妖優妃(二)
優妃は自分が知っていることについて話せない体になってしまった。実際に邪神の単語を口に出そうとしただけで、心臓が引き絞られるような激痛が襲った。実際に話せば本当に死んでしまうのだろう。だが、それでもあきらめることはしなかった。
(私を落としたのは小国の連神だった。小国から神戴国になると言っていたのだから。
邪界とやらにつながっているのは、その源泉のみ。もしその小国を見つけて源泉を封じれば、邪界とのつながりも切れるのではないかしら?そうすれば地上への干渉はできなくなるはず。もしかすると地上にある私の身体からも、この黒い靄が消えるかも)
そうと決まれば話は早かった。優妃は生まれ故郷の左脚国に近い無名の集をまとめ、妖集とした。彼女の存在を知る者も多く、みな怪しむことなく受け入れてくれ、薬の商売で繁栄させることができた。
もちろん噂は広まり、どうして連神をやめたのかと聞かれることもあったが、答えることはできなかった。幸いにも元の源泉はその連出身の天人が後釜になってくれ、土地の者も優妃をよく知るので何か事情があるのだろうと考えてくれているようだった。
優妃が返答に困れば、誰も深く訊くことはしなかった。だが一度、蛍草には口を滑らせてしまった。
『ある国を探さなければならない。そして、阻止しなければならない』
優妃は一瞬死んでしまうのではないか、と思ったが、これは条件には当たらないらしかった。もしかしたら何か気づいてくれるかも知れないが、これ以上詳しく言えない。邪神、邪界について話そうとする、というのがどこまで適応されるかわからない。
優妃を地上に落とした者は、きっと、この条件を優妃が破って死ぬのを待っているのだ。天界にいれば手出しできずに七神に報告されてしまうかも知れない。その前に地上に落として、優妃を始末しようとしたのだろう。
いっそ死んでしまうのも手だと思ったが、自分の中に入って来たあの黒い者がどう作用するかわからない。邪ではあるだろうが、特性があると言っていた。普通の邪と違えば死んでから魂と分離されるのかわからない。ひとまずはどこかの源泉と邪界とを切り離さなければ、何も動けない。
天界で得た薬草の成長度合いについての異変をもとに、邪界につながりそうな国を探している途中、心国が滅んだ。
新しく神代主となった者が子を成さずに亡くなり、源泉が安定していないのは噂で知っていたが、神代主の兄弟がまだ存命で、その者が代わりとなるはずだった。だがその者も病で亡くなり、その病は一族に広がっていったのだという。預泉まで病に侵され、心国の浄化の力は著しく低下していた。
その状況で、邪気を生まれ持った子どもが源泉を涸らしたのだという。
優妃は混乱した。邪界とつながる小国が不安定な心国を襲ったのなら話はわかる。だが、子どもによって源泉が涸れてしまったのなら、そこに邪界は関係ないのではないか。
だが、優妃は思い出した。今回源泉が涸れてしまった以外の事態を、どこかで聞いたことがあった。右脚の囲山家麗家の娘が、優妃を頼って優妃の源泉を訪ねたことがあった。要件は友人に渡す薬が欲しいとのことだったが、そこで身の上を話してくれたことがあった。
(源泉が涸れたのが大きな問題なのは確かだ。けれど、土地の浄化作用が落ちたからとはいえ、あまりにも多くの浄化士が犠牲になっている。預泉は病として、他の囲山家の者でも太刀打ちできないほどの強い邪が発生したのはなぜ?
強力な邪と、病で一族が滅びたこと。どちらも右脚の麗家に起きたことに酷似している)
邪界とつながる小国がいつから行動を起こしていたのかわからない。けれど異様に強い邪が発生し、病が流行るということに関連性がないとは思えなかった。特に、邪界などというものが存在すると知ってしまっているのだ。
優妃は事実を確かめようと心国の源泉を訪れた。
(酷い有様ね)
涸れ果てた源泉は大きな窪みを残すのみで、とても以前は澄んだ水で満たされていたのだとは思えない。
その中にはまだ幼い子どもがいた。
(子ども?!源泉が涸れて一月は経っているはずよ。それとも単に今日ここに来た子どもが跡に落ちただけ?)
どちらにせよ、声をかけない訳にはいかない。子ども一人で登れるような深さではないのだ。
優妃が泉の跡に降りると、子どもが重そうな真っ黒な剣を抜いていた。
「え?」
(もしかして警戒されている?)
