一つの仮説
端花が宿に着くと、誠也が難しい顔で書面を睨みつけていた。
「ただいま」
「おかえり」
「どうかしたのか?」
端花の問いに誠也は紙から視線を外して端花を見た。
「どうした?顔色が悪いぞ」
「そう?さっき浄化をして昼を食べ損ねたからかな」
本当は藍晶との接触が原因なのだが、なぜか誠也には言いたくなかった。それに腹は空いている。
「浄化?やはりか」
「なに?」
誠也は手に持っていた紙を端花に示す。端花は誠也の近くまで行って紙を受け取った。
どうやら頸国の神代主からのようだ。そこには神戴国で起きている異常について書かれていた。頸国で起きたような、怨邪の突然発生が起きているのだという。数は多くないが、まだまだ浄化の進まない集や郡に浄化士を派遣している国が多く、国内の異常への対応が遅れている。
「この前お前が怨邪を浄化してたろ」
「左腕でのことなら、あれはただの邪気だったよ」
「そうなのか?」
「周りの人が勝手に怨邪だと思い込んでいただけだ」
訂正しておけと思うが、端花に詳しく聞くこともせずに、札を持たせて対策だけしていた誠也にとっては、今更そのことに言及するのは躊躇われる。
「とにかく、神戴国では今まで起こり得なかったことが起こっている。もちろんこのことはお前が種明かしをしているから、大きな混乱にはなっていない。国に問題があるのではなく、誰かが邪道で怨邪を持ち込んでいるだけだからな」
「けどそうなると、一体誰が持ち込んだのかが気になるってことか」
「そうだ。
胴国から一連の出来事を考えれば、岩小国がやってるんだろうが、邪気を扱えるのが岩小国だけだからという理由だけでは罪を問うのは難しい。何か証拠を掴むか、実際の現場を抑えなければな。それに――」
誠也は端花から一度目をそらした。
「邪気は私も扱える」
(加えて、私は事件があった国に、事件があった時期に滞在していることが多い)
胴国での紅石の怨邪化は端花が赴く前に起こっているが、あれだけは犯人がはっきりとしている。その犯人が岩小国の神代主の子息であったが故に、まだ岩小国に注目が向けられているが、端花を容疑者候補に入れて考えるところもあるだろう。特に清が端花であると知っている神戴国の預泉なんかは特に。
「俺は知っている。お前じゃない」
間髪入れずに言った誠也に、端花は思わず笑ってしまった。
「ふふ、必死だな」
「端花、俺のことじゃなく、お前はもうちょっと自分のことを気にしろよ。淡々と言うことじゃないだろ」
「悲しそうに言えばよかった?誠也は私が悲しそうな方がいい?」
「~っ、意地の悪いことを言うなよ」
誠也はきっと端花を睨みつけた。
(そうだ、こいつはそういうやつだよ。周りなんて気にしないで、自分の望むことに真っ直ぐだ)
失言をしたと内心後悔している誠也だが、意外にも端花はその言葉に助けられていた。
単純に端花を思っての言葉が嬉しかったのもあるが、その言葉で藍晶によって不安定になっていた気分が落ち着いたのだ。不快感や恐怖が拭われ、胸の内が暖かくなる。
「お前は笑っててくれ」
誠也が端花に手を伸ばす。躊躇いがちなそれは端花に触れる前に一度停止した。それでも端花が身を引くことなく誠也を見るので、彼はその柔い頬に手を添えた。ちょうど先ほど藍晶に触れられた方だったが、誠也の手は優しく、むしろ藍晶によって与えられた気味の悪い感触を消してくれるようだった。
端花は誠也の手の甲にそっと自分の手も重ね、首を傾げてぬくもりを受け取るように頬を誠也の手のひらに押し付けた。
「おまっ、」
「なに?」
「いや、」
「あっ!」
「なんだよ!」
端花はパッと誠也の手から体を離すと、
「一つ、仮説が立ったんだけど」
と言った。
急な言葉に誠也はしばらく呆けていたが、ようやく意味を理解して、
「なんだ?」
近くにあった椅子に座る。先ほどまで手に触れていた温もりが恋しいが、これ以上端花に振り回されるのも困る。大人しく話を聞くことにした。
端花は机を挟んで向かいの席に座った。
藍晶に対する恐怖心が取れ、彼の発言を考える余裕ができたのだ。そこから一つ、可能性の話ができる。
「私の魂は今、二分されているのかも知れない」
「二分?」
「そうだ。
私は一度死んだ。実際には死んでいなかったけれど、天には昇ったんだ」
天に昇るということは、肉体から魂が離れるということだ。つまりは死ぬのである。
それでも端花の魂から邪気が分離しなかったのは、端花が死んでいなかったからである。
「私の身体にはまだ私の魂が存在している。だから邪気が分離しない。
じゃあ、今の私はいったい何なんだ?
