生を見届けるものだ。誕生も生活も死も、等しく人間の活動だ。

 端花を死なせてやることができるのはもちろん、憎き人間の小僧ただ一人なのだろう。それでも、剣として在ることができるのに、ただのなまくらに端花の心の臓を侵されるのは許せなかった。


「ぜひ、頼みたい。創造主が御心、双結神の導きならば、きっと来世は素晴らしい生を送れるだろう」


 端花は驚くことなく、双結の申し出を受け入れた。

 双結はもう一度力を込めてから端花を解放し、その腰から精霊剣を抜き取ると、刀身を引き出した。その柄を端花に握らせる。


「端花、俺はお前に出会えてよかった。さようなら、また、来世で会おう」


 端花は剣を受け取り、柄の双結の手のすぐ近くを掴んだ。


「今までありがとう、双結。また、会う日まで」


 ゆっくりと剣を仕舞うと、全てを納めたところで双結の姿が消えた。

 これで人の形で存在するものは二人となった。


「誠也」


 黙って成り行きを見ていた誠也が、ようやく端花の目を見る。


「そんな顔をしないで」

「そんな顔って……どんなだよ」


 もっと言うべきことは他にあるのに、誠也は上手く言葉を紡げなかった。

 頭では理解している。端花が邪神の邪気を取り来んで死ねば、特異的な邪ではなくなり、ただの人の邪気となる。人の力では一生解決しないような問題が一瞬で片付き、創造主の力も取り戻されるだろう。

 それでも、なぜ端花なのかと、そう思わずにはいられなかった。

 本人も含めて、みな、以前の端花は罪を犯した、それが覆ることはないと言う。それはその通りだと思う。誠也もそのことを正当化することはできない。それでも、岩小国の企みさえなければ、ただの普通の人として暮らせていたであろう端花に後始末をさせてしまうことを受け入れるのは難しかった。岩小国が始めたことなら、そいつらに責任を取らせればいい。それが無理だとわかっても、そう思わずにはいられない。


「誠也、私を殺してくれないか?」


 物騒なことを言う割に、随分と成長してしまった端正な顔は穏やかな表情だった。

 誰も彼もわかっている。誠也が断らないことなど。

 先に洞窟を出てしまった銀杏ぎんきょうも、誠也と話をしろとは言ったが、誠也が受け入れる前提でこの場を去ったのだ。もう剣となってしまった双結も、誠也がそうするだろうと見越して剣として使って欲しいと言ったのである。


「もし私が死ぬことができたなら、いつかの証明ができるだろう」


 いつかの証明。


『お前は俺を好いてくれているよ。それでも、俺の気持ちと同じだとは限らない』

『お前自身のためにも、見極めてほしい』


『いつか、誠也に証明してやろう』


 自宅でのやり取りを思い出して、誠也の内に怒りのような悲しみのような熱が込み上げる。


「俺はそんなつもりで言った訳じゃない!!」

「うん、わかってる」


 やっと端花はゆっくりと誠也に近づき、以前より近い位置にある誠也の両頬に手を添えた。長い睫毛が下に降りると、あの真っ直ぐな瞳は隠されてしまう。その様子に釘付けになっていた誠也は、端花の瞳が全て隠れてしまったところで、自身の唇に触れる柔らかい感触に気がついた。

 拙い口づけは数秒ほどで、端花は穏やかな表情の中に少し朱を交えて、その感情を隠すように誠也の胸に顔を埋めた。


「誠也、好きだ、愛してる。

 お前と一緒になることはできないけど、この半年ほどお前と一緒にいられてよかった」


 ぐっと込み上げた熱が目元に集中する。それを雫として零してしまわぬように、誠也は唇を噛んで耐え忍んだ。


「あんまりだ、こんなの。

 俺はお前を殺しに来たわけじゃない、探しに来たんだ。一緒になることはできなくても、同じ時を過ごせるだろうと思っていたのに。いつかの別れがこんなに急だとは思わなかった」

「うん」

「けど、お前はそういうやつだから。俺の愛する妖端花は、常に真っすぐ前を向いて、目的のためには全力を尽くすから。俺はお前のそういうところに惹かれたから――」


 荒んでいた誠也の心を晴らしてくれたあの美しい瞳を、一生忘れることはないだろう。


「俺は、お前の瞳を曇らせたくはない。お前を縛りつけたいけれど、そうしたくはない。お前を止めることはできない」


 離したくない。ずっとこのまま腕の中に彼女を収めていたい。元の身に戻った、ただの人間の妖端花なら、表舞台にさえ出なければ一緒になることもできただろう。そんな細い希望の糸を自ら切りたくはなかった。

 それでもそうしなければならない。端花が端花であるように、誠也もまた、自身がそういった人間であると理解していた。ここで己の欲にだけ任せて、事態の解決をしない選択ができない。

