黒花田代芋の予兆
初日以来藍晶と接触することもなく、邪についての事件が起きる訳でもなく(起きたとしても左腕の浄化士が対処にあたるのが早い)、端花はほとんどを宿で過ごしていた。
双結は顕現させたままだったので、話し相手には困らなかったが、他からは彼は見えないため、端花は傍から見れば一風変わった客になっていた。
三日が過ぎた頃、頸国からの返事が届いた。聖獣を借りたまま誠也と端花は右腕へと向かった。
地上には十二の神戴国と数十の小国、連が存在する。
神戴国とは創造主によりつくられた六神を源泉の主とする頸国、胴国、右腕国、左腕国、右脚国、左脚国と、六仮神を源泉の主とする礼国、奏国、射国、乗国、詩国、数国のことである。
その神戴国の一つ、右腕国。またの名を剣国といい、右腕神――拓裂神、啓裂神ともいう――を源泉の主とする。鉄が良くとれ、職人もそろっているためにほとんどの浄化士が右腕の剣を使用する。
結論から言えば右腕でもこれといった成果は得られなかった。
「確かに、妖端花の処刑の瞬間の記憶はない。あの頃は私もまだ未熟者だったからな。
だが彼女は死んだはずだ。誰もが彼女の死を目撃しているし、遺体も左脚に引き渡されたはずだ」
左腕の浄化士と同じ位の右腕の浄化士はそう言い切った。
それ以上何も聞き出すことはできず、ここでも頸国神代主の名を借りて口止めだけしておく。
右腕では頸国神代主が右腕の神代主に頼んで端花たちの宿を取ってくれた。右腕の神代主は頸国の神代主をこれ以上ないほど尊敬しており、彼の頼みにはできる限り、できる以上に応えたいのだ。
用意された上等な宿は、部屋がいくつかに分かれていたので、端花と誠也は同じ部屋の別室を寝床とし、荷物を置いて居室に集まった。
「もう用はないのだから、頸国に戻って報告したいのだけど」
「馬鹿、右腕神代主様の顔を潰す気か?急いでいるわけじゃないんだから、しばらく世話になればいい」
誠也は端花の焦りを感じ取っていた。もちろん時間に制限があるわけではない。死ねないというのならば余計に。ただ、少しずつ事態が明らかになってきたところで、ぷつりと手がかりが掴めなくなったことで不安が生じたのだ。
左脚の神代主に礼としてもらった茶葉で茶を用意し、しぶしぶ椅子に座った端花の前に置く。
「すこし落ち着け」
「ありがとう」
端花は湯飲みに口をつけた。
喉を通る熱い液体にせり上がって来ていた焦燥が押し戻されていく。
(師匠のお茶、懐かしいな……)
優妃の淹れてくれるお茶の味はいつまで経っても忘れられない。
(また飲んでみたいだなんて、無理なことだけど)
優妃への想いは端花の思うようなものではなかったけど、それでもそう勘違いするほどには強いものだった。彼女のために何かしたい、喜んでもらいたい。そのためならばどんなことでもできた。
端花と違い、優妃は死んでしまった。どうしてだろうと疑問に思う。どうして端花は死んでいないのだろう。誰が何のために――恐らく岩小国が関わっているのだろうが、その目的は未だにわからない。彼らに事情を聞くためにも、まず、どうしてそのようなことが可能だったかの方法を探らねばならない。
「あまり、考え過ぎるなよ」
誠也は端花の前に座ると、心配そうに言った。
「お前、最初に右脚に降ろされた頃は何も考えてなかっただろ。
もちろん、お前がどうしてこの状況に置かれたのか、妖優妃に何があったのか、気にはなるだろうが、その先はない。起きたことは戻らない。お前にできるのは考えることだけだ。考える時間は嫌って程あるんだろ?」
端花は苦い笑みを浮かべた。
誠也にはすべてお見通しらしい。端花が自分に起きたことについて知ろうと思ったのは、頸国神代主に優妃のことを言及されたからだ。
「そうだね」
「国を越えての移動も多い。それが原因かは知らねえが、最近眠れてなかっただろ?休息も必要だ」
藍晶のせいで左腕では気を張っていたのもばれていたらしい。端花は大人しく従うことにして、翌日を丸一日睡眠に当てた。
返事がなく寝室に飛び込んだ誠也は、そういうことじゃないと思いつつも、精霊剣を抱えてすやすやと眠る端花の顔を見て、思わず笑みをこぼした。端花があまり寝台で横になっていないのは、端花に与えた屋敷の部屋の様子からわかっていた。彼女が一度昇天する前は命を狙われることが多く、警戒心はその頃の名残だと頭ではわかっていたが、寂しさもあった。それが誠也が側に来ても起きる気配がない。
誠也は嬉しくなって寝台の前に膝をつき、端花の顔にかかる髪を避けてやった。
「端花、好きだ、愛している」
小さく呟いても、端花は寝息しか立てない。それが残念なような気もするし、それで安心する気持ちもある。最後にもう一度端花の顔をじっと見つめて、誠也は寝室を後にした。
*
睡眠によって元気になった端花は、右腕の街を歩くことにした。端花自身に何があったかはまだわからないが、彼女が起こしたことで今も邪への対応が追い付いていないのは変わらない事実だ。神戴国常国の中心地ではそんなこともないのだが、今の端花はじっとしていることができなかった。そもそも頸神には地上の浄化にあたるようにとも言われている。
「あ、浄化士の方ですか?」
ふらふらと歩いている端花の袖を強く引く者がいた。鍛冶屋の見習いらしき若い男性が、困ったような顔で端花を見る。
「右腕国の方ではないですよね?その、申し訳ないのですが、浄化をしていただけないでしょうか?」
右腕の色は赤地に銀だ。右脚の士服を着ている端花に話しかけるのは勇気がいったらしい。若者の声は僅かに上ずっていた。
「構いません。浄化が私達の役目です」
端花は承諾すると、若者の案内に従って現場に向かった。右腕ならではの鍛冶屋通りの一角であった。
十数人が半円のような形で一つの店の前を塞いでいる。それぞれが刀を持ち、目の前を睨みつけていた。端花が人の間から覗くと、そこには一体の怨邪がいた。
(神戴国に怨邪?それも源泉から遠くはない所で?)
