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誠也の話

 右脚うきゃく国に戻った端花たんか誠也せいやは、帰って休む間もなく浄化に追われた。神戴国しんたいこくでも怨邪が発生しているのは右脚も同じだった。聖水があるぶん、民たちの力もあり、まだ他国よりはましかも知れないが、もとはこの国の者ではないのか、名探りが難航していた。端花が戻ったことで名自体はすぐにわかるようになったが、近くの小国しょうごくれんなどの応援にも人を割かねばならず、人員不足は深刻だった。

 全ての邪を浄化するのに一月かかった。


「やっと終わった」


 誠也は屋敷の入り口から一番近い部屋にどさりと腰を下ろした。後から入って来た端花も、一度休むために同じ部屋に倒れ込むように座った。


「疲れた。もう動けない」

「ああ。だが一度風呂に入らねえと。端花、先に入って来い」

「いいの?」

「いい。母上が使用人を寄こしてくれたから、準備はできているはずだ」


 屋敷に備え付けの風呂あるのは神戴国でも預泉よせんくらいだが、水の豊かな右脚では囲山家いさんけの者も所有している。端花は誠也の言葉に甘えて風呂に向かった。


「お待ちしておりました、清様」


 風呂場には一人の使用人が端花の世話をするために控えていた。


「準備ありがとう。けど私は一人で、」

「いいえ。お世話させていただきます」


 食い気味に断られ、端花は驚きながらも任せることにした。

 普段は使用人のいない誠也の屋敷である。人に風呂の世話をされるのは久し振りで、端花は少し緊張した。使用人は事務的なこと以外口にせずに端花を洗った。服を着せてもらったところで、使用人が端花に目配せした。彼女はそのまま風呂場を出て、どこかへ向かう。


(誠也に上がったことを伝えたいんだけど)


 ついて来いと言われているのはわかるが、疲労の溜まった誠也を無駄に待たせる訳にはいかない。


「清様、誠也様には私がつきます」


 立ち止まっている端花に、使用人が声をかけた。今度は男の使用人だった。


「ああ、ありがとう」


 心配事がなくなった端花は、やっと使用人の後を追い始めた。



 案内されたのは滅多に使われることのない客間だった。


(この屋敷で暮らしていて、客間に案内されるのは変な気分だな)


「失礼いたします」


 使用人が声をかけると、


「入りなさい」


 奥から女の声が返って来た。誠也の母、透青とうせいである。

 端花は横に体をずらした使用人を通り過ぎ、入室する。


「失礼いたします」

「どうぞ、こちらへ」


 端花は手で示された場所に腰を下ろす。誠也の屋敷は基本的に家具が少ない。客間さえ椅子がなく、端花も透青も座布団一枚の上に座っている。

 透青は五十代の年齢そのままの女性だった。他の人間に比べると若く見えるが、神力授与を受けていないので、誠也の母としてはかなり年齢が開いているように見える。それでも意志の強い瞳は誠也そっくりである。


「お久しぶりね、よう端花」


 その言葉に、端花は少なからず驚いた。清が端花であると知っているのは、各国の預泉のみ。誠也本人にさえ知らされていないのだから、当然母である透青も知らないのだと思っていた。


「そう驚かないでちょうだい。清麗神せいれいしん様が誠也に命を与えられる前に、私にお話ししてくださったの。あの方はお優しいお方だから」

「そうなのですね」


 どうして命を受ける誠也には言わず、透青には伝えたのか。もちろん端花に執着していた誠也に伝えても混乱しかしないだろうが、それならば別の者に命を下せばいい。端花と何の関わりもなかった者の方が、清が端花であると気づく可能性も少ないだろう。

 何故わざわざ誠也を選んだのか。それはつまり、清麗神が優しいからである。特に自分の国の者に対して深い慈悲を持っている。これは有名な話であった。


「挨拶が遅れました。右脚国囲山家(れい)家預かり妖端花です」

「右脚国囲山家麗家当主麗透青です。今日はお疲れのところ、申し訳ないわね」

「いえ」

「今日あなたを呼んだのは今までのお礼と、誠也について話したいことがあるからよ。

 まずは、あなたの今までの働きに感謝します。麗家はまだ正式には弟子を取れていない上に、修行に来る者も多くはないので、あまり浄化に貢献できていませんでした。なんとか誠也の力で囲山家としてぎりぎりの役目は果たせていたけれど、貴方が来てくれたおかげで今回は浄化に大きく貢献できました」


 透青が深く頭を下げるので、端花は慌てて思わず膝立ちになった。


「おやめください、透青様。私のような罪人を受け入れてくださったのです。これくらいでお礼などおっしゃらないでください」

「いいえ。私は、優妃ゆうひ様にお返しできないほどの恩があります。そして端花、あなたにもね」


 透青は柔らかい笑みを浮かべた。普段あまり笑わないのか、ぎこちない笑顔だったけれど、それに勢いを削がれて端花はきちんと尻をつけて座り直した。


「私に、ですか?」

「ええ。あなたはもう知っているのでしょう。誠也の出自について。

 中枢ちゅうすう国では何となく察している者もいるそうだけど、水国すいこくでは誠也の父は誰かわからない。私が不甲斐ないせいで、あの子には随分つらい思いをさせました」


 透青は昔を思い返す。

 突如現れた強い力を持つ怨邪。右脚と無名の郡の境界付近に現れ、麗家に要請がかかった。名探りも上手くいかず、降邪こうじゃを行うも、多くの者が邪気に侵され、最終的には当主が邪を降ろすことになった。なんとか名を把握したものの、怨邪は動きが鈍くなるだけではっきりとした人の形をとらず、なぜか浄化できなかった。仕方なくひたすらに攻撃を続けたところ、怨邪はついに浄化されたが、それがなぜなのかはわからなかった。