優妃は構えたが、子どもは優妃など気にしていないようだった。
「双結!」
「こら、周りを見ずに抜いてはいけない。もうお前の剣になってしまったのだから、俺は自在に顕現したり消えたりできないんだ」
突如現れた青年に、優妃は見覚えがあった。
「命神、様……?」
天界では何度かその姿を目にしたことがあった。あまり知られていないが、双結神とも呼ばれる存在だ。
双結は優妃の声を聞いて構えを取ったが、優妃の姿を認めて不思議そうに首を傾げる。
「妖優妃?連神ではなかったのか?」
「もう連神ではありません」
「そうか、奇遇だな。俺ももう神ではない」
双結はぐいぐいと袖を引っ張る端花を抱き上げて、優妃の前に立った。
「この子は?」
「後で説明する。もう直ぐ寝るから少し待っていろ」
言葉通り双結の腕の中で子どもは眠り始めた。
「しばらく起きない。ここを見に来る連中も先程去ったばかりだからな。
少し話をしよう」
双結はここで起きた出来事を話した。
「邪気が源泉を襲った?」
「ああ。普通なら考えられないことだ。
だが、この子には元から邪気を扱う力があったわけでもない。源泉を涸らした直接の原因ではない」
やはり邪界とつながる小国が心国を襲ったのだろう。優妃の中ではつながった出来事も、双結に話すことはできない。
「優妃、俺の存在について公言せず、この子を育ててくれないだろうか」
「え?」
思いがけない言葉に、優妃は間抜けな返事をしてしまった。
「俺はもう神ではない。この子の剣だ」
「確かにもう源泉にはいらっしゃらないかも知れませんが、せめて誰かに存在自体はお伝えした方がよいのでは?」
「どうせ他の神は知っている。地上の者がどうこうする問題でもない。俺は――」
双結は腕の中の子どもの頭を優しく撫でた。
「俺は、この子どもが愛おしい」
「命神様、」
「もう、神ではないのだ。
わかってくれ、優妃。俺が育てなければ死んでいたのだ。それに、もうこの剣はこの子を主と認めた。俺の存在が知れれば、どうなるかはわかるだろう?」
霊剣は珍しい剣だ。玉に神が宿ったのであれば、それはもう立派な神器だ。その主が源泉を涸らしたとされる子どもだとなれば、その子どもがどうなるのかは想像がつく。
「それは、見過ごせませんね」
優妃も元は孤児だった。
地上が邪に侵されるのは阻止しなければならない。だが、目の前の命を見捨てるのはまた、違う問題だった。
「私も浄化士としては未熟ですから、立派に育てられるかはわかりませんが、お引き受けします」
「浄化士が関係あるのか?」
「はい。もう浸泉授力してしまっているのなら、浄化士になれるはずです。
この子は何も罪を犯してはいないけれど、周囲の目には大罪人と映るでしょう。それでも浄化士として貢献すれば、見る目も変わってくるはずです。薬を勉強したいのであればそちらに進んでもいいでしょう」
このままではいずれこの子は殺されてしまう。たまたま霊剣を持って泉に落ちてしまっただけなのに。そしてそれが神の消滅を防いだというのに。
「ところで命神様、この子の名前は?」
「ない」
「ない?」
孤児に名前がないのは珍しい。浄化士になっていない孤児には名前がないのは普通だが、浄化の力が弱い土地では、怨邪になることを恐れて呼び名がつけられる。心国は神戴国とはいえ、情勢が不安定だった。特に浄化士が激しい戦いをしていたのであれば、異常に気付いたものが名を与えそうなものだが。
「両親が亡くなって、親族に引き取られたが、いない者として扱われていた。名も与えられず、親族以外には存在が知られていなかった。親族が心国を離れた時にこの子を置いて行ったんだ。
小さい頃から姿を見ていればみなも育てることに協力はするし、名もつけるだろう。だがこの年になって姿を現したこの子を孤児だとは思わない。一連の事件で親を亡くしたと思っても、名もなき孤児だとは思うまい」
ましてや上等な剣を持っている。
優妃はこの子どもの今までを想って胸が痛くなった。
「さらに悪いことには、この子は賢かった。自分がどう思われているか理解していた」
「……命神様は、名を与えなかったのですか?」
「俺は人間の名づけなどわからない」
優妃だって子どもがいるわけでもない。名づけについての自信は全くない。それでも、この子どもに名前を与えてやりたいと思った。
「端の花と書いて、端花はどうでしょう」
「端の花?」
「私が道端で見つけた花。通り過ぎる人も多かったかも知れない。それでも、私はこの花を見つけたのです。あなた様が、この可愛らしい花を今まで守ってくださったおかげで」
「そうか。よいのではないか、端花」
子どもはその言葉に反応して、閉じていた目を開けた。
「初めまして。私は妖優妃。よろしくね、妖端花」
この日、子どもは妖端花となったのである。
誕生は剣でもあり友でもある双結の腕の中。妖端花が初めに目にしたのは、美しい女性、妖優妃。
以降、端花は優妃と行動を共にするようになったのである。
続きます。