頸神様はおっしゃった。私の魂は『邪気との結びつきが強すぎる』と。だから天界で受け入れられないと。つまりは、頸神様の前の私は魂だけの存在だった。邪気の絡みついた、生者の魂。それが今、この身体に入っている」
端花は自分の胸に手を当てた。
彼女が妖端花であると知らぬものには、ただの清という少女にしか見えない身体。身体を動かすには魂が要る。
「今の身体、私の身体それぞれに魂が宿っていて、それはどちらも私のものだ。私の魂は今、二つになってこの世にある」
誠也は端花の言葉をゆっくりと飲み込んだ。
にわかには信じがたいが、たしかにそれなら説明はつく。
「だが、そんなことが可能なのか?」
「可能だ」
端花は藍晶の言葉を思い出す。
『ありえないけど、もしかすると……。いや、魂の管轄は神のみなのだから――まさか干渉したのか?』
「神ならば」
「?!お前!」
「可能だと言っている。誰も神々がやったとは言ってないし、思ってない」
神々は地上のことに干渉しないし、もし神々の意向なのであれば、端花は今こうやって原因を探し回るために地上に降ろされてなどいない。
「誠也、これはすべて推測でしかないけど、一回聞いてくれないか?」
いつになく真剣な様子の端花に、誠也はゆっくりと頷いた。
「まず最初に、私の今の原因を岩小国と仮定する。私の死後に邪気を扱うようになったこと、一部には知られている邪気分離の術だけでなく、銀杏様でさえ知らなかった玉による邪の移動を行えること。
邪の移動に関する研究書と邪気分離の詳しい説明書は処刑時に私が持っていた。もし回収されるなら頸国にあるだろうけど、銀杏様が知らないということは、別の者が持っているということだ。そしてそれは実際に邪気分離ができて、邪の移動を行っている者だ」
「それが岩小国だと断定できるのか?」
「それも推測だけど、怨邪を作り出してまで、玉の産地である胴国の神子に婿入りしようとしていたところを見ると、一番怪しい。それにやはり、邪気を扱うのは私以外に岩小国の者しか存在しない。それが一番大きな理由だ」
「まあそうだな」
誠也とて岩小国が騒動の原因であると考えている。単に端花の思うところを聞きたかっただけだ。
「単に私の処刑後に書物を手に入れる機会があっただけかも知れない。だからやはり私の状況を作り出したのが岩小国だとは断言できない。
だが、もしそうなら、私がまだ死んでいないことに関しては簡単に説明できる」
「簡単に?」
誠也は肩眉を吊り上げた。
「お前の処刑は誰もが見ている。俺だって」
いつまでも目に焼き付いて離れない光景だ。
投げかけられる罵詈雑言などまるで聞こえていないかのように、端花はずっと優妃を見つめていた。ついぞ一度も観衆に目を向けることなく、処刑人の刃が端花の胸に突き立てられ、それが引き抜かれると、糸が切れたかのように端花は崩れ落ちた。
「処刑人の刃がお前の胸を貫く瞬間をこの目で見た」
「そうだろうね。私だって、刃が私の身体を貫いたのを見ていた。だから死んだと思った」
恐らく端花が死を認識したから、そもそも人の魂の在りかである心臓に干渉されたから、端花の魂は死んだと思って体から離れたのである。その離れた部分が今の端花の魂である。
しかし実際には死んでいないので、身体から魂が抜けきることはないし、邪気も離れない。
「魂の仕組みに関しては私達が詳しく知ることはできない。だからこれも推測だ。
けれど、どうして私の身体が死ななかったのか、それだけは説明できる」
岩小国が絡んでいるとするならば話ははやい。
「私の処刑に使われたのは剣ではない。邪気を纏った剣、つまりは形を崩して気と成り果てた剣だよ」
胴国の紅石を怨邪にする時に、緑礬が使用したのと同じだ。彼以外の岩小国の者が同じことをできないとは考えにくい。