 多くの者をなくした麗家はその時すでに囲山家としての存続が難しくなっていた。それでもまだ弟子を取れば数年で回復できるほどだった。それが叶わなかったのは、その任務から半月以内に透青以外が死んだからである。原因不明の病が一族一門で流行り、幼子から老人までみな死んだ。怨邪による病と酷似していたそれは、短い時間で麗家を滅ぼしたのである。


 一人残された透青は当時まだ二十歳だった。既に結婚していたが、浄化士としての才能に恵まれなかった彼女は、子を残すべきか悩んでいた。泉力せんりょくの器の大きさは父親で決まるために問題はない。だが、彼女は自身に何か問題があるのだと考えていたため、子を産むことに抵抗を感じていたのだ。

 しかし残されたのは自分ただ一人。浄化士としても家に貢献できなかったのに、このまま麗家を滅ぼすのを指をくわえて見ていることはできなかった。各地を飛び回り、種を頼んだ。どんなにはしたないと笑われようと。唯一手を差し伸べてくれた友人に頼るわけにはいかなかった。頼りたくなかった。友人の夫、それも友人が深く愛している人とだなんて、考えられなかった。それでも時間は流れ、麗家の立場は悪くなるばかりだ。彼女が持っている一族伝来の知識だけが唯一の支えだった。それを奪って囲山家につこうと考える者も多かった。彼らは彼女の頼みを聞くと言ったが、麗家を継ぐことは受け入れなかった。

 彼女は友人の手を掴む決心をした。もちろん友人の事情もあっただろうが、彼女はきっと()()()()()()()()のだろう。


 誠也が生まれ、跡継ぎができたこと、透青の持つ一族の知識が有用であったことから麗家は囲山家降格を免れた。どうせ大した力を持つ子ではないだろう、と周りの者も静観することに決めていた。その内滅びるものをわざわざ手を加えてやる必要はないと。

 だが、彼らの予想を裏切り、誠也は優秀な浄化士として成長した。あの頸国神代主(しんたいしゅ)兼預泉が父親だからだ。泉力の器が大きいのは当たり前だった。それだけでなく、誠也は剣も弓も上手かった。泉力の扱いにも長け、札による術も自在に操った。

 計画が狂った囲山家狙いの者達は誠也を妬み怨んだ。まだ幼い子に、その意味も理解できない内から嫌な言葉を向けた。大きくなれば当然、その意味も分かってくる。


「一時期は酷い荒れようで。けれど私は跡取りとしてあの子を育てなければならなかったから、甘やかすことはできなかった。父親についてかなり問い詰められたけれど、話せば余計に心を乱すことは予想できていたから、言わなかった。

 どうしようもないと思っていたところに、貴方が現れたのよ」


 それは端花が覚えていなかった、誠也との出会いのことなのだろう。


「優妃様に相談をする時に、貴方もついてきてくれたわね。優妃様とのお話の間、誠也と二人にしてしまって心配だったのだけど、終わった頃には誠也の顔つきが変わっていてね。『俺も端花みたいになるんだ!』って、周りの声なんか気にする暇もないくらい修行に夢中になって、精神的にも技術的にもとても成長したのよ」


 端花自身は何かをした覚えもない。若干気まずい思いをしながらも、


「お役に立てていたようで何よりです」


 と返した。


「改めて、此度は本当にありがとうございました」


 もう一度頭を下げる透青に、端花も頭を下げ、その感謝を受け取った。


「さて、では次に誠也について話してもいいかしら?」

「はい」


 透青は服を整え、姿勢を正して端花を見た。端花も、背筋を伸ばす。


「単刀直入に言うとね、誠也を結婚させようと思っているの」

「結婚、ですか」


 確かに誠也は結婚して子どもがいてもおかしくない歳だ。神力授与で見た目は若いままだが、今期は確実に逃していると言える。だが、どうして端花に誠也の結婚の話をするのかがわからなかった。


「本人に伝えればよろしいのでは?」


 端花の返答に、透青は目を見開いてから困ったように笑った。


「そこまで平然とされると、流石に誠也がかわいそうになるわね」

「え?……あ」


 端花は透青が誠也の想い人を知っていることを知った。適齢期を逃しても結婚しない息子。結婚をすすめてもある時を境に『結婚したいと思う人がこの世にはいない』としか返さなくなれば、嫌でも理解できる。