 なにより、そうしたいと願う端花を止めることなどできないのだ。


「誠也、愛しているよ」


 端花の心地よい声が、誠也の我慢を解いていった。目から熱い塊が液体となって流れ出るのを感じながら、それを拭うこともできない。

 端花はそっと誠也から身体をはなし、代わりに優しく涙を拭ってやった。


「誠也、頼むよ」


 精霊剣を誠也に握らせた端花は力なく笑った。本当はこんな頼みをしてはいけないのだろう。誠也だってできれば端花を殺したくはないはずだ。それでも任せられるのは、端花が愛しているのは誠也しかいないのだ。


「誠也」


 端花が呼ぶ自分の名前を、あと何度聞けるのだろうか。ぼんやりと考えながら、誠也は精霊剣を引き抜いた。真っ黒な刀身は露をまとっているかのように艶やかだった。


「ありがとう」


 端花はそう言うと、洞窟の奥に向かい、真っ黒な闇の穴に手を伸ばした。


「来い」


 洞窟が一掃されて、繋がっていた邪界も浄化の水が及んでいたのだろう。邪神と思われる邪気の塊は、抗いもせずに端花の邪気に絡めとられた。

 するりするりと膨大な邪気が端花の内に入っていく。端花は入り混じった邪気に苦しみながらも、それらを受け入れていった。

 どれくらい経ったのだろうか。感覚としてはわからないほど時間が経過した後、出てくる邪気はなくなり、端花が地面に倒れ込んだ。


「端花!」


 はっとした誠也が駆け寄ると、


「大丈夫だ」


 端花はゆっくりと身を起こし、立ち上がった。真っすぐな瞳は変わらず力強い。


「誠也、頼む」


 端花は受け入れるように両手を広げた。


「端花……愛している」


 誠也は手に力を入れて柄を握り締め、無防備にさらされたその中心部へと精霊剣を突き立てた。双結の宿る精霊剣は骨も他の臓器もすり抜けて、端花の心臓だけを貫いた。

 精霊剣を抜け取ると、端花はまた地面に倒れ込んでしまった。


「端花!」


 誠也は精霊剣を握ったまま、端花に駆け寄り、その身を抱き寄せた。端花は誠也の胸に頭を預けて、その手に握られた精霊剣を一撫でし、誠也を見上げた。


「誠也、ありがとう」


 双結に伸ばしたのとは違う手で誠也の頬に手を当てると、端花は微笑んだ。


「端花、俺を見て、もっと名前を呼んでくれ」


 無茶な願いにも端花は頷いて、何度も誠也を呼んでくれた。


「誠也、好きだよ、大好き。愛している、誠也」

「俺も、お前が好きだよ。ずっと、愛してた。きっと、これからも……」

「ふふ、私もずっと愛している。誠也――」


 端花の手が頬から滑り落ち、一気に彼女の身体が重くなる。


「端花?」


 黒かった精霊剣が色を失い、真っ白になって誠也の手から滑り落ちた。

 誠也を映した目は未だ開いたままだったが、そこにはもう輝きは残っていなかった。あれほど端花の瞳に映りたいと思っていたのに、濁った瞳に映る自身に虚しさしか感じない。


「端花……」


 誠也はその瞼を閉じてやり、彼女の亡骸を抱きしめた。

 本当は離してやらねばならない。邪気というものは本当に曖昧な存在で、せっかく端花が何の意志も残さずに逝ったのに、誠也が未練を抱えていてはそちらに引きずられて怨邪になってしまう可能性もある。

 わかっていても、しばらくは無理だった。姿を追い続けて六年、死んでも忘れられずに十五年。姿を変えて現れた彼女と過ごして半年。長く愛した人をこの手で殺して、すぐに手放すことなどできなかった。


れい誠也、時間だ」


 真っ黒な装束の青年が現れ、そう言った。主を失い、自由に顕現できるようになった双結だ。

 彼の性格を考えれば、だいぶ時間をくれた方なのだろう。誠也はもう一度端花の身体を抱きしめ、自分の士服を脱いで地面に敷いてから、そこに端花を寝かせてやった。


「誠也、よく頑張ったね」


 双結が呼びに行ったのか、銀杏がまた洞窟に入って来た。項垂れた誠也の頭に手を乗せ、ゆっくりと撫でる。それは他の浄化士が入ってくるまでの短い間だったが、誠也は父親の愛に少しばかり救われた。


「あと少し、頑張れるかい?」

「もちろんです」


 誠也は涙を拭って、札を取り出し、呪文を唱える。愛する人の、最後の見送りだ。


「創造主が右脚、清麗神の水をわが手に」


 札が光り、誠也の手の上で形を崩す。


「愛する同胞を悼んで――この地を清め給え」


 優しく溢れた水は、端花を労わるように包んでから、その土地を浄化した。


「端花、また会える日まで――」

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