「怨邪を作る時は、纏わせた邪気で相手の邪気を掴む。けれどその作業をしなければ、その剣は傷をつけることすらできない。
ねえ誠也、私は処刑の時に血を流していた?」
その問いに答えることはできない。
一流の処刑人ならば、罪人の血をまき散らすような真似はしないし、そもそも剣が貫かれた身体から血が出るか否か考えることはない。普通は出るからだ。処刑場と観衆の間にはかなりの距離もあるから、もし出ていても見えるかはわからない。
「その後は穢れぬように処刑人が布で体を覆うから、私の身体から血が出ていたか確認できるのは、私の担当の処刑人だけだ」
しかし当の彼は、処刑時の記憶がない。
「私は邪気を纏った剣で貫かれただけで、実際には傷ひとつついていない。私が意識を失ったのは死んだと思ったからでもあるけど、魂に他人の邪気が混じりこんだからだろうと思う。
とりあえず、岩小国が犯人なら、魂はさておき、私の不思議な身体の状況は説明がつく」
確かに、傷をつけないただの気が体をすり抜けただけでは死なない。しかし、まだまだ問題点は残る。
「だが結局、お前の魂の問題は残るということだな?お前が死んだと思ったから昇天したってのは、ただの想像だ。それに、結局のところ、岩小国が手引をしているとして、何故右腕や左腕の者が協力する?それにその者の記憶がないのはなぜだ?」
「それを一気に解決するのが、神の存在だよ」
端花は前のめりになっていた体を起こし、姿勢を正した。
「もし神が関与していたなら、理由はわからないけど、私の魂を二つにすることは可能だ。右腕や左腕、そして頸国の棺守が記憶をなくしていたのは、神降ろしが行われたからだ。行われたというより、強制的に神が降りたの方が正しいかもしれない。
降邪の元ともなった術だ。壁護神の結界がなければ自我が神に飲み込まれる。だから記憶がない」
荒唐無稽な話ではあるが、可能性としてないとは言い切れない。できないことはないのだ。
「まあ、そんなことをする神々がいるとは思えないから、それ以上には進まないのだけど。
私の身体と今の身体で、私の魂が二つあることは確実だ。そしてその二つは同一のものである。よって魂が二分されたことは確かだ。
推測部分は魂の管轄は神々だから神々が関わっていること、岩小国が関与しているなら、邪気を纏った剣で処刑が行われたこと、それを可能にするために神降ろしが行われたこと」
端花が整理すると、誠也は神妙な顔で頷いた。
「たしかに一つの仮説とはなり得るな」
踏み入れてはいけない領域に足を突っ込んだような、漠然とした不安が誠也を襲う。神々を疑うなんてことはあってはならない。それでも辻褄があってしまう。
「それにしても、どうして急に思いついたんだ?」
誠也が問うと、端花は目を見開いて瞬きし、曖昧に微笑んだ。
「誠也のせいでもあるし、誠也のおかげでもある」
「は?」
誠也がいなかったから、藍晶に妙な絡まれ方をした(と言うのは端花の言いがかりではあるが)。しかし誠也がその時の恐怖を拭い去ってくれたから、彼の言っていた情報を処理することができた。
魂の管轄は神のみ。それを疑いのかかっている岩小国の者が口にしたのだ。何か意味があるはずだ。
「何でもない」
誠也はむっとしたが、満足そうに悪戯な笑みを浮かべる端花を見ては、何も言う気が起きなくなってしまった。
(顔色が良くなってる)
端花には笑っていて欲しい。
もし深掘りしてまた暗い表情をされるくらいなら、誠也は何も知らないでいる方がましだ。言いたくないことを、わざわざ言わせたくはない。
誠也は溜息を吐くだけに留めて、頸国に手紙を書くことにした。
ちょっと話がややこしくなってきました。
続きます。




