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左腕にて

 地上には十二の神戴国しんたいこくと数十の小国しょうごくれんが存在する。

 神戴国とは創造主によりつくられた六神ろくしんを源泉の主とするけい国、どう国、右腕うわん国、左腕さわん国、右脚うきゃく国、左脚さきゃく国と、六仮神ろくかしんを源泉の主とするらい国、そう国、しゃ国、じょう国、国、すう国のことである。

 その神戴国の一つ、左腕国。またの名をじゅん国といい、左腕神さわんしん――盾神じゅんしん壁護神へきごしんともいう――を源泉の主とする。質のいい盾が名産であり、結界を得意とする者が多い。

 端花たんか誠也せいやは頸国に借りた聖獣で左腕へと移動した。

 端花と優妃ゆうひの棺を守ったのは左腕国の囲山家いさんけの者だった。先に頸国神代主(しんたいしゅ)預泉(よせん)である銀杏ぎんきょうが連絡を入れてくれていたため、端花達はすぐにその者と面会することができた。左腕らしい堅牢な造りの家が彼の屋敷で、使用人に導かれて客間に通された。


「右脚国囲山家(れい)家より参りました誠也です」

「預かりの清です」


 二人が挨拶をすると、


「左腕国囲山家(どう)家、厚固こうごです」


 左腕の士も丁寧に返してくれた。

 見た目は二十代の若者だが、左腕の土色の地に金が入った士服の腰には、神力授与しんりょくじゅよの玉が二つ提げられている。


「お二人の噂は耳にしております。本日は銀杏様にしたお話をもう一度あなた方にお話しするということでよろしいですか?」

「はい、お聞かせ頂きたく存じます」


 端花が言うと、厚固は銀杏から聞いた話を繰り返してくれた。内容に差異がないことを確認して、端花は口を開いた。


「厚固様、否定される前提でお訊ねしますが、その時降邪(こうじゃ)をしておられましたか?」


 あまりにも不躾な端花の問いに厚固は一度顔をしかめた。誠也の鋭い視線が突き刺さって、端花はすっと顔を逸らした。


「いや、邪を降ろす訳がない。もし降邪をしていたとして、邪気を感じれば周りの者が気づくはずだ」

「そうですよね」


 端花と優妃が怨邪になることを何より恐れていた当時の人びとは、常以上に邪に対して敏感になっていたはずだ。端花が悩まし気な顔になって考え込むと、先ほどの質問に他意はないとわかったのか、厚固も真剣に考えてくれた。


「だが、たしかにあの時の感覚は降邪の時と近い。これでも囲山家だからな、降邪の経験は何度かある」

「本当ですか?」

「ああ。しかし、誓って降邪など行っていない。何故そんなことを訊くかは知らないし、銀杏様の意向もあるだろうから深く訊ねることもしないが……。もしあの時のことで不備があったのだとしたら、右腕の処刑人が何か失態を犯したのではないか?」


 嘲るように告げる厚固だが、これは彼自身の問題ではない。右腕と左腕は神同士の仲が悪く、それが国の者にも影響しているのだ。実際に地上においても二国でのいざこざはあった。

 その一言は左腕の悪い癖のような余計な言葉ではあったが、それが端花と誠也に新たな道を指し示した。


「厚固様、ありがとうございます。特に不備があったわけではないのですが、銀杏様の意向で当時のことを詳しく調べております。この後右腕にも参りたいと思います」


 銀杏の名前を出して軽く口止めしてから、端花と誠也は退出した。

 銀杏に手紙を飛ばして、頸国には戻らず右腕にそのまま行ってもいいか訊ねる。借りていた聖獣の側には人も寄って来ないので、端花と誠也は秘めていた考えを共有することにした。


「端花、お前はもう少し言葉を選べないのか」


 先に誠也のお説教が飛んできたが、


「選んだところで不快な思いはさせる。ならば回りくどく言う時間を短縮した方がいい」


 目を合わさずにそう言うと、誠也の追撃はなく、言葉を呑みこむ音と、盛大な溜息が聞こえた。端花は聞こえないふりをして話を進める。


さい様の件も絡んでいたから棺守の話を優先したけど、そもそも私が死んでいないことがおかしい。厚固様の言うことに賛同するわけではないが、右腕の士に話を聞くのも大事だ」