「来るぞ!」
刀を持った男達は数が多いが、見えない怨邪には不利だった。宙に浮いた刀が急に動いて男達の剣を弾き飛ばす。
「うわあ!!」
「おい、大丈夫か!」
「みなさん!浄化士の方が来てくださいました!」
若者が声を張り上げると、男達が一斉に端花の方を振り返る。
「な!右脚の方か!」
「これはありがたい!」
端花は答えず、彼らに襲い掛かる怨邪の剣を剣で弾いた。もちろん持っているのは双結の宿る精霊剣である。
「この剣は、頸国のものでは?」
「下げ渡された者がいると聞いていたが」
「彼女が清様なのか!」
男達は端花のために場所を空け、怪我人の手当てをしながら端花の剣に興奮していた。
右腕には腕のいい鍛冶師が多い。妖端花がその悪名を轟かせていたころ、彼女の持つ精霊剣についても話が上がった。一体だれが作ったのか。源泉の核を破壊できるほどの剣を錬成できる者がいるとするならば右腕の者に違いないが、該当者はいなかった。
「すみません、誰かこの怨邪に心当たりのある人はいませんか?」
端花の言葉に、男たちははっとする。
「ああ、怨邪は名前が要るんだった」
「それなら間違いない、そいつは鉄真です。一月ほど行方不明だったし、その剣は鉄真が最後に打ったものです」
「ありがとうございます!」
端花は懐から札を取り出した。
左腕での浄化の騒動は誠也の耳にも入っていたらしく、人に見られても浄化できるようにと札を持たされていたのだ。
「鉄真、あなたの名前は私が把握しました」
生前の名を呼ばれ、怨邪の動きが止まる。何かに抗うように頭を両手で抱える。そして端花へと襲い掛かる。
端花は泉力で札を書き、
「創造主が右脚、清麗神の水をわが手に」
唱えた後に、光る札に精霊剣を突き刺すと、札がすっと消え、精霊剣の周りに水の膜ができる。
端花が剣を突き刺すと、怨邪は聞こえない叫び声を上げながら浄化された。
宙に浮いていた剣が地面に落ちる。
「お、おおお!!」
「ありがとうございます!ありがとうございます!」
周りの男達は歓声を上げて端花を褒め称えた。
*
端花は思案顔で宿に向かっていた。
『にしても、まさか右腕の浄化士が出払っている時にこんなことが起きるとは』
『左腕でも怨邪が出たらしいぜ』
『あいつらが右腕に持ち込んだんじゃないか?』
右腕と左腕の関係性については何も言うことができないが、鍛冶屋の人達の話を聞く限り、明らかに異常事態である。もちろん、端花の影響で邪が発生しやすい土地が多いのは事実だが、それは小国や連などの源泉の力が弱い所の話であり、神戴国のしかも常国で邪、それも怨邪が発生するのはおかしい。
(土地としては源泉の力が行き渡っているのに。もし岩小国が関わっているとして、その意図はなんだ?賽様の時ように邪を運んで好きな時に出すことはできるが、それでいったい何になるっていうんだ?)
「おや、清様」
岩小国について考えていた端花は一拍遅れて顔を上げた。
「え?」
目の前に藍晶が立っている。岩小国の次期神代主だ。そして端花にとっては嫌な思い出しかない。藍晶は後ろに一歩引いた端花の手首を握って自身の方に引き寄せた。
「どうしてここに?という顔をされていますね」
いつもの人好きのする笑みで、端花の頬にもう片方の手を添える。
「私だって驚いているのですよ。こんなの、ますます期待してしまうじゃないですか」
藍晶は何かを確かめるように、何度も端花の顔の上に手を滑らせた。
逸らせなくなった視線の先、藍晶の笑みは徐々に深い物に変わっていき、輝いていた瞳がその光を消し、今度は何かを望むように、暗く鈍い光を発する。
「ありえないけど、もしかすると……。いや、魂の管轄は神のみなのだから――まさか干渉したのか?」
端花の手首を握る手に力が入り、端花は思わず顔を歪めた。
「いたっ」
「おっと、失礼いたしました。柄にもなく興奮してしまって」
藍晶が端花の手首を放したので、端花は彼と距離を取った。
「はは、そう怯えずとも良いのですよ。
時期が来ましたらまたお会いしましょう、清様。いや――」
藍晶は声を出さずに口だけを動かした。
――端花様。
端花には、彼がそう言ったように見えた。
じわりと嫌な汗が背を伝う。あの柔和な笑みの向こうに、得体の知れないものがいる。彼は一体何者で、何を知っていて、何をしようとしているのか。
(怖い。怖い、怖い)
端花は道を外れて蹲った。
(こういう時に限って誠也はいないんだから、まったく)
慰めるように精霊剣がかたりと揺れる。
「双結……」
人通りも多い方であるこの場で剣を抜くことはできない。端花はしばらく精霊剣を握りしめ、幾分か気分が回復したところで宿に戻った。
続きます。




