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妖優妃(一)

 端花たんかが目を覚ますと、そこは暗い洞窟だった。灯りがついているおかげで、剥き出しの土肌が良く見える。


(ここは、どこだ?)


 体を起こそうと思ったが、自由がきかない。急激に体力が落ちたように力が入らない上に、自分の中の邪気が増大しているのを感じる。


「ああ、やっと起きたね」


 唯一動く眼球を動かすと、予想通り、そこには藍晶らんしょうがいた。相変わらず笑みを浮かべており、手には椀を持っている。


「やっぱり、綺麗な瞳だ。こうして私を映してくれるとは」


 藍晶は寝台に寝かされている端花に近づくと、卓に椀を置き、ゆっくりと端花の身体を起こす。

 端花は視界に映り込んだ自分の服に驚いた。それは昇天する前に端花が来ていた、紫色の士服だった。優妃ゆうひがつけてくれた花の刺繍も入っている。


「ふふ、嬉しいかい?十五年ぶりの身体はどうだい?」


(元の身体に戻ったのか?!)


 頸神けいしんが用意してくれたの身体は端花の魂を失って土に還ったのだろう。


「心配しないで。今までの世話は雇っていた下女がやってくれてたんだ。まあ、先日殺してしまったのだけどね。神代主じんたいしゅが捕らえられたのを機に、俺の秘密を告げ口しようとしたから……。こうして君の魂を取り戻せたからよかったけどね」


 藍晶は端花の背後に回り彼女を抱き留めるように固定して、椀に入れてあった匙を取り、端花の口元に運ぶ。


「ほら、食べて。魂が欠けて意識のない間はあまり食べられなかったんだ。体も衰弱しているだろう?」


 力の入らない体ではされるがままで、端花は時折零しながらも椀の中身を全て食べ終えた。


「えらいね。しばらくは体力を戻していこう。動けない間、君のお師匠様の話をしてあげようか?」


 端花の師匠、よう優妃。端花にとっては彼女は地上の人間だが、もとは連神れんじんであった。ある日地上に降りて来た彼女は『ある国を探さなければならない。そして、阻止しなければならない』と言った。その真意を知ることは出来ないままだった。


「君も気づいているかも知れないが、岩小国がんしょうごくは邪気を操る方法を見つけたのではない。邪気を操る力を与えられたんだ。君の邪気とはまた違って、この邪気には特性がある。一つ、邪気に口封じできる力があること。二つ、邪気から持ち主の記憶を読み取ることができること」


 そこから藍晶は優妃についての話を始めた。端花が動けるようになるまでの一月、彼女の世話をしながら。



*



 妖優妃は左脚さきゃく国に生まれ、知識を活かして多くの薬を開発した。病に苦しむ人々を救い、死後は天人てんにんとなり、生前の功績から左脚の近くの泉で神として祈りを捧げられ、すぐに連神れんじんとなった。

 天界での暮らしは快適だった。すべての植物が手にはいるし、頼めばその泉を治める連神や六仮神にその土地を見せてもらうことができる。七神の都合がよければ、世話になった自国や頸国けいこく神代主しんたいしゅを見ることもできるし、経過が気になっていた病人の様子も確認できる。泉に下りれば自分の連の者と話しもできるし、新しい薬の調合を伝えることもできる。

 流石に地上で起きている出来事に首を突っ込むことはできないが、提言を求められれば許される範囲で情報を与えることができる。神戴国しんたいこくへの野望もなかった優妃は、安穏とした日々を送っていた。

 しかしある日、いつも通り地上の薬草について確認している時、おかしなことに気がつく。


(薬草の育ちが悪い。土の状態も悪くないし、地上に邪気は確認できないのに)


 僅かな変化だが、それでも優妃にはひっかかった。状態が悪い時もあれば良すぎる時もある。最終的には薬草の育つ日数は変わらないが、その成長過程が異様だった。

 調べていく内に、それは他の土地でも起こっていることがわかった。浄化が追いつかず地中に邪気が溜まっているというのが優妃の見立てだった。それ自体は問題だが、今までもなかったわけではない。不気味なのは、地中の邪気が溜まり続けて異常を起こすわけでもなく、数日で消えているということだ。


(浄化されていない邪気は、いったいどこに消えたのかしら?)