「そうだな。もしかすると頸国の棺守や厚固様のような状態になっていたかもしれない。特に人の命を絶つ瞬間であれば、意識を保っていなくて当然のように感じるだろう」

「皆が処刑の瞬間を見ているわけだから、私が死んでいないことの謎が解ける気はしないけど、手掛かりにはなりそうだね。

 聖獣のこともあるから、銀杏様からの返事が来ない限り動けない。ひとまずは宿を探そう」


 聖獣を繋いでいる森を出れば人通りは増え、密談も難しい。一度情報をおさらいしてから、端花と誠也は街に出た。


 左腕の街は自然に溢れていた左脚とは違い、頑丈な造りの建物が多く、どこか無愛想だった。頑固そうな主人を口説いて得た宿は、値段に見合うだけの部屋だった。


「端花、外にはなるべく出るなよ」


 男女で部屋が離れているため、誠也は端花に釘を刺した。今までは信頼のある屋敷に客室を設けてもらっていたので、端花が無礼を働く心配はあっても、逆の心配はあまりなかった。

 優秀な浄化士であった端花は各地を回っていたが、その頃は優妃とずっと一緒に行動していた。街の危険性を理解しているかは怪しい。


(できれば離れたくはないが……)


 誠也は清が端花であると知ってから、その衝撃から立ち直り自分の気持ちを整理してから、不用意に端花には近づけなくなった。

 端花を清だと思っていた頃は、どんな人物かを探るためにも泳がせていた。とんでもなく失礼な発言を悪気なくする、もしくは意図的にするのには胃がきりきりとしたが、話を切り出すのは上手かったので浄化の進め方は任せることが多かった。特殊な事情があるとわかっていても、誠也にとっては踏み込むほど興味もなかった。むしろ踏み込まぬように必要以上に距離を詰めることはしなかった。

 だが今の誠也は違う。清が端花であると知って、自分の気持ちを今一度確認し直して、自分でも怖くなった。

 届かなかった憧れの存在。追いかけ続けた姿が世界で悪となっても、この世を去ってしまっても、消えることのなかった想い。

 当人のいない十五年の間に強くなり過ぎた想いは、当人を前にして抑えきれない衝動へと姿を変えた。悪人となっても、この世を去っても、一月正体を隠されていても、同性の師を愛しているのだと言われても、どうしても誠也の想いは消えなかった。それほどまでに端花が好きなのだと、この手に欲しいのだと自覚させられるだけだった。

 一度手に入らないと諦めた彼女が、今、目の前にいる。誠也を誠也として認め、傍にいてくれる。手が届く場所にいるのなら、もう二度と失くさないように、引き寄せてしまいたい。

 実の父親に嫉妬するのも、義兄との話に側耳を立てるのも、今までの誠也からすればあり得なかった。端花の側にいれば、全く関係のない人間にまで嫉妬して、自分らしからぬ行動をしてしまうだろうと誠也にはわかっていた、それが怖かった。そして何より、その醜い自分の欲を端花に晒して、彼女が離れていくのが怖かった。


「わかったよ、できれば外に出ない」


 誠也の心の内など全く知らない端花は彼の言葉を復唱した。絶対に外に出ないではなく、”できれば”外に出ない。恐らく出るだろうなと思ったが、誠也は睨みつけるだけに留めて置いてやった。これでも端花は相手の意を汲む努力はする。どれくらい彼女の行動に影響を与えるかはわからないが、何もしないよりはましだろう。



*



 端花は誠也と別れてから、大人しく室内で過ごしていた。しかしながら、外から悲鳴が聞こえたため、出て行かざるを得なかった。


(人を助けるためなら、誠也も文句を言わないだろう)


 実際には端花はまだ助けを求められていないし、悲鳴の原因などわかるわけがないが、好奇心に少し色をつけて窓から飛び出した。端花の部屋は二階で、それほど高さはなく、降りた先が混沌としていたので、誰も急に現れた端花には驚かなかった。


「どうしたんですか?」


 近くの人に声をかけると、ようやく端花は認識された。白地に青の士服を着た端花を見て、一目で(右腕以外の)浄化士だとわかった人々は口々に端花に助けを乞うた。


「浄化士かい?」

「さっき商品の結界札が反応したんだ」

「怨邪だ、怨邪がいる!」

「さっと浄化してくれないか?」


 邪気は普通の人には見えない。結界札が反応したのは確かに邪気で、端花には黒い靄が見えるが、それは意志のないただの邪である。それでも神戴国で邪気が発生するのは珍しいので、人々は大した実害がなくとも邪気を警戒するし、怨邪だと思う。