「その、すみません」

「あなたが謝ることではないわ」


 透青はそう言うが、端花はそのまま誠也にも謝りたい勢いだった。

 端花は死んではいないが、ほとんど死人のような者である。愛する人に殺されない限り死ぬことはないが、決して端花として、あるいは清としては生きていけない。存在自体が歪なのである。


「透青様は私の事情をご存じですよね?」

「ええ。けれど断言できるわ。あの子は端花以外との結婚など望まない。死ぬまで貴方を思い続けるわ。血筋からしてもね」


 透青は曖昧に微笑んだ。


「しかし麗家に跡取りは必要。誠也には当主となってほしい。単純にあの子に才能があるのもあるけれど、今まで誰よりも麗家に貢献してきて跡取りになれないのは、少し悲しいわ。

 それに、私としては麗家の血を絶やしたくない。私は、そのために生きてきたのだから」


 その言葉は囲山家当主の言葉だった。

 誠也に愛情はあるが、彼女は母である前に一家を守る長である。その目には強い力が宿っていた。


「それは理解できます。であればなおさら、私に言う必要などないと思います。誠也は跡取りとして結婚して子を残さねばならない。決まっていることです」

「ええ、決まっていることよ。それでもなるべく誠也の意を汲んでやりたかった」


 透青の声は少し震えていた。


「ただ、異常事態の今、いつどんな状況になってもおかしくない」


 一度滅びを身をもって体感している透青には、全く余裕がなかった。


「子はまだでもせめて結婚はさせておきたい。できるならあの子が望む人と」


 誠也が望むのは端花だ。そしてその端花は、結婚などできる状態ではない。それを理解しながら、透青は訊ねる。


「端花、あなたは誠也をどう思いますか?」

「どう、とは、その……」

「結婚相手として。私は今、誠也の母として、あなたに縁談を持ちかけています」


 透青にはっきりと言い切ってしまわれれば、端花も濁すことなく伝えることしかできない。


「私は、誠也と結婚することはできません」


 透青も理解しているとおりである。


「誠也は、いい人だと思います。礼儀にうるさいところはあるけど、基本的には優しい。善悪がわかっているし、情に流されずに人を諫めることができます」


 誠也は端花がどうしようもなく好きだった。それでも、彼女のしたことは悪いことだと理解していたし、その行為自体を庇うことはなかった。双結そうけつが神だと知っても、端花の手助けをしたことを非難した。

 誠也と常に一緒にいたわけではないが、端花の好きなようにさせてくれて、しっかりと支えてくれる誠也の隣は心地よかった。端花に足りないところを上手く補い、時には振り回されながらも端花の手綱を握ってくれた。岩小国がんしょうごくの藍晶に嫌な気分にさせられても、誠也のおかげで気分を持ち直すことができた。


「誠也なら、きっと相手を尊重してよき夫となると思います」


 長年想いを募らせてきた端花でなくとも、誠也は妻を大事にするだろう。麗家の存続のために何が必要か、わかっている。そこに自分の意志を通そうとするほど愚かではない。


「そうね、私もそう思うわ。ありがとう、端花」


 何に対しての感謝なのかはわからなかった。これでよかったと思うと同時に、どうしようもない焦りを感じて、端花はぼんやりとしたまま退席の挨拶をした。


 本当なら誠也に労いの言葉でもかけようと思っていたが、端花は誠也のもとに向かうことなく自室に向かった。

 使用人に整えられた部屋は、いつもと同じで、どこか違うように感じられた。それを残念に思いながら、端花は寝台に倒れ込む。帯から精霊剣せいれいけんを抜き、双結を顕現させた。


「端花」


 現れた双結は、端花の側に腰を下ろした。


「随分と酷い顔色だ」


 双結はぐったりと寝台に体を預ける端花の頬を撫で、顔にかかる髪をはらってやる。

 ずっと端花と一緒だった双結はこの一月の端花の忙しさを知っている。けれど、それだけが端花の表情の原因だとは思わなかった。


「あの男のせいか?」


 双結の声に低く怒りの色が入る。


「双結も、聞いていたでしょう?」

「ああ」


 顕現していない時でも、常に会話は聞こえてくる。また、実体を持って動けないだけで、双結には端花の周辺の様子は見えているのだ。


「何も思い悩むことはない。いくらあいつがお前を好きでいようと、端花の状況では結ばれるのは難しい。家の存続のために想いの通わぬ者と結ばれるのも、後継の役目だ。下手にあの縁談を受け入れても、麗家を混乱させるだけだ」

「うん、わかっている。あの判断は間違いじゃなかったし、きっと何度言われても断った」


 それでも、と端花は双結の手を掴む。


「私はその判断をした時に、胸が痛んだ。正しいはずなのに、何故だかひどくもったいないことをしてしまったようで」


 双結は重なった端花の手をあやしてやりながら、嫌な予感に背筋が凍った。


(いや、予想できていたことだ)


 焦りは諦めに変わり、きっと端花も同じような心持ちなのだろうと、優しく彼女の手を握る。


「私、きっと、誠也のことが好きなんだ」


 そう告げる端花の声は平坦だった。恋に色づく花のような明るさはなく、疲れたような、諦めたようなその表情は、むしろどこか安心しているようだった。

長くなりました。

続きます。

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