 邪気が溜まり続けていない以上、表面上の問題はない。もしかしたら優妃の思い過ごしかもしれない。何か手がかりを掴もうと、優妃は薬の研究を控えめにして、各地の源泉の主と交流を図った。

 連神としての役割を果たす者たちは、浄化についての話には食いついたので、意図を濁しながらこっそりと聞きたい情報を手に入れようとした。地の自然浄化は神戴国や小国では頻繁に起こる。だが急に増えて急に減るなどという話はきかなかった。さりげなく話題に出すと、「急に邪気を浄化できるほどの力はない」と笑われてしまうくらいだ。


(私の思い過ごし?けれど、やはり邪気の急激な増減は異常よね)


 忙しい七神に確証のない話はしたくなかったが、時間を取ってもらおうと思った時、遠くから気になる言葉が聞こえた。


「邪――力は、――るか?邪界じゃかい――気づかれて、」


(邪界?)


 優妃は周りを見るが、そのような話をしている者は見当たらない。


(誰かが源泉に行って、天界のふたを閉めていないのかしら?)


 基本的には源泉に身を降ろす時、天界のふたを閉める。その地の様子を天界の他者に見せる時には開けっ放しにすることもあるが、どう考えても込み入った話だ。土地の浄化の力を上げようとする連神は、泉に降りてできる限りの情報を与えたり、地上の者と相談することも多い。


(邪界など聞いたこともない。気になるわね)


 あまりよくないことではあるが、ふたを閉めてない以上、天界に話が聞こえてしまうことは承知の上だろう、ということにしておいて、優妃はその場所に近づいた。


「小国から神戴国になるには、今の神戴国を落とす必要がある。隙ができたら邪神じゃしんをけしかけよう。今の泉自体が契約の核だ。ここを壊す気はない。唯一邪界と繋がる泉だからな。

 神戴国になれば連をいくつか取り込める。もとの源泉を失うこともない。上手くいけば地上全体が邪界と繋がる」

(邪神?邪界とつながる?

 もしかして異常な邪気の減少の原因はここなの?邪界に邪気が吸い込まれているとでも?

 邪界が何を指すかわからないけど、天界も地上も神々が把握してる。異常があればすぐ気づくはず。天界でも地上でもない世界が存在するのであれば、しかもそこが邪気と関係しているなら、一大事よ)


 優妃は急に入って来た情報に混乱し、泉の主が天界に戻ったことに気づくのが遅れた。そして、その場所が地上への道にほど近いことにも気づいていなかった。体を押されて天界から投げ出されて初めて、優妃はその両方に気づいたのである。


(はめられた!)


 源泉以外の場所に身を降ろせば、連神はただの人になってしまう。それで死ぬことはないが、源泉以外の場所で魂が存在するには肉体が要る。地上に降りた時点で肉体が用意されてしまうのだ。

 その時点で連神としての存在は許されず、もう一度天界に行くには、死んで肉体から離れる他ない。


(いや、大丈夫。今聞いた話を蛍草けいそう様にすれば、豊穣神ほうじょうしん様に伝わるはず)


 だが優妃が動こうとした時、目の前に大きな黒い影が現れた。

 人の形を取っているがはっきりとしない。その割には霧のように霞んでもいない。邪であることはわかるが、怨邪でもなければただの邪気でもなさそうだ。


『俺は邪神と呼ばれる者だ』


 怨邪には意志があるが、話すことはない。


『そう構えるな。俺にできることは()()少ない。核を得られねば実体も持てぬ。

 だが、お前に俺の存在を漏らされるわけにもいかぬ」


 その黒い塊はぶわりと優妃に襲い掛かった。


「くっ!」


 体の中に何かが侵入してくる。必死で追い出そうとするも、優妃はその術を持たなかった。

 浄化士としての修業は一通り終えていたが、彼女はどちらかというと薬師に近かった。弓も刀も札もない状況での対処法を知らない。


『お前には俺の一部を埋め込んだ。まだ力のない俺にお前を殺すことはできないが、俺の邪には特性があってな。

 もしお前が俺や邪界について話そうとすれば、お前は死ぬ。禁忌を犯せば罰が下るように、条件を破ればお前に死をもたらすくらいの力はあるのだ』


 優妃はその声が自分の中で発されているのを感じた。あの黒い者が自分の中に入り込んでいる。そう思うだけで吐き気が込み上げてきた。


『忠告はした』


 その一言を残して、声は二度と聞こえなくなったが、優妃は己の中にあの黒いものが棲みついたのを感じた。

続きます。

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