「怨邪ではないので、直ぐに浄化できます」


 端花はただの紙を取り出すと、札のようにして構え、邪に向かって放った。当然何の効果もないので紙は地面に落ちるが、端花が邪気を自分のものにしたため、邪気はその場から消え、結界札も正常の状態に戻った。


「ああ、ありがとうございます!」

「助かりました」

「頸国みたいに怨邪が出たらどうしようかと……」

「お礼にこれを上げよう」


 正道の浄化を行ったわけでもなく、ただの邪気を浄化しただけなので、端花は感謝されて戸惑った。そもそも人に感謝されることには慣れていないのだ。

 結局、騒ぎのまま宿に戻るのも気が引けて、端花は人の波を縫って賑わいのある範囲を抜けた。


(もみくちゃになるかと思った)


 店の並ぶ大通りの裏に回れば、民家が多く、何の建物もない場所もある。適当に時間を潰してから戻ろうと一本の木にもたれかかった。


「やあ、」


 端花は即座に背中を木から離し、構えを取って精霊剣に手を掛けた。


「奇遇だね、会える気がしたんだよ」


 聞き覚えのある声は、岩小国の次期神代主(じんたいしゅ)である藍晶らんしょうだった。人好きのする笑みを浮かべているが、端花にはそれが恐ろしく感じられる。


「そう警戒しないで。落とし物を届けに来ただけさ」


 警戒するなと言うが、気配を消してあとをつけられ、急に声をかける相手に警戒しない方がおかしい。

 笑みを崩さない藍晶の手には、先ほど端花が札のように取り出した紙があった。


「藍晶様ならおわかりでしょう。それはただの紙ですよ」

「うん、そうだね」


 砕けた口調のまま藍晶はゆっくりと端花に歩み寄る。無意識に一歩引いて、今まで木にもたれかかっていたことを忘れていた端花は、木の根に足を取られた。


「おっと、危ない」


 端花が地面に尻をつく前に、藍晶が端花の腕を取り、地面との接触は避けられた。


「ありがとうございます」


 礼だけは言って藍晶から離れようとするが、彼は逆に端花を腕の中に引き入れた。そのまま端花の腰に片手を、もう片方の手を端花の後頭部に添えると、以前のように端花の首筋に鼻先を埋める。端花は声にならない悲鳴を短く上げて、硬直した。


「君は懐かしい匂いがするね」


 藍晶はそう言うと、何かを確かめるように端花の肌を指でなぞる。士服の袖から手を入れて手首、肘、腕の付け根までをゆっくりと辿る。今度は首筋に沿って手を滑らせていき、衿の合わせから服の下に侵入し肩を一撫でする。

 端花はわけがわからなかった。ぞわぞわとした気持ち悪い感触が、頭を真っ白にする。


「ふふ、これは期待したくなるね。また会えたら、次は……」


 藍晶は目を大きく開いたまま小さく震える端花の頭を撫でた。


「少し悪戯が過ぎたかな。清様、こちらはお返ししますね」


 端花の手に紙を握らせて、藍晶は去って行った。

 彼の姿が消えてしばらくして、ようやく端花は体の自由がきいた。浅くなっていた呼吸を整え、まだ痺れる手で精霊剣を抜く。剣が輝くとその光から双結そうけつが現れる。顕現した双結は膝が折れた端花を抱き留めた。


(ああ、これは、違う。安心できる)


 思わず双結の服を握り締めると、双結は端花を抱きしめ、手に持っていた紙を細かく裂いて風に流した。


「あの若造め、二度も端花に無体を働きおって!!」

「双結、いいから……。私が動けなかったのが悪い」

「そんな訳があるか」


 自分のために怒ってくれる友人に、端花は少し心が軽くなった。


「私は大丈夫だから」

「無理はするな」

「うん、無理はしない」


 双結に甘えて、端花は完全に落ち着くまで彼の腕の中にいた。


(藍晶様。岩小国の次期神代主。後ろ暗いことに関わっているのは確かだろうけど、なぜ私に興味を持つ?邪気の使い手だから?それだけでは説明できない気がする……)


 妙な違和感は拭えないまま、端花は宿に戻った。精霊剣は仕舞いたかったが、双結は顕現したままでいたいと言うので、彼に納めさせた。双結がいる道中では、何の不安も感じなかった。

右腕行けませんでした。次話で行きます。

続きます。

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